権力側がそれを認識する
異変に、最初に気づいたのは数字ではなかった。
人の動きだった。
「最近……畑が静かだな」
そう呟いたのは、領内を巡回していた代官だった。
例年この時期は、小さな不満が必ず上がる。
肥料が足りない。
種が悪い。
今年は先が見えない。
だが今年は、それがない。
報告書は、平坦だった。
「不満、特になし」
「要望、特になし」
それ自体が、違和感だった。
◇
代官は、倉の番人を呼び出した。
「今年の出入りはどうだ」
「はい。特に変わりは……」
番人は言いかけて、言葉を止めた。
「いや、正確には――」
「慌てて出す者が減りました」
「減った?」
「ええ。去年までは、少し貯めるとすぐ売る農家が多かったのですが」
「今年は、様子を見る者が多いです」
代官は、眉をひそめた。
売らない。
慌てない。
溜め込んでいるわけでもない。
「理由は?」
「……理由を聞くと、皆、似たようなことを言います」
◇
畑を回った。
農家たちは、以前よりも落ち着いていた。
「今年はどうだ」
「ええ、悪くありません」
「作柄は?」
「まあ……去年よりは」
誰も、声を荒げない。
誰も、悲観しない。
代官は、気づく。
彼らは、「今年」だけを見ていない。
「先を考えている」
それは、領内では珍しい空気だった。
◇
話の端々に、同じ名前が出てくる。
「坊ちゃまがな」
「エドワルド様が、言ってたんだが」
「直接言われたわけじゃないがよ」
命令はない。
指示もない。
だが、
「こうしたらどうなるか」
「これを使うと、どう違うか」
そういう“考え方”だけが、伝わっている。
「……厄介だな」
代官は、独り言ちた。
抑え込めない。
違反でもない。
むしろ、成果は出ている。
◇
評議の席で、話題に上がった。
「最近、農家が落ち着いているようです」
伯爵は、書類から目を上げた。
「問題は?」
「ありません。それが、問題です」
一瞬の沈黙。
「坊ちゃまの影響だろう、と」
誰かが口にする。
伯爵は、すぐには否定しなかった。
「数字は?」
「急な増減はなし」
「ただし、倉の残量は安定しています」
伯爵は、ゆっくりと息を吐いた。
「……前に出ていないな」
誰もが、その言葉の意味を理解した。
前に出ない。
命じない。
だが、結果だけは残る。
◇
結論は、穏やかなものだった。
「様子を見る」
「止める理由はない」
「だが、見逃すな」
領内の権力側は、エドワルドという少年を、“子供”から、“無視できない存在”へと、
静かに認識を改めた。
まだ、評価でも警戒でもない。
だが――
確かに、目は向けられ始めていた。
そして当の本人は、そのことを知らないまま、今日も畑で土を触っている。
それで十分だと、まだ、この領地は思っていた。




