第一話 星の配達員が落ちてきた
【星見町・商店街/昼】
夏の日差しに照らされた、少し古びた商店街。
人通りはまばらで、蝉の声だけが大きく響いている。
シャッターを下ろした店がいくつも並んでいる。
風にあおられた古い星祭りのポスターが、壁の端でめくれている。
その一角に、星形の看板を掲げた小さな店がある。
看板には、手書きの文字。
星形の看板は、少し色あせながらも陽を受けて光っている。
「喫茶ほしの灯」
【喫茶ほしの灯・店内】
木のテーブル。星柄のカーテン。壁には古い写真と、少し色あせたメニュー表。
客席には、誰もいない。
カウンターの中で、星名こはるがエプロン姿のまま、入口を見つめている。
こはる「……来ない」
壁の時計を見る。
午後一時十二分。
こはる「夏休み初日のお昼なのに、お客さんが一人も来ない……」
店の奥から、祖母がグラスを拭きながら顔を出す。
祖母「十二分前にも、同じことを言っていたわよ」
こはる「十二分も待ったのに来ないんだよ?」
祖母「お店としては、十二分はそれほど長くないわね」
こはるはカウンターに突っ伏す。
こはる「わたしの初接客が始まらない……」
そのとき、入口のベルが、ちりんと鳴った。
こはる「いらっしゃいませ!」
今度こそ、と思って顔を上げる。
扉の前には、買い物帰りらしい親子が立っていた。小学生くらいの女の子が、店内をのぞきこむ。
女の子「星のカーテン、かわいい」
こはるの顔がぱっと明るくなる。
こはる「どうぞ! 冷たいレモンソーダもありますし、今日からわたしが接客を——」
母親が壁のメニュー表を見る。
母親「あら、パンケーキは今、やってないんですね」
こはる「あ……はい。昔はあったみたいなんですけど、今は」
女の子「パンケーキ、食べたかったな」
母親「じゃあ、向こうの新しいカフェに行こうか」
女の子は少し名残惜しそうに、星柄のカーテンを見た。
女の子「……またね、星のお店」
こはるの手は、まだ「こちらへどうぞ」と案内する形のまま止まっている。
店を出る前に、女の子が一度だけ振り返る。
ベルが、もう一度鳴る。
扉が閉まる。
星柄のカーテンが、閉まった扉の風で小さく揺れる。
こはるは、上げかけていた手をそのまま下ろせなかった。
こはる「……初接客、始まる前に終わった」
けれど、こはるは扉の方をもう一度見た。
こはる「でも、あの子、またねって言ってくれた」
祖母は何か言いかけて、けれど言葉にしないままグラスを拭き続けた。
それから少しして、入口のベルが鳴る。
こはる「いらっしゃいませ!」
勢いよく顔を上げる。
扉の前に立っていたのは、制服姿の月森すず。
片手にノートを持ち、冷静な顔でこはるを見ている。
すず「客じゃないけど」
こはる「すずでもいい!」
すず「よくないでしょ」
すずはカウンターへ近づき、ノートを差し出す。
すず「忘れ物。夏休みの課題」
こはる「わざわざ届けてくれたの?」
すず「店の前を通っただけ」
こはる「すずの家、反対方向だよね」
すず「……遠回りしたかったの」
こはる「もしかして、わたしが初接客で失敗してないか見に来た?」
すず「失敗する前に、お客さんが来てないでしょ」
こはる「ひどい」
すずは、客席に視線を向けた。
空っぽのテーブル。片付けられたままのメニュー表。入口近くに置かれた、少し古い星形の看板。
すず「……でも、こはるが一人で落ち込んでると思ったから」
こはる「え?」
すず「今のは聞かなかったことにして」
こはるがにやりと笑う。
すず「その顔やめて」
その瞬間、店の奥から大きな物音。
ドンッ!
