個人では、だめですか?
金目がその問い合わせを見つけたのは、平日の夜だった。
本業を終え、夕食を済ませてから、カナメ事務所の連絡を確認していた。
いつものように、飲食店からの相談がいくつか届いている。
その中に、一通だけ少し雰囲気の違うメールがあった。
『複数拠点における業務管理の共通化について、ご相談したくご連絡いたしました』
「……複数拠点?」
金目はメールを開いた。
送り主は、これまで取引したことのない企業だった。
いくつもの拠点を持ち、それぞれで行っている事務作業を整理したいという。
拠点ごとに使っている帳票が違う。
同じ数字を何度も入力している。
全体の状況を確認するには、各拠点から資料を集めなければならない。
金目は、添付された概要資料を開いた。
これまでの飲食店とは、規模が違う。
拠点の数も多い。
関係する人も多そうだった。
「……これ、うちに頼む規模なんかな」
思わず声が漏れた。
カナメ事務所は、まだ個人事業だ。
社員もいない。
西田や三宅たちに手伝ってもらいながら、必要な仕事を進めている。
それでも、資料を読み進めるうちに、少し気になることがあった。
困っている内容そのものは、これまでとあまり変わらない。
金目は椅子にもたれた。
「……やってることは、一緒か」
ただ、規模が大きいだけだ。
もちろん、規模が大きければ、考えることも増える。
しかし、最初から全部を引き受ける必要はない。
金目は返信を書いた。
『お問い合わせありがとうございます。まずは現在の業務内容を詳しく伺えればと思います。オンラインでお打ち合わせのお時間をいただけますでしょうか』
送信してから、添付資料をもう一度開いた。
少し面倒な仕事になりそうだった。
*
数日後。
金目は、問い合わせをくれた企業の担当者とオンラインで話していた。
画面の向こうには、二人の担当者がいた。
一人は現場の業務をまとめている人。
もう一人は、管理部門の人らしい。
「本日はありがとうございます」
「こちらこそ、お声がけいただきありがとうございます」
簡単な挨拶を済ませると、担当者が資料を共有した。
拠点ごとの業務の流れが、図になっている。
使っている帳票。
報告する項目。
確認する人。
それぞれが、少しずつ違っていた。
「今は各拠点で管理しているんですが、全体を確認するために、毎月かなりの時間がかかっていまして」
「なるほど」
「できれば、共通の仕組みにしたいと考えています」
金目は資料を見ながら尋ねた。
「ちなみに、今のやり方で一番困っているのは、どの部分ですか?」
「集計ですね。各拠点から資料を集めて、管理部門でまとめ直しています」
「拠点側の入力は、そこまで負担ではないんですか?」
「それぞれ慣れていますから。ただ、報告の形式が違うので、まとめる側が大変で」
金目はうなずいた。
以前、飲食店でも似た話があった。
現場は今のやり方で困っていない。
しかし、全体を見ようとすると手間がかかる。
「でしたら、最初から全部の拠点を変えるより、一か所で試してみませんか?」
「一か所ですか?」
「はい。まず、今の業務を大きく変えずに、集計の部分だけ整理してみるんです」
金目は続けた。
「そこで使えることが確認できれば、ほかの拠点にも広げられるか検討できますし」
担当者は少し考えた。
「なるほど。いきなり全体を変えるより、リスクは少なそうですね」
「そう思います」
管理部門の担当者もうなずいた。
「試験的に進めるということですね」
「はい。まずは小さく始めるのがええと思います」
話は、思ったより順調に進んだ。
必要な資料。
試験対象の拠点。
確認したい成果。
おおまかな日程。
金目は一つずつメモを取った。
ところが、継続的な取引の話になったところで、管理部門の担当者が少し申し訳なさそうに言った。
「あの、一点だけ確認させていただいてもよろしいでしょうか」
「はい」
「カナメ事務所様は、現在、個人事業主という形でしょうか」
「そうですね」
「承知しました。実は、弊社の取引基準の関係で、本格的なお取引は法人様との契約が前提になりまして」
金目は、少し首をかしげた。
