080 傭兵の常時雇用②
卓の上には、アリタが淹れ直したハーブ茶の湯気が微かに揺れている。フィロメラは茶の器を両手で包み込みながら、少しばかり眉を寄せて考え込んでいた。
「運輸と土木の派遣……領主家とコトナからの受注を最初から期待できますから、事業の立ち上がりは堅牢ですわね」
フィクスは、フィロメラの言葉に深く頷いた。しかし、せっかくなら民間の荷も巻き込んで大きく育てたいとも思う。フィクスは腕を組み、考えながら言う。
「エリミオンの農民や職人は、収穫したオリーブ油や穀物を、自前のロバの背に積むか、己の足で一日がかりで運ぶのが当たり前だ。荷車一台を丸ごと雇えるような大商人ならいざ知らず、日々の暮らしに追われる庶民にとって、荷運びを他人に頼むという発想そのものがない」
フィクスは、かつての世界で当たり前に機能していた物流の風景を脳裏に思い浮かべた。
「だが、もし『決まった日時に必ず出発する荷車』があればどうだろう」
「決まった日、ですか?」
「ああ。『定期便』だ。たとえば三日ごとに一度、朝の刻限に必ず領都からナバルノ港へ向けて荷車が出発するとあらかじめ決めておく。雨が降ろうと荷が少なかろうと、その日に必ず走るんだ。そうすれば、村の工房も農家も、『次の定期便に合わせて荷となる品を仕上げよう』と、前もって予定を立てられるようになる」
フィクスの提案に、フィロメラは目を丸くした。
「それは……確かに便利ですわ。自分で荷運びの算段をしなくてすむようになります。ですがフィクス様、荷が少ない日でも走らせるとなれば、損が出るのでは?」
光の輪郭を揺らし、ジェミニが身を乗り出して得意げに口を挟む。
『フィクスの言う定期便を成立させるための鍵はね、「小口混載」と「帰り荷」よ』
「こぐち……こんさい?」
聞き慣れない言葉に小首を傾げるフィロメラに、ジェミニは指を立てて淀みなく説き明かした。
『大きな荷物だけでなく小さな荷物を引き受けるのよ。油壺一つ、あるいは織り上げた布一巻だけでも預かって、複数の利用者の荷物を一台の荷車にまとめて積み込むの。そして、運賃をそれぞれの荷物の量に応じて決めて、多くの小さな荷物を運ぶ。少しずつでも方々から集めれば、大きな損は出にくくなるわ』
「まあ……!」
フィロメラの青い瞳が大きく見開かれた。家政を差配し、実務に明るい彼女には、その仕組みが持つ意味が即座に理解できたのだ。
「油壺一つでも運んでくれるのなら、畑仕事を休めない貧しい農民でも荷を出せますわ。港まで丸一日歩いて往復する手間が省けるなら、喜んで運賃を払うはずです」
『でしょ? さらに往復を無駄にしないのが「帰り荷」よ。港へ農産物を運んだ荷車は、帰りには港に入った塩や陶器、青銅の道具を積んで村へ戻るの。行きも帰りも荷を積んで走れば、運賃をさらに安くしても十分に利益が出るわ。もっとも、行きも帰りも、荷の需要を開拓するには地道な努力が必要ね』
アリタが一歩歩み寄り、補足の細目を淡々と告げた。
「運用の実務として、村の街道沿いには荷を預け、また受け取る『集配所』を設置すべきかと存じます。村人が近場の集配所に行けば済むようにいたします。また、割れやすい油壺のために規格化された木枠や仕切り籠を揃え、受け取り時の状態を改めた上で、万一の破損や紛失には補償を定める規則を設けます」
「補償まで……。そこまで整えられていれば、誰もが安心して大切な荷を預けられますわ」
フィロメラは深く息を吐き、卓上の図面を熱を帯びた眼差しで見つめた。
「油壺一つしか出せない小さな農家でも、運送を頼んでナバルノの市場へ送り出せるようになる……。これは、エリミオンの暮らしを根底から変えてしまいますね。そして、エリミオン各地を買い集めて回る手間が省ければ、外の商人たちもこの仕組みを利用するかもしれません」
「ああ。最初は領主館やコトナの荷の輸送を主要な業務にして、便の余力を民間に提供する。需要が育ってきたら専用の便を増やしていく。海運にも出航予定の期間をあらかじめ知らせる形で小口混載を広げていけば、無理なく事業を育てられるはずだ」
フィクスが微笑みながら締めくくると、フィロメラの顔にも確信に満ちた明るい笑みが咲いた。




