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三日目 3

――15


 北関東科学大学の正門前でタクシーは停車した。先生がタクシー代を払い、俺と先生はタクシーを降りた。素子さんが午後に退院するということで一旦大学に戻り準備を整える事にした。

「そういえば、藤堂先生もブルードルフィンの開発チームの一人だったんすよね?」

「ああ、彼は昔私の研究室に所属していてね、研究を手伝ってもらっていたよ」

「藤堂先生はブルードルフィンの事何かご存じないですかね」

「うーん、どうだろうね。正直補助的な事しか頼んで無かったからねぇ」

 それでも、何かしらのお話が聴けるならありがたい。どんな小さな情報でも欲しいところだし。ところで、藤堂先生はもう大学に来ているのだろうか、話を聴きたくても本人がいなければ意味が無い。「先生、先に研究室に行っていてください。俺はちょっと寄るところがあるので」

俺は研究室に行く前に大学の事務所に寄ることにした。藤堂先生が大学に来ているかどうかを知るにはその方が早いと思ったからだ。というわけで、大学のエントランス横にある事務所で藤堂先生がいらっしゃるかを訊いてみた。

「藤堂先生ですか? えーと、実は昨日から連絡が取れなくて私達も困ってるんですよ」

 事務員さんが困った様に言う。

「え? 連絡が取れない? 確か、体調を崩されてるみたいなことは聞きましたけど」

「体調を崩されてる? そんな事今聞きましたけど本当ですか?」

 あれ? 藤堂先生は大学には伝えてなかったのか?

「はい。竜崎さんがそう言ってましたよ」

「……竜崎?」

 俺が竜崎という名前を出した途端、事務員さんは怪訝な表情を見せた。

「あのすいません、竜崎さんってどちら様ですか?」

「いや、竜崎神奈さんですよ。神ノ宮中央医科大学から藤堂先生の研究室に研究をしに来ている」

「えーと……ごめんなさい。その竜崎神奈さんって方がこの大学に勉強や研究等の目的で来ているという記録はありません。誰かと間違えてませんか?」

「……え?」

 事務員さんの言葉に呆気にとられ、間抜けな声が出てしまった。どういう事だ? どうして竜崎さんの情報が無い?

「あ……すいません、自分の勘違いでした。失礼しました」

 俺は適当にごまかすと、事務所を後にした。

 俺は腹の底から湧き上がってくる気持ちの悪い感覚に耐えつつ、研究室に戻った。

「先生、藤堂先生の連絡先ご存じですか?」

「うん? 知っているが、どうしたんだ急に?」

「すいませんすぐに連絡を取ってもらえませんか」

「あ、ああ、わかった」

 俺は明神先生に多少強引にお願いし、藤堂先生に連絡を取ってもらった。明神先生は携帯電話を取りだし、電話をかける。

「ん? ありゃ?」

「どうしました?」

「いや、それが電話が通じないんだよ。電波の繋がらない所にでもいるのかね」

「……マジすか」

 先生の返答を聴き、俺の中の不安がますます大きくなっていく。

「どうした黒野君。何だか顔色が悪いぞ」

「先生、これは俺の憶測なんすけど、もしかしたら藤堂先生は素子さん同様、事件に巻き込まれてるかもしれません」

「な、それは本当かね?」

「あくまで憶測です。その可能性があるって話です」

 しかし、時間が経過するごとにますます大きくなっていく不安。じっとしているのが耐えられなくなってくる。

「先生、急ですけど俺、素子さんの所に行ってきます」

「もう行くのか、わかったくれぐれも無茶はするなよ」

「はい」

 先生に返事をし、研究室を後にした。早いとこ素子さんに会って事情を説明した方が良さそうだ。



「あの女が怪しい」

 大学で事務員さんから聴いた事と藤堂先生に連絡がつかない事を素子さんに話すと、素子さんは少し思案した後そう言い放った。

俺が病室に戻った時には、素子さんはすでに寝巻から普段着に着替え、退院の準備をしていた。

「ちょ、ちょっと素子さん、あの女って竜崎さんの事?」

「当たり前だろ、そいつ以外に誰がいるんだよ」

「いや、でも怪しいって」

「怪しいだろ? 大学の方に一切の記録が無い、おまけにそいつが世話になってるって言ってた藤堂先生も連絡がつかない。それとこれはアタシの見解だが、その竜崎って女、アタシの事を襲ってきた奴かもしんないな」

