第1話 旅立ち
40年以上前の私の経験を題材にし小説化してみました。65歳老人の最初で最後?の恋愛小説です。
マコ、君は今、幸せかい?
小さな居酒屋のカウンターに、僕はひとり腰を下ろしていた。
ジョッキの泡は静まり、冷たさだけが喉を伝っていく。
壁際のテレビには札幌の雪まつりの映像。
毎年この画を見るたび、決まって思い出す人がいる。
あの冬、列車の中で出会ったマコのことを。
——あれは1981年の三月初め。僕は21歳、大学三年の春休みだった。
同級生の多くは“長い休みをどう使うか”を話題にしていて、就職活動はまだ先の空気だった。
僕はずっと胸にしまってきた願いを叶えることにした。
冬の北海道を旅したい。
渡辺淳一の『流氷への旅』を読んで以来、凍てついた海と雪の大地を自分の目で確かめたかった。
雑誌やテレビは“北”を特集し、僕もその熱に浮かされるように旅立ちを決めた。
机の上には分厚い時刻表と、自分で書き込んだ行程表。
赤鉛筆で線路をなぞり、駅名に印をつける。
函館から札幌、稚内、網走、根室、帯広、襟裳岬、函館……。
青春18きっぷ一枚で、普通・快速、そして当時の北海道では急行の自由席にも使える特例を頼りに、一周を思い描いた。
「ひとりで行くのか?」
ドアの隙間から顔を出した下宿の友人が半分あきれ顔で言う。
「うん。誰かと一緒だと、見たいものを自由に見られないから」
そう答えながら、胸の奥に小さな不安と大きな期待が同居しているのを感じていた。
出発の朝、駅のホームで汽車を待つ。
冷たい風で体がこわばる。改札を抜けるたびに、背中のリュックが少し重くなる。
ホームには油の匂い。
指でめくる時刻表の紙はわずかにざらつき、靴底は冷えて感覚が鈍る。
行き先は自由だ。でも、自由はときどき心細い。
「誰かと行けばいいのに」——下宿の友人の声が、まだ耳に残っている。
それでも今日は、一人でしか見られない景色を選ぶ。
ベルが鳴り、列車がゆっくり動き出す。
自由は軽く見えて、ときどき心細い。だから今は、少しだけ怖い方を選ぶ。
車輪の響きが身体に伝わった瞬間、胸の奥でも何かが確かに動き出した。
白い大地を目指す旅が、いま始まったのだ。
第2話では一人の女性との出会いがあります。