「……法人ですか?」
「はい。ただ、試験的な発注であれば、個人事業主様でも対応可能です」
「なるほど」
金目は少し考えた。
今の仕事を引き受けることはできる。
しかし、その先の継続契約となると話が違うらしい。
「……個人では、だめですか?」
担当者は、困ったように笑った。
「申し訳ありません。継続的なお取引については、社内の基準がありまして」
「そうなんですね」
「もちろん、今回の試験案件については問題ありません」
「わかりました」
金目はうなずいた。
別に、無理を言われているわけではない。
相手にも、取引のルールがある。
ただ、自分にとっては、少し面倒な条件だった。
「まずは試験の内容を整理して、ご提案させてもらいますね」
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
打ち合わせを終えた金目は、しばらく画面を見つめていた。
「……株式会社、ねえ」
*
その夜。
金目は、今回の相談内容を共有案件表にまとめた。
いつもの飲食店とは違い、対象となる拠点が多い。
関係者も多い。
ただ、最初に試すのは一拠点だけだ。
金目は、田村に進め方の整理を頼んだ。
『今回は規模が大きいので、試験案件と本格展開を分けて考えたいです』
田村からは、翌朝に返事が届いた。
『そら分けた方がええな。最初から全部受けるんは危ないで』
続けて、確認事項が送られてきた。
試験対象の拠点。
作業範囲。
納期。
必要な資料。
そして、試験が終わったと判断する条件。
『ここまで決めといた方がええと思う』
『了解です。先方に確認します』
西田と岩田には、技術的な部分を相談した。
今の仕組みをどこまで使えるか。
拠点ごとの違いを、どう扱うか。
西田からは、比較的早く返事が届いた。
『試験だけなら、今までの仕組みを使える部分もありそうやな』
岩田からは、少し遅れて詳しい確認事項が送られてきた。
『データ形式が拠点ごとに違う可能性がありますね。まずは試験対象の実データを見たいです』
金目は、その内容をメモした。
尾崎には、拠点ごとの資料を整理してもらう場合の作業量を確認した。
『まず一拠点分なら、今の資料を整理するところから始められそうです』
尾崎はそう返した。
最後に、三宅へ相談内容を共有した。
『少し大きな案件になりそうです。外注費と入金予定、一回見てもらえます?』
三宅からの返事は、その日の夕方だった。
『承知しました。まず、試験案件だけで収支を見ましょうか』
『お願いします』
『本格展開の分は、まだ契約条件が決まっていませんよね?』
『そうですね』
『でしたら、今の段階では売上予定に入れない方がいいと思います』
金目は少し笑った。
「……そら、そうやな」
仕事の話が大きくなると、つい先のことまで考えてしまう。
しかし、まだ何も決まっていない。
まずは、目の前の一件だ。
*
数日かけて、金目は試験案件の提案をまとめた。
対象は一拠点。
今の業務を大きく変えず、集計にかかる手間を減らす。
試験期間中に、作業時間と確認のしやすさを比較する。
その結果を見て、ほかの拠点へ広げるかどうかを判断する。
田村が、進め方を整理してくれた。
西田と岩田が、技術的に対応できる範囲を確認した。
尾崎が、必要な資料をまとめた。
三宅が、費用と支払いの予定を整理した。
金目は、それらを一つの提案にまとめた。
以前なら、全部自分で作っていたかもしれない。
今は、必要なことをそれぞれに聞けばいい。
ただし、最後に何を提案するかは、自分で決める。
金目は、完成した資料をもう一度確認した。
「……これなら、いけそうやな」
そして、顧客へ送信した。
*
提案についての打ち合わせは、翌週に行われた。
担当者は、資料を見ながら何度かうなずいた。
「試験の範囲が明確で、わかりやすいですね」
「ありがとうございます」
「これなら、現場にも説明しやすそうです」
金目は、少し安心した。
大きな会社だからといって、特別なことをする必要はなかった。
困っていることを聞く。
今のやり方を確認する。
無理のない範囲で改善する。