「はぁ? いや、それは……」

 素子さんの突拍子もない一言に言葉が出なかった。

「あの時は酔ってたし、暗くて顔もわかんなかったが、背丈は同じくらいだった。男にしちゃ小さいし細身だったってのと、初めてあの女を見た時の背格好はよく覚えてる」

「いや、いやいや、流石にそれはぶっ飛び過ぎでしょ。いくらなんでも竜崎さんは関係……」

「関係無いか?」

 素子さんは鋭い目つきでそう言う。お前の考えなんざお見通しだと言わんばかりの眼だ。が、すぐに目を閉じると「ハァ」と呆れた様に溜め息を吐いた。

「ホント、アンタの頭の中はめでたいね。わかった、じゃあアタシの事を襲った奴かも知れないってのは百歩譲って無しにしてやろう。だが、その竜崎って女がブルードルフィンに関与しているかも知れないってのはアンタも思ったはずだ。そうだろ黒野」

「それは……」

 素子さんの言う通りだ。大学の事務所で話を聴いた時点で俺はそう思っていた。だが、無理矢理抑え込んだのだ。その考えを。杞憂であって欲しいという思いがそうさせた。

「だったら、重要参考人として話を訊きに行ってもいいんじゃないか?」

 素子さんは俺の横を通り、病室の出口に向かう。

「ちょっとどこ行くんすか」

「話を訊きに行くって言ったろ。さあ行くぞ」

 素子さんは病室のドアに手を掛けると勢いよくドアをあけた……のだが、何故か外に出ていこうとしない。それどころか、ドアを開けたままの姿勢で固まっている。変に思い俺は素子さんの後ろから頭を出して覗いてみた。

「どこへ行くってぇ?」

そこに居たのは腕組みをし目を細め素子さんを睨みつける内海さんだった。かなり怒っているのか目尻がピクピクと痙攣している。

「あ~いや、その~もう退院だしさぁ、ほら早く病室出ていかないと病院に迷惑かかるっていうか……」

 内海さんに睨まれしどろもどろになる素子さん。こんな素子さんは珍しいな。

「言い訳ご苦労。さっきの会話は聞こえてたわ。貴女が素直にいう事聴く訳ないものね」

「は、はは……」

 素子さんは乾いた笑い声しか出ないようだ。

「貴女の考えなんてお見通しなのよ。……それよりも」

 素子さんを睨みつけていた内海さんの眼が今度は俺の方を向く。

「黒野君、少し訊きたい事があるのだけどいいかな?」

「あ、はい何でしょう」

「さっきの話に出てきた竜崎さん……だっけ?その人の事詳しく知りたいのだけど」

「え? 何でっすか?」

「オネガイ、シリタイノダケド」

 素子さんのせいで内海さんは相当キてる様だ。これ以上怒らせない為にも素直に言う事にした。

「えっと、俺もそんなに詳しくは知らないっすけど、神ノ宮中央医科大学からうちの大学に勉強しに来てるって本人は言ってました。まあ、さっきの話でも言いましたけどそれは嘘だったみたいで」

「うん、わかったわ。ああ、それと外見というか容姿とかも教えてくれるかな」

「外見っすか? う~ん……髪型はロングで先端だけ軽くウェーブがかかってる感じで、ああ、後、夏のクソ熱い日でも長袖とロングスカートを着てました。ついでに、かなり美人です。……それで、内海さんはどうして竜崎さんの事を訊くんすか?」

「やっぱり一致している? となると……」

 内海さんは俺の話を聴いた途端、考え込みブツブツと独り言を呟きだした。

「あ、あの~内海さん?」

「悪いけど、私も貴方達と一緒に行かせてもらうわ」

「え! 何で?」

「文句ある?」

 内海さんがついてくると聞いて、俺と素子さんは困惑した。また素子さんが無茶しないように監視するためなのだろうか。

「いやいや、俺からも言わせてもらいますけど、どうしてまた?」

「私が神ノ宮での失踪事件を捜査しているのは知ってるわよね?」

「ええ、それでうちの大学に聴き込みに来たんすよね」

「そう、それでねさっき貴方達の会話を聞いていたら、引っかかったのよ。以前、聴き込みをした時に得られた情報でね。ある失踪者が失踪直前、一人の女性と一緒に居たことがわかってるの。髪の長い、長袖ロングスカートの女性と居たことが」

「はい? まさか、内海さんまで、竜崎さんが何かしらの事件に関わってるって言いたいんすか?」

「まあ、偶然って事もあり得るし、とりあえずお話だけでも訊きたいの。という訳で私も連れて行ってもらいます」

 内海さんはそう言うとくるりと方向転換しエレベーターがある方へと歩き出した。

「それじゃあ私は駐車場で待ってるから早く来てね。それと、もし逃げたらどうなるかわかってるわよね?」

 そのまま内海さんはエレベーターに乗って行ってしまった。

「マ、マジか」

「逆らわない方が良いっすよ」

 観念したのか、素子さんはエレベーターに向かいゆっくりと歩き出した。それにしても、一体どうなっているんだ?片やブルードルフィンの重要参考人、片や失踪事件の重要参考人の竜崎さん。もうあれこれ思案するより、素子さんや内海さんの様に直接会って話を聴いた方が早いだろう。




