株式会社になりました
年が明けても、金目の机の上は何も変わらなかった。
いつものパソコン。
飲みかけの水。
そして、画面いっぱいに並んだ確認事項。
「……なんぼあるねん」
金目は、思わず声に出した。
2026年1月。
株式会社カナメの設立に向けて、準備は大詰めを迎えていた。
会社名は決まった。
本店所在地も、ひとまず自宅にすることにした。
資本金や事業内容についても、必要な確認を済ませている。
あとは手続きを進めればいい。
そう思っていた。
しかし、三宅が作った一覧には、まだいくつもの項目が残っていた。
定款。
登記。
税務関係の届出。
法人名義の銀行口座。
取引先との契約。
それぞれに、確認することが書かれている。
しかも、設立前に行うものと、設立後でなければ進められないものが混ざっていた。
「……仕事するために会社作るのに、会社作るだけで仕事増えとるやん」
金目は三宅にメッセージを送った。
『この一覧、設立したら全部終わります?』
返事は、少し時間を置いて届いた。
『設立後に進める項目もありますよ』
「……まだあるんか」
金目は椅子にもたれた。
個人事業のときも、面倒なことはあった。
請求書を作る。
入金を確認する。
経費を整理する。
しかし、会社になると、それだけでは済まないらしい。
金目は一覧をもう一度見た。
そのほとんどを整理してくれているのは、三宅だった。
金目が本業で働いている間にも、必要な書類や確認事項をまとめてくれている。
今までは、頼んだ仕事に対して報酬を払っていた。
しかし、これからは毎月、継続して発生する事務仕事がある。
しかも、今より増える可能性が高い。
「……これ、毎回お願いするんも大変やな」
金目は、少し考えた。
それから、三宅にもう一通メッセージを送った。
『今度、ちょっとお時間もらえません? 会社の体制について相談したいことがありまして』
*
「会社の体制、ですか?」
数日後。
金目は三宅とオンラインで話していた。
「はい。株式会社にしたあとも、事務仕事って結構ありますよね」
「そうですね。今までより増える部分もあります」
「それ、三宅さんにまとめてお願いできへんかなと思いまして」
三宅は少し考えた。
「今までみたいに、業務委託でですか?」
「いや、できれば社員として」
「……社員ですか?」
「はい」
金目はうなずいた。
「僕は、まだ本業を続けるつもりなんです。なので、日中の事務仕事を見てもらえる人が必要で」
「なるほど」
「経理だけじゃなくて、請求とか、契約書類とか、会社の手続きとか。そのあたりをお願いしたいんです」
三宅は、すぐには返事をしなかった。
「金目さん」
「はい」
「社員として、ということでしたら、いくつか確認させてください」
「もちろんです」
「まず、勤務時間はどうされるおつもりですか?」
金目は少し考えた。
「基本は日中にお願いしたいですけど、ずっとパソコンの前におってもらう必要はないと思ってます」
「なるほど」
「仕事が進んでたら、時間の使い方はある程度お任せしたいです」
「勤務時間や連絡できる時間帯は、決めておいた方がいいですね」
「そうですね」
三宅は続けた。
「働く場所は?」
「今までどおり、フルリモートで考えてます」
「専用の事務所は作らないんですね」
「今のところ、必要ないと思ってます」
「わかりました」
三宅は手元の資料に何かを書き込んだ。
「では、給与と担当する業務の範囲も確認させてください」
「はい」
金目は、事前に考えていた条件を説明した。
経理と請求管理。
契約書類の整理。
会社の各種手続き。
外部の協力者への支払いに関する事務。
そして、日常的な問い合わせや連絡の整理。
ただし、顧客との契約条件を最終的に決めるのは金目。
大きな支払いについても、金目が判断する。
三宅は話を聞き終えると、少しうなずいた。
「金目さんは、本業を続けられるんですよね?」
「はい。そのつもりです」
「でしたら、日中に判断が必要になった場合は、どうしましょう?」
「日常的な事務処理は、決めた範囲で三宅さんに任せたいです」
「はい」
「ただ、契約とか大きな支払いは、僕に確認してもらえれば。急ぎのものは、なるべく早く返すようにします」
「なるべく、ですか」
「……本業もあるんで」
三宅は少し笑った。
「でしたら、急ぎの判断が必要なものと、翌日でもよいものを分けておきましょう」
「それ、助かります」
「あと、社員として働くなら、雇用条件や社会保険の手続きも必要ですね」
「……また手続き増えましたね」
「増えますね」
二人は笑った。
そのあとも、勤務条件や給与、仕事の範囲について話し合った。
金目は、三宅が無理なく働ける条件にしたかった。
三宅も、引き受ける以上は責任の範囲を明確にしておきたかった。
その場ですべてが決まったわけではない。
必要な事項を確認し、条件を整理し、何度かやり取りを重ねた。
