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消えた補給線

 第十八輸送群は、公式には沈んでいた。

 同盟軍の奇襲を受け、カレリア到着前に壊滅。

 生存者なし。

 積荷回収不能。

 輸送記録、戦闘により消失。

 報告書の上では、よくある損害だった。

 前線へ向かう船が沈む。

 燃料が届かない。

 医療物資が届かない。

 酸素ユニットが届かない。

 そういうことは、戦争では珍しくない。

 珍しくないからこそ、多くの者はその一行を読み飛ばす。

 だが、ミリア・エーレンベルク中尉は読み飛ばさなかった。

 帝国軍務省監察局の臨時執務室は、狭かった。

 天井は低く、空調は古く、棚には過去十年分の監査資料が詰め込まれている。前線司令部のような警告灯もなければ、司令室のような立体星図もない。

 あるのは、書類だった。

 紙の書類。

 電子記録。

 古い記録媒体。

 封印された証拠箱。

 帝国の負け戦は、最後にはここへ来るらしい。

 ミリアは端末を抱え、資料の山を避けながら、部屋の奥へ駆け込んだ。

「少佐」

 レオン・クラウゼン少佐は、積み上がった報告書の山から顔を上げた。

「沈んだ船が、燃料を下ろしています」

 レオンは一拍置いて言った。

「器用な沈み方ですね」

 ミリアは端末を卓上に置いた。

 画面には、第十八輸送群の輸送艦《ヘルメス三号》の識別信号が表示されている。

 沈没推定時刻から四十六時間後。

 帝都近郊、ノルトハーフェン民間ドック。

 貨物識別は、軍用高濃度燃料。

 受領先は、ローエン商会系列の民間倉庫。

「公式記録では、第十八輸送群はカレリア到着前に同盟軍の襲撃で壊滅しています」

「救難信号は」

「ありません」

「残骸確認は」

「ありません」

「護衛艦の戦闘ログは」

「戦闘そのものが記録されていません」

「敵側記録は」

「捕虜交換時に中立ステーションへ提出された同盟軍の該当宙域戦闘記録に、該当する攻撃はありません」

 レオンは画面を見た。

「沈んだ理由が一つ減りましたね」

「代わりに、下ろした理由が増えました」

 ミリアは別の画面を開いた。

 カレリア要塞群へ送られるはずだった積荷リスト。

 燃料。

 医療物資。

 酸素ユニット。

 砲台修理部品。

 低温区画用熱交換器。

 その一部が、ノルトハーフェンで民間物資として再登録されている。

 再登録名は、北方貴族領開発支援物資。

 受領認証は、帝国軍需商会連合。

 監察局の扉が開いた。

「朝から楽しそうだな」

 入ってきたのは、マティアス・グライフ大佐だった。

 帝国軍務省監察局所属。

 年齢は五十を少し越えたくらい。灰色の髪を短く刈り、片手には冷めたコーヒー、もう片方には分厚い書類束を持っている。軍服はよれ、襟元の階級章だけが妙に磨かれていた。

 彼はレオンの新しい上官だった。

「沈んだ輸送艦が帝都で燃料を下ろしていました」

 ミリアが言うと、グライフ大佐は眉一つ動かさなかった。

「よくある」

「よくあるんですか」

「報告書の中ではな。現実では、あまりない方が助かる」

 大佐は空いている椅子に腰を下ろした。

「ようこそ監察局へ、クラウゼン少佐、エーレンベルク中尉。ここでは砲弾の代わりに稟議書が飛ぶ。避け損ねると、体ではなく証拠が死ぬ」

「前線より悪いですね」

 ミリアが言った。

「前線は、誰が撃ってきたか分かるだけ親切だ」

 グライフ大佐は、ミリアの端末を覗き込んだ。

「第十八輸送群か。なるほど。カレリアに届いていれば、要塞の持久日数が三日は延びた船団だ」

 レオンは言った。

「ご存じでしたか」

「知らないふりをしていた」

「理由は」

「部下が少なかった。敵が多かった。あと、私の机の引き出しが一つ爆発した」

 ミリアは瞬きをした。

「爆発?」

「比喩だ」

 グライフは冷めたコーヒーをすすった。

「半分は」

     -

 ノルトハーフェン民間ドックは、帝都の外縁軌道に浮かぶ巨大な貨物施設だった。

 帝都本星へ直接降ろせない軍需物資や民間開発資材が、ここで再仕分けされる。倉庫、燃料貯蔵タンク、整備バース、税関監査区画が複雑に絡み合い、外から見れば金属でできた小都市のようだった。