 素子さんは病院でお会計を済ませると俺と内海さんの待つ駐車場に嫌々ながら歩いてきた。

「それで、まずはどこへ行くんすか?」

「う~ん、その事なんだけど、まだ目星がついてないのよね」

 出発する前に暗礁に乗り上げるという事態に陥る俺達一行。竜崎さんの連絡先を誰も知らない時点で苦労しそうだ。

「そうそうウッチー、さっき言ってた目撃証言って、何時何処での話? それとその失踪者ってのも知りたい」

「こういう事は外部の人間に話しちゃまずいんだけど、まあ仕方ないか。まず、目撃場所だけど、深夜の神ノ宮市街地目撃されてるわ。後、その失踪者の名前は青木カズオ、十九歳無職、過去に数回の補導歴あり、更には保護観察処分も受けてる。所謂、街のゴロツキってところかしら」

「ふーん、街のゴロツキねぇ。それなら黒野、白河クンに訊いてみたら? 夜の街の事とか知ってるでしょアイツ」

「そうですね一応訊いてみましょうか」

「ねぇ黒野君、シラカワって誰?」

「えーと、まあ俺の友人です」

「っていうかアンタ、白河クンしか友達いないじゃん」

 悔しいが本当の事なので言い返せない。そう、唯一の俺の友人だ。早速、俺はポケットから携帯電話を取り出し、白河に電話をかけてみた。

「出ないな、寝てんのか?」

そして、数回のコールの後だった。

『あい、もしもし~』

 めちゃくちゃ気怠そうな男の声が携帯電話から聞こえてきた。

「お前寝てたのか? もう夕方だぞ」

『ああ? 黒野か、どうした珍しいな電話なんてかけてきて。それと、これでも俺は最近早起きなんだぜ?』

「あーはいはい。それよりもお前に訊きたい事がある。お前って夜の街とか詳しいよな?」

『どうした突然。風俗でも紹介してほしいのか?』

「違う。そうじゃなくて、お前、青木って男知ってるか?」

『青木?』

「ああ、街のゴロツキみたいでさ、お前こーゆー奴の事とか知ってそうだったから訊いてみたんだけど」

『ああ? 何でそんな事』

「いいから、早くしないと素子さんにボコにされるぞ」

『おおっと、そいつは怖ぇ。青木ねぇ……わかったちょっと待ってろ』

 そう言うと白河は電話の向こうでゴソゴソと何かをしている。

『……俺だ…たい事が……ああそうだ……』

 ん? 何だコイツ、誰かと喋ってんのか? どうやらもう一台携帯電話を使って会話をしている様だ。

『ああ……わかった……、悪ぃ悪ぃ待たせたな。今知り合いに電話して連絡の取れなくなった奴とかいないか訊いてたんだ』

「んで、どうだった?」

『ああ、わかったぜ。最近……まあ一ヶ月くらい前だが、突然青木カズオって男が姿をくらませたって話だ』

「本当か?」

『ああ、何でもそいつは仲間と一緒になって引っかけてきた女をマワしては捨てるって事を繰り返してるような奴で、そんな事ばっかやってっから評判も良いわけねぇ。だから、いなくなっても特に気にする奴はいなかったみてえだ』