そして、互いに納得できる形が見えてきた。
「では、会社の設立に合わせて、お願いできますか?」
金目が尋ねると、三宅はうなずいた。
「はい。よろしくお願いします」
「ありがとうございます。ほんま、助かります」
「こちらこそ。よろしくお願いします」
金目は、少し肩の力を抜いた。
会社を作ると決めたときよりも、何だか安心した気がした。
*
株式会社カナメの設立登記を申請したのは、1月のことだった。
必要な書類を揃え、確認し、手続きを進める。
不備がないか気になって、金目は何度か資料を見直した。
そして後日、登記の完了を確認した。
金目は、取得した登記事項証明書を開いた。
そこには、見慣れた名前が、少し違う形で記されていた。
『株式会社カナメ』
「……ほんまに株式会社になったんやな」
金目は、しばらくその文字を眺めた。
2021年。
面倒な仕事を少しでも楽にできればと思って、個人事業を始めた。
最初は、自分一人だった。
それから、西田に仕事を手伝ってもらうようになった。
三宅が数字を整理してくれた。
田村、岩田、尾崎も、少しずつ関わるようになった。
いつの間にか、仕事を一緒に進める人が増えていた。
そして今、株式会社になった。
もっとも、専用の事務所ができたわけではない。
仕事をする場所は、今までと同じ自宅の机だ。
西田たちも、それぞれ別の場所で仕事をしている。
金目自身も、明日はいつもどおり本業へ出勤する。
「……会社になった実感、あんまりないな」
金目は苦笑した。
それでも、登記事項証明書に書かれた名前は、確かに株式会社カナメだった。
*
会社設立後、三宅は社員名簿の準備を進めていた。
今のところ、従業員は三宅一人だけだ。
西田たちは、これまでどおり業務委託として仕事を手伝ってくれる。
金目は代表取締役。
会社の仕事は、まだ本業の合間に進めている。
そんなある日、三宅から連絡が届いた。
『社員番号はどうしましょう?』
「……社員番号?」
金目は、少し首をかしげた。
今のところ、社員は三宅しかいない。
番号を付ける必要があるのだろうか。
金目は三宅に電話をかけた。
「もしもし、三宅さん。社員番号って、要ります?」
「今は一人ですけど、今後増えるかもしれませんから」
「まあ、そうですね」
「最初に決めておいた方が、あとで整理しやすいと思います」
「なるほど」
金目は少し考えた。
「……ほな、僕が1で、三宅さんが2でええんちゃいます?」
三宅は、少し間を置いた。
「社長も社員番号を持つんですか?」
「最初からおったんやし、ええでしょう」
「社員名簿とは別に、役員も含めた社内番号として管理する形ですね」
「ああ、それでええと思います」
三宅は小さく笑った。
「では、金目さんが1、私が2ですね」
「よろしくお願いします」
「こちらこそ。社長」
「……なんか、その呼び方むず痒いですね」
「代表取締役ですから」
「そうなんですけどね」
二人は笑った。
通話を終えてしばらくすると、三宅から管理表が共有された。
番号。
氏名。
役割。
そこには、二人の名前が並んでいた。
1 金目修平 代表取締役
2 三宅彩 経理・総務
金目は、二つの番号を確認して管理表を保存した。
*
法人設立が完了したことを、金目は協力者たちにも伝えた。
いつもの共有資料に、短い報告を書き込む。
『株式会社カナメの設立が完了しました。今後の契約や請求については、順次法人名義へ切り替えていきます』
西田からは、すぐに返事が来た。
『おめでとう。ほな、今までどおりでええな』
「……ほんま、変わらんなあ」
金目は笑った。
田村からは、契約主体の変更について確認が届いた。
『今までの仕事も、契約は切り替えるんやな?』
『必要なものから順次進めるつもりです』
『了解。作業範囲と責任のところも確認しとこう』
岩田からは、少し違う反応だった。
『株式会社って、なんか格好いいですね!』
「……そこかい」
尾崎からは、資料の名称について連絡が届いた。
『今後使うひな型、会社名を変更しておきますね。古い資料はそのまま残しておきます』
『助かります』
金目は、一つずつ返信した。
誰も、急に仕事の進め方を変えようとはしていない。
今までどおり、それぞれの得意なことを、都合の合う範囲で進めてくれる。
ただ、契約する相手が変わった。
カナメ事務所の金目修平から、株式会社カナメへ。
金目は、その違いを少しずつ実感し始めていた。
*
大口顧客へ法人設立の完了を伝えると、担当者から丁寧な返事が届いた。
『ご連絡ありがとうございます。弊社側でも、継続契約に向けた手続きを進めさせていただきます』
その後、取引先登録や契約条件について、いくつかの確認が続いた。
金目は、田村と作業範囲を整理した。
一度に進める拠点の数。
納品予定。
確認が必要な項目。
そして、作業範囲が変わった場合の扱い。
三宅は、契約書類と支払い条件を確認した。
