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第25話 月ごとの催しの影

(雨あがりの屋根から、ぽた…ぽた…と雫が落ちる音)


「……では、来月の催しについてだ」


板の机の向こうで、腹の出た男がどすんと腰を下ろした。

木の椅子がぎい、といやな音を立てる。


ここは村の集会小屋。

湿った木の匂いと、濡れた靴の泥の匂いが混ざっている。


「王都からの助け金は、今月も滞りなく届いた」


男は、手元の羊皮紙を指でたたいた。


「せっかくの御恩だ。

 来月も、いつも通り一日、市を立てる。

 それでよいな?」


ざわ…と、周りの村人たちが小さくざわめく。


「またかよ……」

「畑が押してんだぞ、もう春だってのに」


押し殺した不満が、喉の奥で泡立つような声になって洩れる。


エメリクは、机の端に肘をついて男を見た。


「“いつも通り”って言うけどよ」


(指で机をとん、と小さく叩く音)


「仕込みに三日、片付けに二日。

 市そのものは一日でも、結局、ひと月のうち五日は潰れてんだ。

 王都の連中はそれ、知ってんのか?」


「そこは村の工夫だろう」


男は笑って肩をすくめた。

肉のついた頬が揺れる。


「昼は畑、夜は準備。

 若い者は夜の方が目が冴えると聞くぞ」


「あんた、しゃがんで草むしりしたことないだろ」


後ろの方で、腰の曲がった婆さんがぼそっと言った。


「三日続けて夜更かししたら、翌朝は腰が動かんのよ」


笑いが起きかけて、すぐ消える。

誰も、心からは笑っていない。


エメリクは振り返らずに、声だけを集める。


「粉屋の叔父さんとこは?」


「小麦挽きが追いつかん。

 市の分を優先したら、普段のパン屋に怒られたわ」


「肉を出してる家は?」


「燻製用の薪が足りん。

 山に入る日は、畑が見られなくなる」


「香草の女たちは?」


「束ねる指がつる。

 でも見た目よくしろってギルドに言われるしよ」


口々の声が、湿った室内で重なる。


腹の出た男――ギルドの代表は、苦笑いを浮かべた。


「お、お前たち。

 少し苦しいくらいが、村のためになるんだ。

 王都から出る金は、そう簡単にゃもらえんのだぞ?」


「その金、誰の箱に入ってる?」


エメリクの声が、静かに刺さった。


(ざわ、と空気が揺れる)


男は咳払いをして、視線を泳がせる。


「も、もちろん村のためだ。

 教会の修繕、石畳の整備、そういったものに――」


「じゃあ聞く」


エメリクは机の上に一枚の紙束を置いた。


(紙が擦れる音)