天井から、白い粉がぱらぱらと落ちてくる。
こはる「今の何?」
祖母が天井を見上げる。
祖母「屋根裏かしら」
続いて、かすかな物音がした。
かりかり、こつん。
何かが箱の間を動いたような音。
こはる「……ねずみ?」
すず「この店、ねずみ出るの?」
こはる「出たことない、と思う」
祖母「あとで見ておくわ。古い箱がずいぶん置いてあるから、何かが崩れたのかもしれないわね」
こはるとすずは、もう一度天井を見上げた。
けれど、それきり音はしなくなった。
【喫茶ほしの灯・店内/夕方前】
すずは椅子に座り、ノートを開いている。
こはるは向かいに座り、視線を落としている。
祖母がカップを二つ、テーブルに置く。
こはる「……おばあちゃん。店、夏休みの終わりで閉めるって、本当?」
祖母は答えない。
代わりに、窓の外に目をやる。
祖母「あなたには、早く話しておかないといけないと思っていたのよ」
こはる「そんな話、聞いてない」
祖母「続けたいという気持ちだけでは、お店は続かないのよ」
こはる「でも、わたしが手伝えば——」
祖母「こはるが夏休みに手伝ってくれるのは、うれしいわ。でも、夏休みが終わったら学校があるでしょう」
こはるは言い返せなかった。
祖母は、客席をゆっくり見回す。
祖母「このテーブルも、椅子も、何度も直して使ってきたの。冷蔵庫も、もう古い。お客さんも、昔みたいには来ない」
こはる「直せばいいじゃない」
祖母「直すには、お金も体力もいるのよ」
こはるは、カウンターの端を握った。
祖母「あなたに、好きな場所を重荷にしてほしくないの」
こはるは立ち上がる。
こはる「でも、ここはずっと、おばあちゃんの店だったじゃない。わたしが小さいころからずっと——」
祖母「こはる」
祖母の声は穏やかだが、揺るぎない。
祖母「決めたことよ」
こはるは口を結ぶ。
すずが口を開く。
すず「お店を無理に続けるより、おばあさんの負担を減らす方がいいと私は思う」
こはる「すずまで……」
すず「感情で話しても、問題は解決しない」
こはるは視線を床に落とす。
カップの中で、紅茶が揺れている。
【喫茶ほしの灯・店内/夜】
客席の電気は消えている。
こはるは一人、雑巾でテーブルを拭いている。
こはる(ひとりごと)「続けたいだけじゃだめ、か……」
こはるは、窓際の席に目をやった。
小さいころ、祖母がそこに座らせてくれた。
足が床につかなくて、椅子の上でぷらぷら揺らしていたこと。
星柄のカーテン越しに入る光が、テーブルの上でゆれていたこと。
祖母が「いらっしゃいませの練習をしましょうか」と笑ってくれたこと。
こはるは、雑巾を握りしめる。
こはる「……わたし、まだ一回も、ちゃんとこの店の店員になれてないのに」
窓の外。夜の商店街は静かで、向こうの通りには新しい店の明かりが並んでいる。
こはるは手を止める。
天井の奥、屋根裏から、何かがもぞもぞと動く音。
こはる「……やっぱり、まだいる?」
ぱらぱら。また白い粉が落ちる。
かりかり、こつん。
昼間と同じ音だった。
こはる「ねずみだったら、どうしよう……」
こはるは少し迷ってから、脚立を持ってくる。
屋根裏の入り口を開ける。
暗い屋根裏。埃っぽい空気。
古い箱が積まれている。
こはるは、懐中電灯を向けた。
古い箱の側面には、手書きの文字が残っている。
『開店記念』
『夏メニュー』
『星形型 予備』
こはる「星形型……?」
手を伸ばそうとした瞬間、箱の奥で何かが動いた。
こはる「……ねずみ?」
がさっ。
こはるは脚立の上で固まる。
もう一度、がさがさっと音がした。
箱の隙間から、星のような小さな光がまたたく。
こはる「……光った?」
その奥で、何か小さなものが、星のしっぽのようにきらりと揺れた。
がさっ。
次の瞬間、白い毛玉のようなものが箱の上からぽろりと落ちた。
こはるは箱のふたを少しだけ開ける。
中は空だった。
こはる「……何もない」
その時、箱の奥で、何かがくしゃみをした。
【喫茶ほしの灯・店内(屋根裏から落下直後)】
小さな生き物が、こはるの足元で丸くなっている。
フェレットのような細い体。リスのような耳。
そして——しっぽの先が、星の形に光っている。
こはる「……何これ」
生き物は顔を上げる。
くりくりした目が、こはるを見る。
???「ここが……喫茶ほしの灯……なのです?」
こはる、固まる。
???「おなかが……空いたのです……」