西田、岩田、尾崎には、これまでどおり必要な部分を相談する。
ただし、会社として仕事を依頼する以上、契約の相手も株式会社カナメになる。
必要な手続きについては、三宅が一つずつ整理してくれた。
「……会社になったら、契約書も増えるんですね」
金目が言うと、三宅は少し笑った。
「そうですね。でも、最初に整えておけば、次からは少し楽になりますよ」
「それを信じます」
「信じるだけじゃなくて、確認してくださいね」
「……はい」
金目は苦笑した。
大口顧客との契約は、設立しただけで自動的に決まるものではなかった。
先方にも手続きがある。
こちらにも確認することがある。
それでも、少しずつ話は進んでいた。
そして、継続契約の条件がまとまった。
「これからも、よろしくお願いします」
オンライン会議の最後に、担当者がそう言った。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
金目は頭を下げた。
会社を作ると決めた理由だった仕事が、ようやく形になろうとしていた。
*
その頃、三宅は法人名義での最初の請求書を準備していた。
大口顧客の仕事ではない。
設立後に完了した、別の小さな案件だった。
金目は、いつもの請求書のひな型を開いた。
「会社名変えたら終わりちゃいます?」
「それだけではないですね」
三宅から、すぐに返事が来た。
「振込先の口座情報も確認が必要ですし、請求書の記載内容も見直しておきたいです」
「ああ、そうか」
「それから、以前の屋号が残っている資料もありますね」
「……まだ残ってます?」
「尾崎さんが確認してくれています」
金目は共有フォルダを開いた。
確かに、いくつかのひな型には、まだ『カナメ事務所』と書かれていた。
尾崎が、順番に整理してくれている。
「……名前変えるだけでも、結構あるんやな」
「そうですね」
三宅は、いつもの調子で答えた。
「でも、一度整えれば、次から使えますから」
「それ、最近よう聞く気がします」
「実際、そういうものが多いですから」
金目は笑った。
数日後。
最初の法人名義の請求書が完成した。
発行者の欄には、こう書かれている。
『株式会社カナメ』
完成した請求書を確認しながら、金目は三宅に言った。
「名前が変わると、ちょっと立派に見えますね」
「名前だけではありませんよ」
「え?」
「契約の相手も、お金の管理も変わっていますから」
「ああ、そうか」
「今まで以上に、会社のお金と金目さん個人のお金は分けて管理してくださいね」
「……はい」
金目は苦笑した。
どうやら、株式会社になったからといって、急に立派な経営者になれるわけではないらしい。
少なくとも、三宅から注意されることは、まだまだありそうだった。
*
その日の夜。
金目は、自宅の机で一日の仕事を整理していた。
机も、パソコンも、椅子も、以前と変わらない。
壁に会社の看板が掛かったわけでもない。
専用の事務所ができたわけでもない。
明日も、いつもどおり本業の会社へ出勤する。
スマートフォンが震えた。
三宅からだった。
『明日の確認事項をまとめました。お時間のあるときに確認をお願いします』
金目は添付された資料を開いた。
取引先との契約書類。
銀行口座の確認。
外注費の支払い予定。
そして、今後の事務手続き。
まだ、いくつもの項目が並んでいる。
「……株式会社になっても、やること一緒やな」
金目は小さくつぶやいた。
少し考えてから、首をかしげる。
「いや、三宅さんの仕事は増えとるか」
金目は苦笑した。
そういえば、三宅にはまだ伝えていないことがあった。
金目はメッセージを開いた。
『三宅さん、いろいろありがとうございます。これからもよろしくお願いします』
返事は、少し時間を置いて届いた。
『こちらこそ、よろしくお願いいたします。社長』
「……まだ慣れへんなあ」
金目は笑った。
明日の確認事項を見直してから、金目は最後にもう一度、管理表を開いた。
1 金目修平。
2 三宅彩。
その下には、まだ何も書かれていない。
いつか、ここに名前が増えることもあるのだろうか。
金目は、少しだけ考えた。
「……まあ、必要になったら考えよ」
そうつぶやいて、パソコンを閉じた。
2026年1月。
カナメ事務所は、株式会社カナメになった。
けれど、金目修平の一日は、明日もいつもどおり始まる。
お読みいただきありがとうございます。旭月です。
ついに、カナメ事務所が「株式会社カナメ」になりました。
とはいえ、立派なオフィスができたわけでも、急に大勢の社員が増えたわけでもありません。
社員番号1は金目、2は三宅。
たった二人から始まる株式会社です。
金目自身は、まだ本業を続けるつもりのようですし、会社になっても面倒な仕事は減るどころか増えているようですが(笑)
それでも、少しずつ会社らしい形ができてきました。
これからの株式会社カナメも、引き続き見守っていただければ幸いです。




