愛とは
「人生で初めての恋だった。そのせいで、不慣れな俺は君に声をかけるきっかけが掴めず、いつまでも見ていることしかできなかった。そうしているうちに父が倒れ、爵位を受け継いだ後の処理に追われ、君の様子を見に行くことすらできなくなった。漸く全てが落ち着き、君を救う手立てを本格的に考えはじめた頃には……君はゴレンの男と出会っていた」
アダルヘルムの瞳から、光が消える。
「大人しく諦めようと思った。君がゴレンの男に惹かれているのは一目瞭然だったから。助けたいと思いながら、一人きりで過ごす君を忙しさにかまけて放っておいてしまった俺より、塀を超えて会いに来るあの男に惹かれるのは当然だ。……だがゴレンの雲行きが怪しくなり、あの男の素性を調べたら、諦めるという選択肢はなくなった」
「カイザックの素性……?」
思わず声を漏らすと、彼は言い辛そうに眉を顰める。その顔は、まだ私の知らないカイザックの嘘があることを物語っていた。
「……あの男はゴレンの公子ではない、雇われの間者だった。城の情報を得るため、君に近付いたんだ」
「そんなっ……」
「君に名乗った『カイザック』という名も、恐らく偽名だろう。ゴレンでは別の名で過ごしていた」
私の持ち得るカイザックの情報が、全て嘘だったことを知り、言葉を失った。
私はあの人の何を見ていたのだろう。何を知って、恋しく思っていたのだろう。唖然とする心で彼の顔を思い浮かべた。その姿すらも嘘だったかもしれないと思ったら、もう顔なんて思い出せない。
アダルヘルムは固まる私の肩を撫で、こちらを見てくれ、というように優しく語りかける。
「君の孤独な心を利用しようとするあの男に、どうしようもなく怒りが湧いた。君とあの男が離れている間に、殺してしまおうかとも考えた。……だが、あの男を待つ君のことを思ったら、できなかった」
彼の手は震えていた。そして隠すように下ろされる。
「……手紙は、どうして貴方が持っていたの?」
もう彼を問い詰める気持ちは消失し、ずっと抱えていた純粋な疑問を投げかけた。
「離れの引き出しに入れていた、カイザックに宛てた手紙を、貴方が持っていたでしょう? 彼から奪ったと言っていたけれど、それはどうして?」
「…………」
アダルヘルムは一瞬だけ答えるのを躊躇い、けれど真摯に答えてくれた。
「……手紙を見つけたあの男が、内容も読まずに破り捨てようとしたからだ。仲間たちと笑いながら目の前で破ろうとするのを見たら、我慢ならなかった」
「……そう」
もはや悲しみすらもない、想像に容易い理由だった。カイザックにとって、私は都合のいい駒だったのだ……今はそう理解しているから。
「……あんなもの、捨ててくれればよかったのに」
「そんなことはできない」
「どうしてよ……。全部知っていたなら、あの手紙に認めた望みが、貴方は叶わないことを分かっていたはずなのに……」
「あの男のような真似はしたくなかったからだ。たとえ他の男に宛てた手紙でも、君の想いを踏みにじるような真似を、俺だけはしたくなかった。君の想いは、美しく尊いものだから」
私の心を柔らかい毛布で包むみたいな、優しいアダルヘルムの言葉。その柔らかな温かさに、私は泣きたくなる気持ちを抑え込む。
「……今回のことは、全て俺の甘さが原因だ。あの男が現れる前に、俺が君に声をかけていれば、君が想いを強くする前に早く始末していれば……君をここまで傷付けることもなかっただろう」
「でも……貴方はずっと……私のことを考えて……」
「考えるだけで行動しなかった俺の罪は重い。だから、君に恨まれる覚悟で全て黙っていた」
自分が一番悪いのだと主張したそうな、後悔に満ちたアダルヘルムの表情に、胸を打たれた。与えられたことのない過剰な優しさは、裏切りを知ったばかりの心に沁みてしまう。優しいあまりに損をしがちなのだろう、と彼の性格すら窺える。
「私、ずっと貴方に守られていたのね……。それなのに、酷いことを言って……」
「気にしなくていい。君の悲しみを受け止めるのが、俺の役目だ」
