第182話 冬の約束
「交流戦も終わったし、次は冬季遠征か~」
ナギがグラスの酒を一口飲みながら、ふと思い出したように口にした。
「冬季遠征?」
ナナセが首を傾げて聞き返す。
「あ、ナナセは行ったことないかもね」
フィリスがそう言って、少し説明するように言葉を続けた。
「アスレイが何部隊か連れて、隣国のギルド拠点に滞在するんだよ。文化交流って名目で、向こうのギルドと交流会をしたりするの」
「へぇ……」
ナナセは興味深そうに耳を傾けていた。
「第五部隊くらいまでいくと、流石に呼ばれてなさそうかな」
フィリスは去年の様子を思い出すように、少し顎に手を当てて考える。
その言葉に、ナナセもふと自身の記憶を辿った。去年の今頃といえば、カネルの元から保護されたあとの時期だ。
そういえば、キサたち医療班が一週間ほど医療室にいなかった時期があったと思い出す。
「キサさんたちも行ってました?」
「あー、毎年来てるね」
ナギが何でもないことのように答える。
「そうだったんですね」
ナナセは少し目を瞬かせた。
あの頃はただ、いつも医療室にいる人がいないなと何となく思っていただけだった。
その裏で、そんな大がかりな遠征が行われていたのだと今になって知る。
「今年は俺らと一緒にナナセも行けるね。楽しみだなぁ」
ヒヨリが嬉しそうに口元を緩めた。
どうやらヒヨリにとっては、かなり楽しみな行事であるらしい。
「セレンさんも行くんですか?」
「まあね」
隣で遅い夜食を終えたセレンが、軽く頷く。
「じゃあ今年はナナセもいるんだし、ちゃんと楽しませろよ」
ナギが可笑しそうに笑いながらセレンを見る。
「去年、現地でも全然興味なさそうだったじゃん」
「そうだっけ」
「そうだよ」
即座に返され、セレンは少しだけ不満そうに眉を寄せた。
ナナセはその二人のやり取りを見て、ふふ、と小さく微笑む。
すると、セレンがちらりとこちらに視線を向けた。
「……まあ」
少しだけ間を置いて。
「今年は楽しみかもね」
そう言って、ナナセに向かって小さく笑いかけた。
「……!」
ナナセは一瞬目を丸くする。
それから、胸の奥から湧き上がる嬉しさにふっと笑った。
「はい」
その素直な返事を聞いて、フィリスたちもつられるように笑い出す。
「おー、言うようになったねぇ」
「今年は期待できそうじゃん」
「何を期待してるの」
セレンが呆れたように息を吐くものの、その表情はどこか柔らかかった。
冬はまだもう少し先。
それでもナナセにとっては、初めての遠征が少しだけ楽しみに思えていた。
◇
――食事を終え、しばらく談笑したあと。
「おやすみなさい」
ナナセが笑って頭を下げると、フィリスたちもそれぞれ手を振った。
「おやすみー」
「また明日ね」
セレンが立ち上がると、ナナセもその後を追う。
フィリスたちは、もう少しここで酒を飲みながら寛いでいくらしい。ガラスの盃を片手に、談話室の暖かな空気の中へ戻っていった。
二人が訓練所の建物をあとにすると、途端に冷たい夜風が通り抜けた。
「うわさむ……」
セレンが小さく呟く。
繋いだセレンの手はまだ酒の熱を残していて、寒さに反してとても心地よい温度だった。
「……あっという間に冬ですね」
「ね」
セレンが穏やかに返す。
その声を聞きながら、ナナセは静かな夜の道を並んで歩いていた。
去年の今頃。
自分は、ちょうど第五部隊から除隊したばかりだった。
身体も魔力も酷く削られていて、医療室で一番つらい治療を受けていた時期。
あの頃の自分が、一年後にこうしてセレンの隣を歩いている。
冷たい冬の風を感じながら、温かな手を繋ぎ合っている。
自由になって。
こうして、自分を大切にして隣にいてくれる人がいる。
そんな未来が来るなんて、あの頃の自分には想像すらできなかった。
あまりにも不思議で、まるで自分が見ている夢のようだとふわふわとした感覚に陥る。
これが現実なのだと確かめるように、ナナセは繋いだ手にきゅっと力を込めた。
「ん?」
セレンが不思議そうにこちらを見る。
ナナセは少しだけ迷った。けれど、今のセレンになら話してもいい気がした。
「……去年の今頃」
ぽつりと声を落とす。
「私は第五部隊から除隊して、一番なにもない時期だったと思います」
セレンの足取りが、ほんの少しだけ緩んだ。
ナナセは前を向いたまま言葉を重ねる。
「毎日、治療を受けて……身体も痛くて、魔力も無いままで。無気力な日々が続いて」
言葉にすると、当時の記憶が少しだけ鮮明に蘇る。
それでも、今はあの頃とは違う。
隣にはセレンがいる。だからナナセは、握った手を離さなかった。
「……あの頃は、一年後にこんなところを歩いているなんて、思ってもいませんでした」
「……そっか」
セレンの声が、いつもより深く静かだった。
ナナセが少しだけ顔を上げると、セレンは前を見据えたまま歩いていた。
けれど、その手だけは、ナナセの手を包み込むように強く握り返してくれていた。
「じゃあ、これからは全部取り戻していこう」
セレンが、静かで確固とした声で言った。
「……全部?」
ナナセが問い返すと、セレンは静かに頷いた。
「体調も、生き方も。ナナセがしたいことも」
ひとつひとつ確認するように口にしてから、セレンは繋いだ手へと目線を落とした。
「ナナセのしたいことは、俺がどうにかしてあげる」
そう言って、セレンは小さく笑った。
ナナセは目を見開いた。
以前の自分なら、その言葉を聞けば戸惑っていたかもしれない。
自分のために誰かに何かをしてもらうことにも、自分の望みを口にすることにも、きっと躊躇があった。
けれど今は。
彼の真っ直ぐな言葉が、不思議なくらいすとんと胸の奥へ落ちていく。
セレンなら、本当にそうしてくれる。
そんな確かな思いがあった。
「……ありがとうございます」
ナナセも心から笑う。
セレンは嬉しそうに目を細めて、
「うん」
と、穏やかに返した。
冬の夜道はどこまでも冷たかった。
けれど、繋いだ手だけは、ずっと温かいままだった。