【喫茶ほしの灯・カウンター】
こはるが作った失敗クッキーを皿に出す。
焦げていて、形も歪んでいる。
生き物はそれをじっと見て——ためらいなく食べ始める。
こはる「あの……名前は?」
???「ポラなのです」
こはる「ポラ……ちゃん?」
ポラ「ポラは星の配達員見習いなのです。この店に用があってきたのです」
こはる「配達員……?」
ポラ「流れ星に込められた願いを届ける係なのです。ただいま見習い中なのです」
威厳を出そうとしているが、クッキーのかけらが頬についている。
入口のベルが鳴る。
すず「忘れ物――」
扉を開けたすずが、ポラと目が合う。
長い沈黙。
すず「……ぬいぐるみ?」
ポラ「ぬいぐるみではないのです」
すずが止まる。
ポラ「ぬいぐるみはしゃべらないのです。常識なのです」
すずはゆっくりこはるを見る。
すず「これは……何?」
こはる「わたしも、さっき知ったとこ」
【喫茶ほしの灯・店内】
ポラがカウンターの上を歩き回っている。
すずは腕を組んで、距離を置いている。
ポラ「この店には、まだ届いていない願いがあるのです」
ポラが急に立ち止まる。
ポラ「あった、なのです」
床を見る。
小さな光の欠片。
親指の爪ほどの大きさ。青白く光っている。
こはる「何あれ」
ポラ「星のかけらなのです」
ポラがそっとしっぽで触れる。
光が広がる――
【喫茶ほしの灯・店内(幻視)】
一瞬。
店内の光景が、重なるように変わる。
同じ空間。でも、テーブルも壁も、すべてが新しい。
カウンターの中に、若い女性が二人立っている。
笑っている。
一人は――若い頃の祖母。
もう一人は、見知らぬ少女。
二人は星形のパンケーキを作っている。
声だけが聞こえる。
古いテーブルの傷が、すっと消えていく。
色あせたメニュー表が、真新しい紙の白さを取り戻す。
カウンターの奥で、若い祖母が笑っている。
隣の少女が、星形の型を掲げて、何かを言う。
けれど声は、水の中から聞こえるように遠い。
ただ一言だけ、はっきりと届く。
「もう一度、あの子と一緒に食べたい」
【喫茶ほしの灯・店内(現在)】
幻視が消える。
こはるとすずは、しばらく動けない。
こはる「……今のは」
ポラ「星のかけらに込められた願いなのです。まだ届いていない想いが、ここに落ちてきたのです」
すず「どういうこと?」
ポラ「叶えれば、星の光がこの店に戻るかもしれないのです」
こはるは、さっきの幻の中を思い出す。
祖母の笑顔。星形のパンケーキ。
こはる「……おばあちゃんが、誰かと一緒に作ってた」
ポラ「願いの持ち主を探して、届けるのがポラたちの仕事なのです。ただし――」
ポラはしっぽをぴんと立てる。
ポラ「ポラ一人ではできないのです。協力してほしいのです」
こはる「星の配達員なのに?」
ポラ「見習いなのです。見習いは、だいたい一人ではできないのです」
すず「開き直った」
ポラ「開き直りではなく、正直なのです」
こはる「わかった。やる」
すず「早い返事ね」
こはる「だって」
こはるは、店の壁を見る。
古い写真。色あせたメニュー表。
こはる「あのパンケーキを作れたら、手がかりになるかもしれない。それがおばあちゃんの記憶につながるなら、やってみたい」
すずはため息をつく。
すず「巻き込まれるつもりはないけど」
こはるが棚の上に手を伸ばし、バランスを崩す。
すず「っ――」
すずが素早く支える。
すず「……仕方ない」
【喫茶ほしの灯・カウンター】
祖母の古いメニュー帳。
三人で、ページをめくっていく。
写真のページ――星形のパンケーキが写っている。
こはる「これだ」
すず「レシピのページは……」
ページをめくる。
切り取られている。
綺麗に、はさみで切り取られた跡だけが残っている。
こはるはメニュー帳を見つめる。
ポラが星のかけらに近づき、しっぽの光をそっと当てる。
ポラ「願いの期限は、夏の大流星群が来る夜までなのです」
こはるはメニュー帳を両手で持つ。
こはる「それまでに、絶対に見つける。昔のパンケーキも、願いの持ち主も」
すずは横で、黙ってメニュー帳の写真を見ている。
ポラがクッキーをもう一枚取る。
ポラ「では、ポラも全力で手伝うのです。プリンの追加支給を条件に、なのです」
こはる「交渉するの?!」
すず「……プリンくらい出しましょう」
窓の外。
夏の夜空に、細い流れ星が一本、横切っていく。