「他にそいつがたまり場にしてた場所とかってわかるか?」

『何でも青木は神ノ宮のはずれにある廃ビル街をたまり場にして、そこで女ハメてたみてぇだぜ』

「最後に、そいつがどんな女連れてたかとかってわかるか?」

『あーさすがにそこまではわからんなぁ』

「そうか、わかった。ありがとな」

『どーも。あーそうそう、飲みに行く時、たまには俺も誘ってくれよな。それじゃ』

「ああ、素子さんにも言っとくよ。またな」

そうして、俺は電話を切った。とりあえず、手掛かりになりそうな情報を得る事はできた。

「どう? 何かわかった?」

「ええ、白河の話だと、青木は一ヶ月くらい前に行方不明になってるようです」

「失踪時期が一緒だわ。他に何かわかった事はある?」

「どうやら青木は神ノ宮市のはずれにある廃ビル街をたまり場にしてたとか」

「豊島町の廃ビル群のことかな。車なら十数分で着くね」

「決まりですね。まずはそこに行ってみましょう」

 素子さんと内海さんは頷き車に乗り込んだ。続いて俺も車に乗り込むと内海さんは車を発進させた。俺達は白河から得た情報をもとに豊島町の廃ビル群へと向かった。



 日は沈み始め、空は赤から青へと染まりつつある。通勤ラッシュを過ぎたせいか人通りが少なくなってきた。

 着いた豊島町は何とも殺風景な場所だった。人気は皆無だ。それもそのはず、ここにはコンビニ等のお店はおろか、民家すら無い。あるのは、立ち並ぶビル群のみ。だが、そのビル群も十数年前の不況の煽りを受け、ビルの中は次々と空になっていった。今ではただの廃ビル群と化し、まるで人を寄せ付けないゴーストタウンの様だ。

「人っ子一人いないですね」

「だろーねぇ、だからこそ悪ガキ共は溜まり場にしてるんだし~」

 路肩に車を停めて、俺達三人は徒歩で青木達が溜まり場にしていた廃ビルを探すことにした。

「しかし、詳しい場所まで訊いておくべきでしたね。三人で調べるにはビルが多い」

 辺りを見渡しながら内海さんは言う。言っていることはもっともだ。ざっと見ただけでも十棟以上もビルが建っている。これを一つ一つ調べていたら真っ暗になってしまう。

車を降りてから数分、閑散とした廃ビル群の間を歩いた。すると、一つの小さなビルから、微かだが嗅ぎなれた臭いが漂ってきた。

「素子さん」

「ああ、臭うねえ」

「何の薬品かな?」

 俺と素子さんのやり取りに首を傾げる内海さん。

「二人とも何を話してるの?」

「この廃ビルから薬品臭がするんですよ。内海さんわかりませんか?」

 俺は臭いのする廃ビルを指差しながら答えた。

「確かに、言われてみれば、微かだけど変わった臭いがするわね」

「何の薬品かはわかんないっすけど、誰も居ない廃ビルからこんな臭いがする時点でおかしいっすよね」

「そうね、ちょっと入ってみましょう」

 内海さんはウンと頷くと臭いがしてくる廃ビルに早足で向かって行った。

「ちょ、ちょっと、応援とか呼ばなくていいの?」

「何で? とりあえず入ってみて、中に人が居た形跡とかを調べてみないと」

「いやそーゆー事じゃなくてさ、なーんか嫌な予感がするんだけど。アタシの勘がヤバいと言っている」

 珍しく後ろ向きな発言をする素子さん。そして、煮え切らない素子さんの発言を聴いて内海さんは眉をひそめる。

「何が言いたいの?はっきりしないわね。大丈夫よ貴女の勘なんて当たらないから」

「そーだといいけどねー」




――16


三人はドアの無い入口から廃ビルの中へと入る。中は荒れに荒れていた。床はめくれ上がり、備品であったであろう椅子等はそこらじゅうにぶんながっている。

 三人は辺りを警戒しつつ異臭の漂ってくる上の階へと足を進めた。

 この廃ビルは五階建てで、縦に長い造りになっている。階段は廃ビルの端にあり、各階への入口に繋がっていた。

 三人は階段を上り、三階の入口で足を止める。

「この先から臭ってきますね」

 黒野が向ける目線の先にある、三階入口ドアの隙間からは異臭が漏れ出していた。

「行きましょう」

 内海はそう言うと、ゆっくりとドアに手をかけた。まるで、テロリストのアジトに突撃する様な感じだった。

「ねぇウッチー、お願いがあるんだけどさ」

 三階にある部屋に入ろうとしていた内海に素子が話し掛ける。

「何?」

「万が一って時にはさ、こーゆーの使っていいかな?」

そう言うと素子は自分の腰に手を回すとあるモノを取り出した。

「ちょ、ちょっとアンタ何て物持ってきてるのよ!」

内海は素子が取り出したモノを見た途端、声を荒げ怒鳴った。それもそうだろう、素子の取り出したモノは刃渡り三十センチメートル程の短刀、匕首と呼ばれるモノだ。

「いやーこの前みたいに刺されるのはもうゴメンだからさぁ何かあった時の為って事で」

「貴女の言う事もわからなくは無いけど、ていうか、何でそんなの持ってるのよ」

「お父さんに借りた」

ハァと溜め息をし、呆れ返る内海。

「わかったわ。私は目を瞑るけど、他の警官達には見つからないようにしてよね。見つかっても私は擁護できないから」

 そう言われた素子は『りょーかい』と適当な調子で答えた。

 そして、ゆっくりとドアが開かれた。三人はやや警戒しながらも部屋の中へと入って行く。

 意外にも中は明るかった。壁にいくつかランプがぶら下がっており、それに灯りが点いていたからだ。

 辺りには空の薬品ビンやまだ中身が入ったままのガロンビンがならべられている。だが、三人の視線は、そんなものよりもっと異様なあるモノに釘付けになっていた。

「素子さん……、これ」

「ああ、間違いない……血だ」

 三人の視線の先にあったのはコンクリート剥き出しの壁にべっとりとへばりついていたおびただしい量の血痕だった。それも一か所ではなく、そこかしこに、明らかに人一人分の血液の量ではない。