それは、これまでと同じだった。
管理部門の担当者が、資料を閉じた。
「それでは、まず試験案件として進めさせていただきたいと思います」
「ありがとうございます」
「正式な発注手続きについては、こちらからご案内します」
「承知しました」
金目は、予定表に試験案件の開始時期を書き込んだ。
これまでより、少し大きな仕事だった。
ただし、今の六人で対応できる範囲に収まっている。
少なくとも、試験案件については。
打ち合わせの最後に、金目は一つだけ確認した。
「ちなみに、試験がうまくいったら、やっぱり法人にせなあかんのですよね」
担当者はうなずいた。
「本格的なお取引をお願いする場合は、そうなります」
「わかりました。そこも考えておきます」
金目はそう答えた。
仕事の内容には、ある程度自信があった。
しかし、会社を作るとなると、話は別だった。
*
その夜。
金目は、自宅の机でパソコンを開いていた。
検索欄に入力したのは、これまであまり縁のなかった言葉だった。
『株式会社 設立』
画面には、いくつもの説明が並んだ。
定款。
登記。
資本金。
税務申告。
社会保険。
法人名義の口座。
金目は、一つずつ読んでいった。
「……面倒くさ」
思わず声が漏れた。
個人事業を始めたときも、手続きが面倒だと思った。
しかし、今回はそれ以上だった。
書類も増える。
管理することも増える。
金もかかる。
しかも、会社を作ったからといって、仕事が自動的に増えるわけではない。
「……ほんまに要るんかな」
金目は椅子にもたれた。
今のままでも、仕事はできている。
西田たちにも、必要なときに手伝ってもらえている。
顧客からの依頼も続いている。
わざわざ株式会社にする必要があるのだろうか。
ただ、今回のような仕事は、個人事業のままでは継続して引き受けられない。
それも事実だった。
金目は三宅にメッセージを送った。
『ちょっと相談なんですけど、株式会社にした場合の費用とか、整理してもらえません?』
返事は、少し時間を置いて届いた。
『法人化ですか?』
『そうです。取引先から、継続契約なら法人が前提と言われまして』
『なるほど。比較するなら、今のまま続けた場合も並べた方がいいですね』
『お願いします』
『あと、会社を作ったあとも、本業は続けられる予定ですか?』
金目は、少し考えた。
『今のところ、そのつもりです』
『承知しました。では、その前提で確認してみますね』
金目は礼を返した。
続けて、西田にも連絡を入れた。
『ちょっと株式会社にするかもしれん。今後の仕事の契約とか、一回相談させて』
西田からの返事は、翌朝だった。
『会社作るん?』
『まだ決めてへん』
『なるほど。まあ、話は聞くで』
金目は、その返信を見て少し笑った。
自分にとっては、結構大きな話だった。
しかし、西田にとっては、今のところ普段の仕事の延長らしい。
金目はノートを開いた。
新しいページに、二つの選択肢を書いた。
『個人事業のまま続ける』
『株式会社にする』
どちらにも、面倒なことがあった。
個人事業のままなら、今までどおり仕事ができる。
しかし、受けられない仕事もある。
株式会社にすれば、手続きや管理は増える。
その代わり、今まで引き受けられなかった仕事に手が届く。
金目は、二つの選択肢をしばらく眺めていた。
「……会社って、仕事するために作るもんなんやな」
誰に聞かせるでもなく、そうつぶやいた。
それからノートを閉じた。
まだ、答えは出ていない。
ただ、考えなければならないことが、一つ増えた。
お読みいただきありがとうございます。旭月です。
今回は、カナメ事務所にとって少し大きな仕事の話が舞い込んできました。
仕事の内容はこれまでと大きく変わらないものの、取引先の規模が変われば、求められる条件も変わってきます。
金目にとって、株式会社を作ることは目的ではありません。
ただ、目の前の仕事を引き受けようとしたら、どうやら会社を作る必要が出てきたようです。
面倒な仕事を減らすために始めた商売なのに、また面倒なことが増えてしまいましたね(笑)
次回もお付き合いいただければ幸いです。




