殺気がダダ漏れだぜ?
さて、バルバトスのおっさんは「あとは任せな」とかっこよく去って行ったが、この五日間であのおっさんに任せるとひどい目に合うほうが多いというのは理解した。
ならば最悪この城から逃げ出す準備をしなければならない。逃げるには何が大切か。そう金目の物だな。
セルバスさんはエルが処刑になることはないと不確かながら思っている。処刑されるのならたぶん俺がどうこう動いても無駄だろう。無論本当に処刑されるならば、エルのために動かずにはいられないと思うが状況が確定するまではここに留まろう。
しかしそれ以外なら一度撤退をして困った時のアイーシャママに頼らざるを得ない。アイーシャママはドン引きする行動をよくするが裏を返せば頼りになるので信頼感は高い。そのアイーシャママに媚を売るためにもまず金目の物が必要だ。
とりあえずこの部屋から見て回ろう。といっても認識疎外の魔道具はエルがつけっぱなしなのでこの部屋しか見て回れないが……。
応接室だけあって持ち運びのできる貴金属や宝石類などは見当たらない。ソファーの装飾に金が、テーブルの縁に金の装飾が施されルビーやエメラルドのような宝石が散りばめられているがどれも取れそうにない。
絵画はどうかと目の前に立つが、大きさが縦一メートル、横六十センチほどでこんなものを担いで逃げるのは間抜けすぎるだろう。絵画の裏にへそくりや隠し金庫がないかと思ってはずそうとしたがびくともしなかった。
部屋の隅に置いてある白い花を活けている青磁の花瓶はどうだろう。この世界にも焼き物のワビサビがあるようだ。なければこんな見事な焼き物は生まれていないだろう。
この感嘆の声を上げざるを得ない流れるような曲線美、まるでしなやかな女性のような美しさを醸し出している。さらに凛としたその存在感で空間を引き締めそこにほどよい緊張感をもたらしている。見る者の目をを吸い付けるような淡い青は母なる海の安らぎを思わせる。またその青が活けられている白い花の魅力を何倍にも押し上げていることだろう。これほど見事な芸術品に値段をつけることなどできようはずがない。
と、ぐだぐだそれっぽいことを考えてみたが花瓶の値段なんてわからないし、こんなすぐ割れそうなものを持って逃げるなんてできるわけがない。
結論は最初から分かっていたが、この部屋の中で俺が盗み出せるものなど何一つなかった。バルバトスのおっさん達がいなくなって暇になったので部屋をうろうろするしかないのだ。
ふと窓の外を見ると城下町と崩れた王城の一角が目に飛び込んでくる。崩れた王城は数人の大工が補修をしている。エルがいなくなったら彼らは職を失うんじゃないだろうかと余計なお世話な心配をしてしまった。
部屋の中を見て回るのも飽きたのでソファーの背もたれに手をかけてだらける。改めて部屋を一瞥し、しゃんと立って腰に手を当てる。
「いるんだろ? 出て来いよ。殺気がダダ漏れだぜ? 壁の裏に一人……、天井にも一人、いや二人か?」
部屋の中に緊張が走る。だが奴らは動かない。いや動けずにいるのだ。少しでも動いて気配を出したらその瞬間に殺されると理解しているのだから。
俺は天井の一点を見つめ死の宣告をする。
「やれやれ、後悔するなよ? 呼んでも出てこないお前らが悪いんだからな」
――ガチャリ
「お呼びしましたでしょうか?」
扉を開けて先ほどお茶を淹れてくれたメイドさんが入ってくる。
「い、いえ、あの、なんでもありません……」
「そうでございますか。では失礼いたします」
メイドさんはくるりと華麗にターンをして扉へ向かう。扉を閉める寸前に止めて隙間から薄ら笑いを浮かべこちらを覗き見てくる。
「壁の裏にも天井にも誰もいませんよ」
――バタン
俺は恥ずかしさのあまりまた貝になった。だってしょうがないじゃない。一度やってみたかったんだもん……。
完全に一人だと思ってはっちゃけてしまったところをメイドさんに聞かれる羞恥プレイをしてから約十分後、いきなり扉を開けて一人の男が飛び込んできた。貝になっていた俺は慌てて飛び起きその男と対峙する。
まず目に入ったのがエルと同じ形の山羊のような角だった。ふんわりとした深緑の髪に凛々しい紫色の瞳、均整のとれた顔の造りは世の女性を虜にしてしまうだろう。少し日に焼けた肌がこの男の魅力をさらに高めている。立派だがいたるところに傷がついている黒のハーフプレートアーマーを着込み腰に剣を差している。
エルの言っていた兄上だろうとあたりをつける。しかしもしかしたら大穴で父上かもしれない。見た目若い年寄なんてそこらへんにはいっぱいいるのだ。男を窺い見ているといきなり右手が武骨な両手で包み込まれた。
「君がブルーノか?」
「違います」
どんな間違いだ。あんな変態と間違われるとは末代までの恥ですよ。
「俺は陽介です」
間近で見ると本当にイケメンだな。こんな顔で生まれたら人生もさぞ楽だろう。だがエルの兄として生まれたら人生もさぞ辛かろう。
「君が陽介か! あのアホを引き取ってくれる救世主の」
喜び一色に顔を塗りつぶしたイケメンが俺を力強く抱きしめてきた。鎧が体に食い込んでものすごく痛い。
後ろでさっきのメイドさんがこっちを窺っている。うっすらと上気した頬に手を当てて目を輝かせている。なぜだ?
