出発
良い返事を中々しない私に、両親も
ヤキモキしていた。
「いつになったら、お返事するの? あまり
お待たせしては、申し訳ないですよ」
母が不安気にそう言った。
私の気持ちも分かる。しかし、現実と
向き合って欲しい。
母の心の内が読み取れた。
「あの方の事、 お母さんは本当に残念
だし、 貴女の気持ちも分かるわ。
でもね、 いつまでもしがみつくのも、
お互い良くないと思うわ。
あの方だって、 貴女を心配しているはず。
現実を生きて欲しいと思っているわよ」
母の言葉にはっとした。
現実を生きて欲しい。
あの人がそう思っている……。
いつまでも帰らぬ人を思っていても、
仕方のない事。
少しずつ、私の気持ちが変わりつつある。
受け入れたくない。
けれど、現実に生きている者は、所詮
受け入れなくてはならない。
あっさりとは思いを捨てる事などでき
ない。
ゆっくりと思い出に変え、私は今を生きて
いかなければ……。
焦りと戸惑い。受け入れられずにいる
事実。
私はあの丘に向かった。
「どうして、貴方はいないのですか?
何故、帰って来て下さらないの……。
私は叶わぬ約束に、縛られているので
しょうか……」
頬を涙がつたった。
どうしていいか、分からない。
いや、分かっている。
認めたくないだけ……。
「心は貴方に嫁ぎました。 けれど、現実は
やはり違う。 貴方への思いを、心の底に
しまい、 新たに生きた方がいいのです
か……」
誰も答えない。
一人自問自答した。
過ぎ去る過去。あの人の面影。
追い求めても、手に触れる事すらできない。
何の為に、誰の為に生きているのか。
最近そんな事ばかり思う。
真さんと、生きる。それが幸せなのかも
知れない。
現実に存在する方と……。
いっそあの人の元へいきたい。
この世で叶わぬなら、いっそ……。
そんな事、誰も喜ばないだろう。
まして、迷惑をかけてしまう。
あの人のご両親、私の両親に。
焦がれる思い。やり場のない心。
「息子が先生にお会いしたいと申しまし
てね。 今度、どうでしょう?」
授業が終わり、職員室へと戻った私を
つかまえ、校長先生が言った。
「……。 分かりました。 今度のお休みの
日に、 お会いします」
私の言葉に安堵した校長先生は、笑顔に
なった。
「では、 息子に伝えておきます」
そう言い、自分の机に戻り仕事をした。
覚悟。
私の頭に浮かんだ。
堂々巡りの気持ち。
しかし、新たに一歩、進まなければ。
休みの日に、真さんと出かけた。
少し遠出をし、町まで行った。
所々、瓦礫があったけれど、確実に
皆、元の暮らしに戻ろうとしている。
店を再び始めたり、家を建てたり。
未来へと向かっていた。
「こないだまで、皆不安でした。 これから
を嘆いたりして。 ですが、動き始めてい
ます。 後ろを振り返らず、前を見ています。
まだまだ、戦争の悲惨さはありますが、
それでも今日を生きる。 中々大変ですが
生きていくしかない」
まるで私へ言っている様な、そんな言葉
であった。
戦争により、家や家族を無くした人も
いる。
病気になった人も。
子供達も、食べる物に困り命を落とす。
それでも生きていくしかない。
人間の、生きたい思いがあちらこちらから
溢れていた。
「私も……。 私も新しい道を歩いてみよ
うかしら……」
不意に口をつき、自分でも驚いた。
その言葉に 「僕と、新しい道を歩いてくれますか?」
真さんの顔が真剣になる。
私は少し黙り込んだ。
無意識に口をついてしまったから。
それでも、真さんの真剣な思いが、私を
揺さぶる。
「……。 忘れる事はできません。 あの人
の事を、 忘れる事などできません。
ですが、 新しい道を私も歩きたい。
それでも構いませんか……?」
「もちろん! その人をひっくるめて、
貴女と一緒になります」
あの人を思う私を受け入れてくれる人。
こんなに思われる事など、この先ない
だろう。
「私で良ければ……」
真さんと共に歩いて行こう。
決まったら話は実に早く進んだ。
あっと言う間に、結婚の日取りまでが
決まった。
私は嫁ぎます。
最後にしよう。私はあの丘へ行った。
いよいよ夏になる。
柿の木に手を当て、目を閉じた。
思い出にすがり生きていくのではない。
自分の人生を、現実を生きていく。
幸せとは、結局何処にあるのか。
分からないまま。
それでも、そんな事を考えながらも、
生きていく。
それが人の道……。
私は 柿の木下に、櫛を埋めた。
断ち切るのではない。
旅立ちにする為に。
新しい人生を歩んでいくと決めたから。
思いを心にしまう。
色褪せない思いを……。