「動物のじゃ……ないよねぇ。ウッチー、これは応援呼んだ方が良いんじゃないの?」

 呆気にとられていた内海は素子の声で我に返る。

「え? ああ、そうね流石にこれは……」

 応援を呼ぼうと携帯に手を伸ばした時だった。

「どなたですか?」

 廃ビルの一室に女性の声が響き渡る。黒野、素子、内海の三人は一斉に声のする方向に顔を向けた。

「あら? もしかして黒野さんですか?」

 更に奥の部屋から一人の女性が現れた。先端にだけ軽くウェーブのかかった長い髪に真っ黒なローブを着た女性だった。

「竜崎さん? なんで……こんな所に」

「それはコッチのセリフですよ。黒野さんこそどうしてここにいるんですか?」

 竜崎は言う。平然たる口調で、疑問を投げかけた。

「ほーら、アタシの勘が当たっちゃった。それにあの格好、間違いなくアタシを刺した奴だ」

 竜崎は黒野の横にいる素子、内海にも気付き、二人の方に視線を移した。

「あら、貴方達はこの前の」

「その節はどーも」

 素子はふざけた調子で答えるが、左手にある匕首はいつでも抜けるよう臨戦態勢に入っていた。

「待ちなさい。貴女は私達を襲った犯人という事で間違いないのね」

 内海は一歩前に出て竜崎を問い詰める。

「ええ、そうですよ」

 一方の竜崎は何の躊躇も無く、即答した。

「なら話は早いです。大人しく投降しなさい。そして、ここで行っている事も話してもらいます」

 内海の言葉に、「うーん」と唸り首を傾げる竜崎。

「参りましたねぇ。警察の方もご一緒でしたか。悪いですけど、私はここで捕まる訳にはいかないんですよ。先生の邪魔をする訳にはいきませんしね」

「先生?」

 竜崎はハァと溜め息を吐いて俯く、そしてすぐにバッと勢いよく顔を上げて言う。

「なら仕方ありませんね。大人しく帰って頂く訳にもいきませんし、この場所をばらされるのも困りますし……、『口封じ』をさせていただきますよ」

 この言葉を聴き、黒野と素子はすぐさま身構える。そして黒野は言った。

「素子さん、アンタは内海さんを連れて逃げてくれ」

「はぁ? 冗談ぬかすなよ」

 黒野は声のトーンを落として更に言う。

「病み上がりのアンタじゃ足手まといだっつってんだよ。アンタだってわかんだろ、目の前にいる奴がただの人間じゃないことくらい。それと、竜崎さんとはサシで話がしたい……頼む」

 黒野にきつい一言を言われた素子は少し考えると、黒野の前に立っていた内海の手を取った。

「ウッチー、アタシ達は逃げるよ」

「えっ、でも彼を一人にする訳には」

「黒野の言う通りだ。今のアタシ達じゃアイツの足を引っ張るだけ。だったら、アタシ達は退いて応援を呼びにいった方がいい」

 素子は内海の手を引きながらゆっくりと後退していく。だが、決して竜崎から目を逸らす事はせず、黒野の横まで後退した。

「コレ貸してやる。何も無いよりはマシだろ」

 素子は左手に握っていた匕首を黒野に渡す。

「それと奴の情報。アイツの着てる服はおそらく防刃防弾使用だ。前の戦闘で服に触れた時気付いた。普通に切りつけたくらいじゃ刃は通らない。それととんでもないバカ力だ。本気でやれば人の腕を握り潰すなんて訳ないだろう」

「了解」

「ああ、最後に一つ。その匕首かなりの業物らしいんだ。後でちゃんと返せよ」

「死亡フラグ建てるのやめろ」

 素子は薄笑いを浮かべたまま、黒野の横を通り、少しずつ部屋のドアへと近づいて行った。

「何をヒソヒソと話してるんですか? それと、私がこのまま逃がすと思いますか?」

「逃がすよ。何がなんでも」

 黒野はそう言うと足元にあった小さなコンクリート片をつま先で器用に弾いて浮かせ、浮かせたコンクリート片を思いっきり蹴っ飛ばした。

「え?」

次の瞬間、竜崎の口から疑問の声が漏れた。意外だったのだ、黒野が蹴った先は竜崎ではなく壁にぶら下がっているオイルランプだったからだ。そして、竜崎は黒野によって割られたオイルランプに一瞬気を取られた。