 レオン、ミリア、グライフの三人は、監察局の権限でドックへ入った。

 案内役のドック主任は、最初から汗をかいていた。

「監察局の方々が来られるとは、事前に聞いておりませんで」

「事前に聞かせると、片づけるでしょう」

 グライフが言った。

「いえ、そのような」

「片づいていない方が助かる。歩け」

 主任は黙った。

 貨物区画には、無数のコンテナが並んでいた。

 外装は民間用に塗り替えられている。だが、ミリアが携帯端末を近づけると、古い軍用識別コードが薄く反応した。

「少佐」

 彼女は声を落とした。

「これ、カレリア行きの酸素ユニットです。上書きされていますが、下層タグが残っています」

 レオンはコンテナの側面を見た。

 表示には、民間鉱山用生命維持補助機材、と書かれている。

 積荷の目的地は、エーベルハルト伯爵家の関連鉱山。

「酸素は用途を選びませんね」

「人間が選ぶんですね」

 ミリアが言った。

 レオンは少しだけ彼女を見た。

 グライフ大佐は、別のコンテナを叩いた。

「こっちは医療用凝固剤だ。北方開発会社向けになっている。戦場では出血を止める。鉱山では事故に備える。使い道としては、どちらも間違っていない」

「では、何が問題ですか」

 主任が恐る恐る言った。

 グライフは彼を見た。

「届く場所だ」

 その時、区画の奥から拍手の音がした。

 ゆっくりと、三度。

 上等な外套を着た男が歩いてくる。

 太った男ではない。むしろ細身で、身のこなしは軽い。髪には油が行き届き、指には派手ではないが高価な指輪が光っていた。

「いやはや、監察局の皆様は仕事が早い」

 男はにこやかに頭を下げた。

「グスタフ・ローエン。ローエン商会の理事を務めております」

「あなたの倉庫ですか」

 レオンが聞いた。

「弊社系列の管理施設です。戦時物流は複雑でして、名義も所有権も一つの箱の中で何度も変わります」

「便利ですね」

「必要なのです」

 ローエンは穏やかに答えた。

「戦争は勇気で動くものではありません。船と燃料と契約で動きます。閣下方が前線でどれほど勇ましく命じても、荷が動かなければ兵は飢え、砲は沈黙する」

「では、なぜカレリアに荷が届かなかったのですか」

 ミリアが聞いた。

 ローエンは彼女へ微笑んだ。

「中尉、戦時には優先順位が変わります。カレリアが危険となれば、荷を別の前線へ回すこともある。失われる場所へ物資を投げ込むより、守れる場所へ送る。冷たいようですが、合理的です」

