第2話 出会い
忘れられない出会いでした。
稚内行きの夜行列車が札幌駅のホームへ静かに滑り込んだ。
人の流れが落ち着くのを待ち、ボックスシートの窓側に腰を下ろす。
空席はところどころ残っている。
発車直前に、一人の女性が向かいの席に腰を下ろした。
コートを脱ぐと、黒いセーターに黒のパンツ。
短い髪が頬に沿って揺れ、大人びた身のこなしが23〜24歳くらいの印象を与えた。
内心「お、美人」と思ったが、声をかける勇気はない。
コートを脱ぐ直前、彼女は小さく息を吸った。
話しかけるか、迷っている気配が伝わる。
僕は膝の上に置いた手の置き場を何度か変え、喉がやけに乾いていることに気づく。
発車のベル。車体がかすかにきしみ、列車は闇の中へ滑り出す。
一時間ほど経って、僕は行程表と時刻表を取り出し、線でスケジュールをなぞり直した。
予約のない旅は突然の変更があり得る。
紙の上の線をつなぎ替えるだけで、もう旅行した気分になれる。
不意に。
「どこまで行かれるんですか?」
突然の問いかけに僕は顔を上げ、正面の女性を見る。
彼女も恥ずかしいのか、視線をわずかに逸らした。
「稚内まで。そこから東へ回ろうと思っています」
「道内の人じゃないですよね?」
彼女の問いに、返事より先に喉が鳴った。
「……はい。名古屋から来ました」
言葉を出した直後、彼女の笑顔がほんの一瞬だけ揺れる。
照れか、警戒か。
僕は自分の膝の上で、置き場を失った手を重ね直した。
そこから言葉は自然にほどけ、会話は途切れなかった。
ラーメンはどこが美味しいか——僕は味噌、彼女は塩。
北海道で桜はいつ咲くか。体育にスキーの授業があるという話に驚く。
ガタンゴトンという規則的な音だけが夜を進めていく。
少し間を置いて、彼女がためらいがちに言った。
「年齢、聞いてもいいですか」
「21です。あなたは?」
「私も、21です。……同い年ですね」
それだけで距離が縮まる。
やがて彼女は、札幌で昼間は仕事をしながら短大に通っていること、
将来は保母になりたいことを照れくさそうに明かした。
実家は宗谷本線の雄信内で、今回は正月に帰れなかった分の遅い里帰りの途中だという。
止まることなく三時間ほど話しただろうか。
車内放送が告げる。
「次は雄信内——」。
彼女が腕時計に目を落とし、小さく息をつく。
「そろそろ……」
胸の奥に重いものが沈む。
僕はポケットのメモ用紙を破り、住所を書いて差し出した。
「よかったら、手紙ください」
彼女は驚いたように目を瞬き、それから小さく笑った。
「ありがとうございます。……声をかけて、よかった」
ドアが開き、彼女はホームに降りる。振り返って、「良い旅を続けてください」。
「ありがとう。あなたも気をつけて」
暗いホームに背中が吸い込まれていく。席に戻ると温度がふっと遠のいた。
膝の上の行程表をしばらく閉じられなかった。
——マコ。彼女の名前を知るのは、もう少し先のことだ。
その後、僕は宗谷岬を見て、東へ回った。
網走、斜里、帯広、襟裳岬、そして函館へ。
景色はどこも厳しく美しく、けれど列車のボックスシートでの数時間ほど心に残る会話はなかった。
次回の内容は僕の地元でのお話です。