「今だ!」

 黒野の掛け声と共に素子と内海は出口へと走り出す。一瞬気を取られた竜崎は走り出した二人に意識を向け直し、前に出ようとする。しかし、黒野が竜崎の進行方向に立ちはだかった。

 その間に素子と内海は部屋の外へと脱出し、廃ビルの階段を降りていく。

「言っただろ。何がなんでも逃がすって」

 部屋に残されたのは黒野と竜崎の二人となった。

「参りましたねぇ。この場所がバレてしまった以上、もう使う事は出来ませんし……」

どうしようかと考える竜崎に黒野が話しかける。

「竜崎さん、貴女にいくつか訊きたい事がある」

「はい? 何でしょうか?」

黒野に話しかけられた竜崎は思案するのをやめ、黒野の方に向きなおる。

「竜崎さん、貴女は一体何者なんだ」

「何者? 嫌だなぁ。以前言ったじゃないですか。私は神ノ宮中央医科大学から北関東科学大学に勉強しにきてる一学生ですって」

 にこにこと、この薄暗い廃墟に似つかわしくない明るい笑顔で答える竜崎。

「貴女がうちの大学に勉強しに来ている事が嘘なのはもう知っています。正直に答えてください。ここで何をしているのか、ブルードルフィンの何を知っているのか、そして……藤堂先生はどうした」

黒野は低くドスのきいた声で竜崎に質問……否、詰問した。そして、問い詰められた竜崎の顔からはスッと笑顔が消え、無表情になった。

「多分、お察しはついているかと思いますが、私はここでブルードルフィンの研究をしています。研究と言っても動物実験の段階はとうに過ぎているので、次のステップで行っていますけどね」

 竜崎の顔に再び笑みが戻る。冷たく、不気味な笑みが。

「実験に協力してもらえそうな人を街で集めていたんです。私の後ろにある部屋でいろいろ実験させてもらいましたよ」

「貴女が街の人間をさらって人体実験の材料にしていたのか」

「人聞きが悪いですね。私は与えたんですよ、彼らに」

「与えた?」

 黒野は竜崎の言葉の意味がわからず顔をしかめた。

「ええ、特に意味も無く街に居る人達。そこに居る理由、存在理由が無いのなら与えてあげればいい。実験動物としての存在理由を」

「それで、さっき言っていた『先生』とやらがこの研究の黒幕か。何者だ」

 非人道的な研究が何の躊躇も無く進められている事を知り、黒野の語気が荒くなってゆく。黒野の表情は平静を保っているが、匕首を握るその手はブルブルと震えていた。

「申し訳ないですが、それは言えません。例え、貴方が喋る事の出来ない体になろうとも、それは口に出来ません。ああ、それと最後に……藤堂先生には『黙って』もらいました」

 竜崎の言葉を聴き、黒野の眉がピクッと反応した。更に竜崎は視線を黒野とは全く別の方に向けて話を続ける。

「ブルードルフィンの事を調べる上で、藤堂先生の所は都合が良かったんですよ。なので……」

「いや、もういいよ」

 ここで、いきなり黒野は竜崎の話に割って入り、話を止めた。

「もういい、わかった。そこまでわかれば十分だ」

 いつの間にか黒野の匕首を握る手の震えは止まり、もう片方の手はゆっくりとした動きで匕首の柄を握りしめる。

「俺のやることは一つしか無い。貴女のしている実験を、しようとしている事を全力で止めるだけだ」

「止める? どうやって? 力ずくで私を止めますか?」

 黒野は匕首を鞘から抜き、切っ先を竜崎に向けた。

「ああ、殺してでも貴女を止めてみせる」

「おもしろいですね」

 そう言うと竜崎は近くに転がっていた鉄パイプを片手で拾い上げた。長さ一メートル程の鉄パイプ。とても女性が片手で……否、男ですら片手で持てるかどうかわからない程の重さがある鉄パイプを竜崎は軽々と振り上げる。

「私は止まりませんよ。それでも私の邪魔をするというのなら、私は抵抗するだけです」

 黒野は竜崎の動きに注意を払いつつ、半身の体勢になり匕首を構えた。

「このままお喋りをしているのも悪くは無いのですが、警察が来てしまうと困りますからね。その前に貴方の口を封じてから逃げさせてもらいます」

 その瞬間だった。竜崎は何の助走も無しに一気に飛び込んできた。速く、鋭い動き。無駄が無く、美しいともとれる動きだった。

 黒野は自分が思っていた以上の攻撃に少し驚かされたが、大きく横に跳び振り下ろされる鉄パイプをかわす。そして、竜崎の振り下ろされた鉄パイプは、コンクリートで出来ていた床を粉々に破壊した。