「……本当、貴方って私に甘いのね。何をしても怒らないのが不思議だったけど、なんだか納得がいったわ」
どこまでも甘やかす彼に小さく笑みを向ける。すると、眉間に皺を寄せた彼は再び私を抱き寄せた。恐ろしくも感じる顔とは裏腹の、壊れ物を扱うみたいな力で、ゆっくりと私の身体を包み込む。
「……俺の元へ帰ってきてくれ、ナサリー。今度こそ、俺が君に本当の居場所を作る」
「…………」
「ゴレンの男のことが忘れられないなら、それでもいい。あの男を想う君の絶望ごと、愛すと誓う」
私を抱き締める彼の誓いは、今まで聞いたどんな言葉よりも嬉しかった。このまま彼の甘さにつけ込んで、無性の愛というものを一身に浴びてみたいとすら思わされる。
しかし、私の中の罪悪感はまだ無くなってはいなかった。彼に愛してもらえる資格なんて、自分にはないという気持ちが捨てきれない。清く正しい愛を受け取るには、私の魂は穢れすぎた。
「正直……どうしていいか分からないの。貴方の愛に応えられるかどうかも……だって、ついさっきまで貴方のことを憎んでいたんだもの」
アダルヘルムの体に抱かれたまま、素直な気持ちを告げる。彼はピクリともしないが、その胸から脈打つ鼓動の音が伝わってくる。
「貴方のことも、使用人たちのことも、無関係な令嬢だって傷付けた私が、貴方に愛されて幸せになるなんて……まだ考えられない。……だけど、貴方のことを知りたいと思ってる。貴方の心を、嘘偽りのない想いを、今まで知ろうとしなかった分、きちんと知りたい。こんな自分勝手な私でも、貴方はまだ愛してくれると言うの……?」
アダルヘルムがどんな顔をしているか、見ることなく問いかける。すると、彼は頭上で小さく笑みを零した。
「これだけ愛を伝えたのに、まだ分からないのか? 俺は、君があの男に恋をするずっと前から、君だけしか見ていないんだ。たとえ君が最低最悪の悪女になり、俺の心を弄んだとしても、俺は君を愛するだろう。なぜなら、俺が愛した女性は、ナサリー……君だけだからだ」
とても穏やかな声で私を包み込む彼を、抱かれながら覗き込んだ。初めて見た彼の笑顔は、溶けそうなほどに甘く切ない。
「君がどんな人になったとしても、俺は君を愛すると誓う。生涯をかけて……」
アダルヘルムはそう言って、私の瞳をまっすぐ見つめた。惚ける私は、焦がれる胸の苦しみに唇を噛む。
あぁ……真実の愛とは、なんて重く苦しいのだろう。私が本物の悪女になろうと、彼は変わらず愛し続けるというのだ。盲目的で、独善的である。
――けれど、優しくてあたたかい、確実的な想いだった。
「……悪女になった私すらも愛するなんて、変な人」
「君が傍にいてくれるなら、俺は変でいい」
「ふふっ……ますます変だわ」
自分から彼の胸に顔を埋めると、子供のように頭を撫でられる。
「……そういえば、まだきちんと謝っていなかったわね。ごめんなさい」
「いい、元より気にしていない」
「屋敷に戻ったら、皆にも謝らないといけないわ」
「――!! ……ああ、そうだな。俺も一緒に謝ろう」
私を抱き締める腕が、僅かに力強くなる。
真実の愛が、こんなにも満たされるものだなんて知らなかった。彼の告げる愛は誰よりも重く、そして私にとって酷く心地のいいものだった。
これから先はきっと良いことばかりではない。最低最悪の悪女を演じたせいで、彼の未来も潰してしまうかもしれない。
けれど、散々傷つけてしまった彼が、私と共に過ごすことを望んでいるのなら、私も応えてみたいのだ。逞しい見目に反する純粋な心根の彼を、私も心の底から愛してみたい――。
嘘だらけだった恋を失った私の、新たな希望となって、先の道は照らされる。
拗れに拗れた私と彼の婚約は、こうして継続されることとなったのだった。
こんにちは、鈴木です。
「最低最悪の悪女を演じたら別れてくれますか?」を最後までお読み頂きありがとうございました。
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