遠回りの理由
呼び出しは、突然だった。
「坊ちゃま、領主様がお呼びです」
執務の合間でも、食事の前でもない。
中途半端な時間。
――結果が出たな。
そう確信して、俺は執務室へ向かった。
◇
「来たか、エドワルド」
伯爵――父は、書類から目を上げて言った。
机の上には、見慣れた帳簿がある。
農務の記録。
肥料を使った区画の数字。
「お前が作った肥料の件だが」
切り出しは、直球だった。
「結果は、上々だ」
一瞬、胸の奥が軽くなる。
だが、父はそこで止まらなかった。
「よって、本格的に肥料の生産を行うことにした」
宣言。
判断。
領主としての決断。
「農務官にも指示を出してある。段階的にだが、来年から拡大する」
「……ありがとうございます」
礼を言いながら、俺は次を待つ。
本題は、ここからだ。
「だがな」
父は、帳簿を指で叩いた。
「なぜだ?」
視線が、まっすぐに刺さる。
「なぜ、お前はこんな遠回りをした?」
◇
俺は、少し考えてから答えた。
「はい」
声は、落ち着いていた。
「まず第一に、私が突然『肥料を作ろう』と言い出しても、おそらく誰も理解しないと思いました」
父は、黙って聞いている。
「数字も、実績もない状態での提案は、理想論に聞こえます」
「それは……そうだな」
「ですので、私なりに行動しました」
俺は、言葉を選びながら続ける。
「農家に頼み、試し、結果を待つ。
結果が出れば、それが証明になります」
説明ではなく、証拠。
それが、今回選んだやり方だった。
「なるほど」
父は、低く頷いた。
「つまり、お前は最初から“説得する気がなかった”わけだ」
一瞬、言葉に詰まりかけたが、正直に答える。
「はい。説得ではなく、納得してもらう方が早いと判断しました」
◇
父は、視線を帳簿から俺へ移した。
「それは、乾燥した小麦――例の保存食も同じか?」
「はい」
即答だった。
「完成すれば、保存が可能になります。不作に備えられます」
「軍用でもあるな」
「……はい」
隠す理由はない。
「まだ完成はしておりませんが」
そこは、きちんと線を引く。
父は、しばらく黙り込んだ。
書庫。
数字。
畑。
料理人。
それらを、頭の中で繋げているのが分かる。
「ふむ……」
やがて、小さく息を吐いた。
「書庫で、そこまで考えていたとはな」
叱責でも、驚嘆でもない。
純粋な評価だった。
◇
「よかろう」
父は、姿勢を正した。
「これからは、何かやる時は私に報告しなさい」
命令ではあるが、拒絶ではない。
「出来ること、出来ないことがある」
それは、領主として当然の判断だ。
「資金、人手、時期――それらを見極めるのは、私の役目だ」
俺は、深く頭を下げた。
「わかりました」
◇
父は、少しだけ表情を緩めた。
「だがな」
と、付け加える。
「今回の件、私は止めなかった」
それが、何を意味するか。
「結果を出した者のやり方を、否定はせん」
それは、許可以上の言葉だった。
◇
執務室を出た後、廊下を歩きながら思う。
前の人生では、この場所で衝突した。
意見をぶつけ、正しさを主張し、孤立した。
今回は、違う。
遠回りだったかもしれない。
だが、その分、確実だった。
父は、見ている。
数字を。
結果を。
過程を。
そして――俺を。
「……少しずつでいい」
時間は、まだ足りない。
だが、道はもう、閉ざされていない。
肥料は、根付いた。
保存食は、芽を出し始めている。
次は、何を“前に出さずに”動かすか。
俺は、静かに考え始めていた。