「その結果、カレリアでは医療物資が七日分でした」

「前線はいつも物資を欲しがるものです」

 ミリアの表情が固くなる。

 レオンが口を開いた。

「第十八輸送群は、公式には敵襲で壊滅しています」

「痛ましいことです」

「その船がここに来ています」

「混乱でしょう」

「燃料も下ろしています」

「識別信号の誤りかもしれません」

「積荷タグも一致しています」

「タグなど、いくらでも偽装されます」

「では、倉庫を開けます」

 ローエンは一瞬だけ黙った。

 すぐに、柔らかい笑みを戻す。

「監察令状は」

 グライフ大佐が、よれた軍服の内ポケットから書類を出した。

「ある」

 ローエンは、その書類を見て肩をすくめた。

「さすが監察局。嫌われる理由が分かります」

「褒め言葉だ」

「もちろん」

 ローエンは一歩下がった。

「どうぞ、お調べください。ただし、ひとつ忠告を。戦時物流は血管のようなものです。乱暴に切れば、膿だけでなく血も流れます」

 レオンは答えなかった。

     -

 倉庫の奥には、カレリアの名前が残っていた。

 完全には消されていない。

 むしろ、完全に消す必要がないと考えられていたのだろう。

 現場の作業員は、ただ荷を動かす。

 主任は、ただ受領印を押す。

 商会は、ただ名義を変える。

 誰も、自分が要塞の酸素を奪ったとは思っていない。

 ミリアは、薄く残った識別コードを一つずつ記録した。

 酸素ユニット、三百二十。

 医療用凝固剤、二千箱。

 艦載燃料タンク、十二基。

 砲台駆動部品、四十八セット。

 カレリアへ届くはずだったもの。

 届かなかったもの。

 それらが、今は帝都近郊の倉庫で、別の名前を与えられて眠っている。

「少佐」

 ミリアは言った。

「これが届いていれば、カレリアは」

「仮定は後で」

 レオンは静かに言った。

「今は番号を拾ってください」

「はい」

 彼女は唇を噛み、記録を続けた。

 倉庫の出口近くで、作業服姿の女性がこちらを見ていた。

 痩せた顔。疲れた目。

 見覚えがあった。

「ハンナ・リート技師」

 ミリアが声をかけると、女性は肩を震わせた。

 アルム採掘衛星から帰還した民間技師だった。

 彼女は、捕虜交換後、ローエン商会系列の医療審査を受けているはずだった。まだ休養中でなければならない。

「なぜここに」

 レオンが聞いた。

 ハンナは視線を落とした。

「出勤命令が来ました。捕虜だった期間は、会社規定では欠勤扱いだそうです」

 ミリアは何か言いかけたが、言葉にならなかった。

 ハンナは周囲を見回し、小さく言った。

「ここでは話せません」

     -

 ハンナが指定したのは、ドック外壁近くの整備用通路だった。

 窓の外には、帝都が遠く輝いている。

 彼女は何度も背後を確認してから、袖の内側から小さな記録チップを取り出した。

「証言はできません」

 最初にそう言った。

「私は兵士ではありません。家族もいます。商会に逆らえば、仕事だけで済まない」

「分かりました」

 レオンは受け取らなかった。

 ハンナは顔を上げた。

「受け取らないのですか」

「証言しない自由もあります」

「自由?」

「はい」

「私は、助けてもらったのに?」

「助けたことと、証言を求めることは別です」

 ハンナの目が揺れた。

 ミリアは、レオンの横顔を見た。

 彼は本当に、証言を求めていないのだと分かった。

 必要なら諦める。

 それが最適なら、彼はそうする。

 ハンナはしばらく黙っていた。

 それから、記録チップをレオンではなく、ミリアに差し出した。

「証言ではありません。写しです」

 ミリアは受け取った。

「何の写しですか」

「アルムで燃料を積み替えた時の作業リスト。第十八輸送群の積荷番号もあります。私が見た、ということは書かれていません」

「それでも、あなたが渡したと分かれば」

「拾ったことにしてください」

 ハンナは少しだけ笑おうとして、失敗した。

「捕虜収容所で、同盟の医師が言いました。名前が記録に残っている限り、あなたは迷子ではない、と。変な言い方だと思いました。でも、帰ってきたら、分かりました」

 彼女は倉庫の方を見た。

「私は、また迷子になりたくありません」

 ミリアは記録チップを握った。

「保全します」