「アホ……というのはエルのことですか?」
それ以外には考えられないが……。
「聞いていた通り言葉がうまいな。もちろんそうだ。君のおかげで我が国の憂いがなくなった。これでカウワイとの戦争に集中できる」
いい加減離れてもらえないだろうか。力いっぱい押しても全然びくともしない。圧迫されて苦しい。
メイドさんが横に来て鼻息を荒くしている。いいから助けろ。
「殿下、まず名乗られてはいかがでしょう」
「おお、そうだったな。すまん陽介、嬉しさのあまり忘れていたようだ」
やっと解放された。押しつぶされていた胸に空気を勢いよく吸い込んだ。
メイドさん、ありがとう。君のおかげで助かった。
「殿下、そのような格好をしていては陽介様が委縮してしまいます。私が預からせていただきますのでお脱ぎください」
「そうなのか? では脱ごう」
颯爽と鎧を脱ぎ捨て腰の剣とともにメイドさんに渡す。メイドさんは丁寧にそれらを床に置いていく。預かるってそういうこと?
推定エルの兄上は身軽になってこちらを振り向く。
「はじめまして陽介。私の名はダレス。残念ながらアホの兄をしている。ダレスと呼び捨ててくれて構わない」
「改めまして陽介です。よろしくお願いしますダレス」
「敬語も不要だ」
俺は差し出された右手を握り返す。先ほども感じた武骨なこの感触がこの人が相当な鍛錬をしていると教えてくれる。
予想通りエルの兄上だったので、特に驚きはしなかったが王子自らここまでの研鑽を積んでいることに戦争の過激さの一端を感じさせられた。それに敬語を不要というダレスに親近感を覚えてしまう。
メイドさんは何か不満げな様子でこちらを見ている。
「殿下、握手では陽介様の心は開きません。先ほどのように強く抱擁をなさってください。なぜわざわざ鎧を脱いだのかをお考えください。でなければエル様のようになりますよ」
「そうか、わかった。アホのようにはなりたくないからな。では陽介、いくぞ」
「く、ぐえ」
――がばっ
来るな、と言う前に抱き付かれる。鎧がない分だけ痛くはないがダレスのぬくもりが伝わってくる。どきどき。
メイドさんに文句を言おうとするが無駄に力強く抱きしめられているせいでうまく言葉がでない。
「殿下今です。陽介様の心が少し開きました。すかさず口づけをするのです」
顔を赤らめ興奮した様子でメイドさんが戯言をぬかす。こいつぁやべぇ、腐った臭いがぷんぷんしやがるぜ。
「な、にを……」
「口づけだと? 何を言っているんだ。私にそんな趣味はないぞ」
よかった。ダレスがちゃんとまともな性癖でほんとよかった。
「お言葉ですが殿下。このままではせっかく開きかけた陽介様の心が閉じてしまいますよ。それでもよいのですか?」
「言っている意味が全然分からないが?」
「はな、し……」
俺にも全然わかりません。ダレスはさっさと俺を放して。
「いいですか殿下、私は心の機微に非常に敏い種族です。陽介様の心の揺らぎが手に取るようにわかってしまうのです」
「う、そを……」
嘘つけ。それなら俺の今の心がわかってるだろうよ。
「ふむ、それで?」
「そして陽介様が心を開かなかったとき、我がマギラスに失望してエル様を置いて単身でエスパデルに帰ってしまうことでしょう」
「何だと!? アホを置いていくのは困るぞ!」
「ちゃん、と……」
何を真に受けているんだ。正気に戻れ。ちゃんと考えろダレス。
「そこで殿下が陽介様の心を開く必要があるのです。心と体は密接な関係がございます。心を開かせることは口を開かせることと一緒、つまり殿下は陽介様の口をその舌で開かせることができれば陽介様の心も開かせることができるのです」
「そんなわけがないだろう。お前、頭は大丈夫か?」
「さ、さと、はな……」
やったぜダレス。お前の正常さに感謝感激感動の嵐だぜ。でもさっさと抱くのをやめて放してくれ。
「殿下は武には秀でておりますが政には疎いご様子。全ての鍛錬はまず模倣からと申します。このやり方は我々の間では非常にポピュラーなものです。ですのでまず深くお考えにならずやってみてはいかがでしょう?」
「確かに政治には疎いが……本当にそうなのか?」
「ち、が……」
違います。これは絶対違います。我々の間ってなんだよ。だから威厳をもって叱りつけて!