(何てバカ力だ。素子さんの言う通り捕まったら終わりだな。だけど、いくら超人的な動きが出来ても隙が無いわけじゃない)

 黒野がそう考えた瞬間だった。竜崎は続けて飛び込んでくる。そして、黒野の体を粉々しようと鉄パイプを大きく振りかぶった……、その時である、黒野は後退するのではなく、逆に竜崎のがら空きになった胴体に飛び込んでいった。黒野は右手で匕首の柄を握り、柄頭に左手の掌を添え、全体重を乗せて竜崎の腹部を突き刺したはずだった……だが。

(刃が通らない!)

 黒野が体ごと竜崎にぶつかりに行ったせいで両者は密着状態にある。この状態で、竜崎は振り上げた鉄パイプを振り下ろす事が出来ないが、空いた片方の手で黒野を捕らえる事は出来る。竜崎はすぐ目の前にいる黒野を捕らえようと空いている左手を出した。しかし、黒野は思いっきり横っ飛びをして竜崎の手をかわした。

 竜崎は刺された腹部に手を当てると傷の深さを確認する。

「痛たたた、まさか防刃繊維でできた服をいとも簡単に切り裂いてくるなんて、やっぱり只者じゃありませんね」

 笑みを交えて言う竜崎。一方、黒野の表情は険しかった。

(刃が止められた。でも服の下には何も仕込んで無い、確かに『肉』の感触だった。……まさか筋肉か? しかも超高密度の)

「わかりましたか? 私の体は高密度の筋肉で覆われています。防刃繊維が無くともナイフ程度なら、その刃が内臓まで達する事はありません。でも筋肉はとても重いですからね、それで私これでも体重が百キログラム近くあるんですよ」

「は?」

 とてつもなく間の抜けた声が黒野から発せられた。だが、無理もない。背はやや高めと言っても体型は普通の女性となんら変わらない。どう見ても百キログラム近くあるとは思えない。

「これがブルードルフィンの力です。遺伝子レベルで病気を完治させ、更に超人的な肉体を得る事も出来る。素晴らしいじゃないですか。これ程の薬がどこにあります?」

 竜崎は黒野の方へゆっくりと向き直ると持っていた鉄パイプを再び振り上げた。

「こんなに素晴らしい研究の邪魔をされては困るんですよ」

 またも超人的な速さで黒野に襲いかかる竜崎。必殺の一撃が黒野に振り下ろされる。受け止めれば致命傷はまぬがれない。黒野はその一撃を紙一重で躱す。が、続く二撃目三撃目が容赦なく黒野を襲う。

(防刃繊維の服に加え、あの異常な筋肉。生半可な攻撃じゃ返り討ちに遭うのは明白だ)

 振り回される暴風の様な攻撃を躱しつつも黒野は反撃の糸口を探す。

(肉が薄く、且つ致命傷を与えられるような部位は首しか無い。だが、それは相手もわかっているはずだ。現に竜崎さんは片手で鉄パイプを振り回しつつももう片方の腕は常に首回りを守れるようにしてある。下手に攻撃すれば、これまた捕まって即終了だ。なら……)

 紙一重で攻撃を躱していた黒野だったが、いきなり後方へ大きく飛び、竜崎との距離を取った。

「どうしました? 降参しますか?」

「いや……」

 黒野は右手に持っていた匕首を左手に持ち替える。

「もう終わりにしよう」

「ええ、そうしましょう」

 再び、竜崎は振り上げられた鉄パイプを今度こそ黒野の頭蓋に叩き込もうと人外の速度で疾駆する。一方、黒野は迫り来る竜崎を見据えながらも左手に持つ匕首を突出し待ち構えていた。そして、竜崎は振り上げた鉄パイプを躊躇なく黒野の頭めがけて振り下ろした……瞬間、黒野は匕首を持つ左腕を円を描く様に反時計回りに回転させると、振り下ろされた鉄パイプに横から匕首を当てる事で落ちてくる軌道を逸らした。

「え?」

 黒野の頭に叩き付けるハズだった鉄パイプが、黒野の立つすぐ横の床を粉々に破壊している様子を見て、竜崎は一瞬呆気にとられた。その一瞬の隙をつき、黒野は一歩踏み込むと同時にがら空きになっている竜崎の鳩尾へ掌打を思い切り叩き込む。