「先々月から、市で取った出店料と、王都からの助け金。

 全部、書きつけてある。

 書いてくれたのは、ギルドの若い書記だ」


奥の方で、細い青年がびくっと肩を震わせる。


「お、おれは言われた通りに数字を並べただけで……」


「責めてない。助かってる」


エメリクは手を振って青年を座らせた。


「問題はこっちだ」


紙束の一番後ろを、ぱさりとめくる。


「教会とギルドの取り分は、しっかり書いてある。

 王都に送った報告書の数字も、立派なもんだ。

 村人の取り分だけが、どこにも無い」


沈黙。


薪のはじける音だけが、隅の炉から聞こえてくる。


「村の分は、各々の懐に入るものだろう」


ギルド代表は、苦みばしった笑いを浮かべた。


「いちいち書きとめる必要はない。

 商売は腹の中でやるもんだ」


「腹の中でやった結果、腹を空かせてる家がある」


エメリクの声が低くなる。


「去年の冬、小麦が足りなくて隣村から高く買った家、俺は知ってる。

 市で一日中焼き台に張りついて、その日の売り上げで

 やっと借金を返した家も知ってる。


 その家に、『王都は賑わいを喜んでいる』って言うのか?」


「エメリク」


少し湿った声が、戸口の方から響いた。


開けっぱなしの戸から、冷たい空気と一緒にヨハンが入ってくる。

司祭服の裾についた水滴が、床にぽとりと落ちた。


「賑わいは、祝福だ」


ヨハンは壁際に立ち、皆を見渡す。


「人がこの村に来て、灯がともり、歌が響き、

 この村の名を覚えて帰る。


 それが続けば、いずれ川上の者も、この地を無視できなくなる」


「水の話か?」


エメリクは鼻で笑った。


「兄上はいつも、川の先の話ばかりだ。

 川下で泥をかぶってる俺たちの顔は、見えてるか?」


ヨハンは、ゆっくりと目を細める。


「見えている。

 だからこそ私は、助け金を取り付けている」


「その助け金が、誰の手で止まっているかって話をしてる」


エメリクは紙束を指先で持ち上げる。


「兄上。

 教会に入っている分、俺に見せてくれないか?」


ざわ、とまた空気が動く。


村人たちの視線が、一斉に二人に向く。


ヨハンは短く息を吐いた。


「……ここで箱を開けるのは、火に油を注ぐだけだ」


「じゃああとでいい。

 皆の前じゃなくていい。

 俺一人で見る。

 村の長として、知っておきたいんだ」


少しの間。

雨だれの音だけが、屋根の上で続く。


ヨハンはやがて小さく頷いた。


「鐘が二つ鳴ったころ、教会に来い」


エメリクの胸に、ほっとするような、

同時にざらりとした不安も生まれる。


ギルド代表が、場を変えようと咳払いをした。


「ま、まぁ、その話は兄弟でゆっくりやってくれ。

 わしらとしては、とにかく催しを続けねばならんのだ。


 王都の役人は、『毎月、市が立っているか』しか見ておらん」


「だったら、せめて回数を減らせ」


エメリクは机から身を乗り出す。


「春と秋の収穫前後と、冬の市。

 年に三度でいい。

 畑も人も、それなら回る」


「助け金は“毎月”出るのだ」


代表が声を荒げる。


「受け取らねば、次の年から切られるやもしれん!

 お前は王都の怖さを知らんのだ!」


「怖いのは王都じゃない」


エメリクは静かに言った。


「来月の種が買えなくなることだ。

 子どもの腹が空くことだ。

 それを“祭りの代償”って言うのか?」


会議小屋の隅で、誰かの喉がきゅっと鳴る。


ヨハンが壁から背を離した。


「エメリク」


「なんだ」


「お前は風だ。

 淀みを嫌い、滞りを嫌う。

 それはこの村にとって必要なことだ」


そこまで言ってから、兄は言葉を切る。


「だが、風が強すぎれば、火も灯も吹き消す」


「消えて困る火なら、もっと太くしておけ」


エメリクは兄の目を真っすぐに見た。


「たった一度、数字を見せるだけで消える火なら、

 最初から頼るべきじゃない」


(ざわ…ざわ…)


ギルド代表がたまらず立ち上がる。

椅子ががたん、と鳴る。


「と、とにかく!」


彼は手を振り上げ、皆を見回した。


「来月も市はやる!

 日程は……いつものように月の半ばだ!


 くじけそうな者には言ってやる。

 これは村のためだ。

 少しくらいの疲れや赤字、飲み込んでこそ大人というものよ!」


村人たちは顔を見合わせる。

反論する声も出ない。

ただ、重たい息だけが、あちこちから漏れる。


エメリクは、その音を一つ残らず聞いた。


「……分かった」


ぽつりと呟き、椅子を引いた。


「じゃあ俺は、“どれくらい飲み込ませてるか”を見に行く。

 今夜から、店を出してる家を回る。


 いくら仕入れて、いくら売って、いくら残ったか。

 全部、聞いて回る」


ギルド代表が青ざめる。


「や、やめろ、そんなことをして何になる」


「何も変わらないかもしれない。

 でも、知ってるか知らないかは違う」


エメリクは戸口に向かって歩く。


「兄上」


振り返らずに呼ぶ。


「今夜、集めた数字を持って行く。

 鐘が二つ鳴ったら教会で待っててくれ」


「……分かった」


ヨハンの返事は短かったが、濡れた地面みたいに重かった。


(戸がきしんで開く音)(外から冷たい風が吹き込む)


外は、雨雲がまだ低く流れている。

遠くで川の音が、ごうごうと絶え間なく続いていた。


エメリクは、濡れた石畳を踏みしめながら歩き出した。


「毎月毎月、“村のためだ”か」


小さく吐き出した息が、冷たい空気の中に消える。


「村のため、じゃなくて――

 村の誰のためか、はっきりさせようじゃねぇか」


足音が、暗くなりかけた道に遠ざかっていった。

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