「でなければエル様のようになりますよ」
「それだけは嫌だ。仕方がない……、こんなことはやりたくはないが……陽介、心を開いてもらうぞ」
「ば、やめ……」
納得した!? これがアホの子の威力!? いやダレスもアホの子の血族。この様子を見るにアホの子ほどではないにしろアホに違いない。
や、やめろ……顔を近づけるな!
「そこです殿下! さあ早く殿下の舌で陽介様の口を蹂躙するのです! 殿下のいやらしい舌使いで憎き人間を快楽の海に沈めるのでぇぼぉ!」
メイドさんの体が突然吹っ飛んで床をものすごい勢いで転がりどでかい音を立てて壁にぶつかった。ピクリとも動いてないが死んでようが死んでいまいが関係ないので心配などしない。あんな腐れメイド、もし生きていたとしても今の衝撃で記憶を全て失い人生をやり直してもらいたい。
「ダレス殿下、陽介様をお放しください」
セルバスさんが扉の所で左手を広げこちらに突き出して立っている。床には何も落ちていないので魔法でメイドさんを吹き飛ばしたんだろうか。右手には首根っこを押さえられて引きずられているエルの姿がある。エルはだらんとしていてまるで力が入っていないように見える。
「しかしセルバス、陽介の心を開かねばそのアホを置いて帰ってしまうぞ」
「そのようなことをしていては逆に陽介様の心が閉ざされてしまいますよ。ダレス殿下はアホなのですか? エル様と同じなのですか?」
ダレスは俺を開放すると心外だとばかりにセルバスさんに抗議する。どうやらエルと同じにされるのが本当に嫌なようだ。
「いやアホではない。私だっておかしいとは思っていたんだ。騙された振りをしていたにすぎん」
「嘘つけ! 完全に騙されてただろ!」
「陽介様の言う通りですな。ダレス殿下は物事をしっかりと見定める癖をつけたほうがよいでしょう。でなければ戦場で敵に手玉に取られてしまいますよ」
「……わかった。反省しよう」
セルバスさんはずるずるとエルを引きずりぽいっとソファーに投げる。エルは寝てはいないがいつもの元気はまるでなく薄らと涙を浮かべている。
セルバスさんはそのまま歩みを止めずメイドさんを起こしあげ活を入れる。メイドさんは起き上がり周囲を、いや俺とダレスを見てがっかりした表情をした。
ちっ、記憶を失っていなかったか。
「新しいお茶を持ってきなさい」
「畏まりました」
今までの事を素知らぬ顔で優雅に一礼して退出していく。あんなに派手に壁にぶつかって平気だなんてあなどれない変態だ。
「セルバスさん……。あの人クビにしたほうがよくないですか?」
「あれは頑丈なのでなかなか重宝するのです。減給程度で何とか納得していただけるとありがたいのですが」
この城では耐久度が雇用の要因なのか。たぶんエルのせいだ。頑丈でなければすぐに怪我で退職するか行方不明になるのだろう。
「さてダレス殿下、あまりにも嬉しかったのは理解できますがいきなり飛び出していって陽介様に詰め寄るのは些か行儀がなっておりませんよ」
「す、すまん。セルバス……」
ダレスはセルバスさんに頭が上がらないようだな。セルバスさんはエルの教育係と言っていたが他の王子や王女の教育もしていたのかもしれない。
「謝るのは私にではなく陽介様にでしょう」
「そうだな。すまん陽介」
「いや、別にいいよ。未遂で終わったし、頭をあげてくれ」
「そう言ってもらえると助かる。なら改めて話をしていいか?」
ダレスはにこやかな顔でソファーに座りこちらを伺ってきた。エルがどうしてあんな風にになっているのかも気になるので話すを聞こう。
「そうだな。そういやさっき言ってた救世主ってのは何?」
「陽介はこのアホと結婚したんだろう? このアホを引き取ってくれる者を救世主と言わず何と呼べばいいんだ」
「英雄でも構わないと思いますよ。ダレス殿下」
「確かにそうだな!」
エルと結婚しただけで英雄だと!? きっとエルがまた「結婚したのじゃ、夫婦なのじゃ」とでも言ったのだろう。だが結婚ってただの勢いで言った冗談だし……でも今更そんなことを正直に言ったらただでは済まないだろうし……。どうお茶を濁せばいいのやら。
俺が頭を悩ませているとダレスが不思議そうな顔をして聞いてくる。
「なんで二人は座らないんだ?」
「ぶっふ、んっんー、失礼」
セルバスさんは笑いの沸点低いな! ほんと失礼だよ!
「……訳ありってやつだよ」
「そうか、ならしょうがないな」
納得するの早いなぁ。だからメイドさんにあっさり騙されるんじゃねーの?
「ようすけ~……」
今までおとなしかったエルがようやく口を開いた。しかしまるで元気がない声に心配になってしまう。
「アタシ、王女じゃなくなった……」