「がァ、はッ」

 腹の底から押し寄せる鈍く重い痛みに竜崎は表情を歪ませた。

「ぐぅっぅ」

 竜崎はその強烈な痛みに耐えながらも、懐に飛び込んできた黒野を捕らえようと防御にまわしていた左腕を伸ばす。しかし、既の所で黒野は竜崎の左腕を躱し、後方に跳び退いた。

(何? 刺された? いや違う、殴られたんだ。でもどうして……筋肉で守っているハズなのに、まるで直接内臓を殴られてるみたいで、内側から痛みが来る)

 何をされたのかわからず、竜崎は必死に状況を把握しようとする。そして、竜崎は冷静に分析する為に距離を取ろうと一歩退こうとした。その時だった、今度は黒野が竜崎めがけ突っ込んで来たのだ。

「くっ!」

 竜崎は突進してくる黒野を迎撃しようと右手に持っていた鉄パイプを横薙ぎに右から左へと振るった。黒野に直撃する間際、いつの間にか逆手に持ち替えていた匕首で下から上へと跳ね上げるような形でまたも鉄パイプの軌道を変えた。

 持っていた鉄パイプを跳ね上げられる形で弾かれた竜崎は右腕が上がってしまい右脇腹ががら空きになってしまう。すかさず、黒野はがら空きになった右脇腹、正確には肝臓がある位置を狙い、今度は全体重を乗せて掌打を打ち込んだ。

「うぅぅぅぐぅ……!」

 先程の痛みとは比べ物にならない衝撃が竜崎の体を駆け回る。一方、黒野は強打を与えたら退いて距離を取るヒットアンドアウェイ戦法で無駄な追い討ちはせずに竜崎の攻撃を躱していた。

「ひゅ……ふうぅう……ごほ、がっぁぁ」

 腹部へ二度の強烈な攻撃を受けた竜崎はうまく呼吸をする事が出来ず、ついに膝を床に着けてしまった。

「……もうここまでにしましょう。俺に女性を殴る趣味は無い。大人しく投降してください」

 勝負は着いたと判断し、黒野は膝を着き俯いている竜崎に投降を求める。すると、竜崎の体がふるふると小刻みに動き始めた。

「ふ、ふふ……やめる? 一体何をやめるんですか?」

 竜崎は自嘲するかのように笑い、そして、喋りだした。体勢は依然として両膝を着き、俯いたままでいる。

「やめられないですよ。こんな所で終われないんですよ」

 竜崎はゆっくりと左手を動かすとちょうど近くに転がっていた鉄パイプを掴んだ。

「ゴホッゴホッ……ハァハァ、私は先生に助けてもらったんだ。先生は私に存在理由をくれたんだ。私はまだ、先生に何も恩返しをしていない……」

 両手に鉄パイプを握り、竜崎はゆらりと立ち上がる。乱れた前髪から覗くその眼は黒野を凝視していた。

「私はぁぁああああァアアア!」

 咆哮と共に竜崎は黒野に向かって一直線に駆け出した。もはや猛獣の域にまで達したその速さは両者の距離を一瞬にしてゼロにする。

 竜崎は黒野の頭を割るどころか、体を縦に真っ二つにするような勢いで右手に持っていた鉄パイプを振り下ろす。しかし、黒野はその速さにもその咆哮にも怯む事無く、冷静に、匕首を横から当てる事で振り下ろされる鉄パイプの軌道を変えた。が、竜崎は続けざまに左手に持っていた鉄パイプを横薙ぎに思いっ切り振り抜いた。

 鉄パイプは黒野が左手に持つ匕首とは逆の方向から飛んでくる為、初撃の様に軌道を変える事は出来ない。死の一撃が黒野の頭を砕こうとした時だった。黒野は飛んでくる鉄パイプの下を潜る様にして攻撃を躱した。ボクシングでいうウィービングの様な動きだ。

 黒野は攻撃を躱し、竜崎の側面に回り込む。そのあまりにも滑らかな動作で攻撃を躱された竜崎は一瞬黒野の姿を見失ってしまった。

左に避けられたのだと気付き、竜崎が左を向こうとしたその時だった。黒野の渾身の掌打が竜崎のこめかみを打ち抜いた。

「あ……」

 頭を思い切り打ち抜かれた竜崎はそのままその場へ崩れ落ち、カラカラと竜崎の持っていた鉄パイプが転がって行く。黒野は匕首を片手に立ち尽くしていた。

「これじゃあどっちが襲われてたんだかわかんねえな」

 黒野は冗談を漏らすと、携帯電話を取り出し、素子達へ電話をかけた。


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