「お願いします」

 ハンナは頭を下げ、足早に去っていった。

 レオンは、彼女の背を見送った。

「中尉」

「はい」

「複製を」

「もう始めています」

「早いですね」

「迷子が増えると困りますので」

 レオンは何も言わなかった。

     -

 倉庫が燃えたのは、その夜だった。

 ノルトハーフェン第七貨物区画。

 火災発生時刻、二十三時四十分。

 原因、燃料系統の整備不良。

 被害、倉庫三棟、保管記録室一室、貨物識別端末二十七基。

 死者なし。

 負傷者軽微。

 公式には、事故だった。

 ミリアは翌朝、その報告を読んで、端末を握りしめた。

「また整理済みですか」

「今回は物理的ですね」

 レオンは焼けた倉庫の映像を見ていた。

 炎は消えている。

 黒く焦げたコンテナの山だけが残っている。

 軍用タグも、民間ラベルも、燃えてしまえば同じ灰だ。

 グライフ大佐は、コーヒーをすすりながら言った。

「死者が出ていないのは幸いだ」

「証拠は死にました」

 ミリアが言うと、グライフは肩をすくめた。

「帝都ではよくある死因だ」

「大佐」

「怒るな。怒るなら記録しろ。怒りは証拠にならんが、記録は時々刃物になる」

 ミリアは深く息を吸った。

「倉庫内の原本は焼けました。でも、下層タグのスキャン、ハンナ技師の作業リスト、ドック入港記録、第十八輸送群の識別信号は保全済みです」

「どこに」

「監察局、外務省戦時調停局、中立ステーションの共同記録庫」

 グライフ大佐の眉が上がった。

「中立ステーション?」

「アルム捕虜の健康被害原因資料として、捕虜交換記録に紐づけました。燃料や医療物資の未着が、捕虜化前の環境悪化に関係するためです」

「誰がその理屈を考えた」

「私です」

「通したのは」

「クラリッサ参事官です」

 グライフはレオンを見た。

「少佐、部下の教育が悪いな」

「はい」

「褒めている」

「でしょうね」

 ミリアは少しだけ胸を張った。

 グライフは端末を開いた。

「これで、商会は倉庫を燃やしただけでは済まなくなった。だが、ローエンはまだ沈まん」

「なぜですか」

「船を持っているからだ」

 グライフは星図を表示した。

 帝国北方へ向かう補給航路。

 その六割以上に、ローエン商会系列の輸送船が関わっている。

 直轄軍輸送だけでは足りない。

 帝国は、すでに商会の船で戦争をしている。

「ローエンを逮捕すれば」

 グライフは言った。

「北方の補給は止まる。少なくとも、数週間は乱れる。カレリアの次に危ない小要塞が三つある。そこに燃料が届かなくなる」

「不正を見逃せと?」

 ミリアが言った。

「そうは言っていない。だが、首を落とす前に、血管をつなげと言っている」

 レオンは星図を見ていた。

 補給線。

 船。

 契約。

 貴族領。

 商会倉庫。

 前線要塞。

 線は、思ったよりも細かった。

「軍直轄輸送へ切り替えるには」

 レオンが聞いた。

「本来なら三か月」

「最短で」

「書類上は六週間」

「実際は」

「権限を無視すれば十日」

 グライフはにやりと笑った。

「権限を無視するのは得意か」

「よく嫌われます」

「それは得意ということだ」

     -

 ローエンは、監察局からの出頭命令に素直に応じた。

 燃えた倉庫の件で、動揺した様子はない。

 むしろ、彼は新しい外套を着ていた。

「火災は残念でした」

 彼は言った。

「幸い、死者は出なかったようですが」

「証拠は焼けました」

 ミリアが言うと、ローエンは悲しそうに眉を下げた。

「戦時下では、物も記録も失われます。痛ましいことです」

 レオンは端末を卓に置いた。

「第十八輸送群の積荷番号です」

「ほう」

「アルムで再積載され、ノルトハーフェンに到着し、貴族領開発支援物資として再登録されています」

「その記録は焼けたはずですが」

「焼ける前に写しました」

「用意がよろしい」

「あなたほどではありません」

 ローエンは笑った。

「少佐、私を逮捕したいのですか」

「必要なら」

「必要ですか?」

 レオンは答えなかった。

 ローエンは椅子に深く座った。

「率直に話しましょう。私を潰せば、北方の補給は三か月乱れます」

「十日に短縮します」

「理論上は」

「実務上も」

「では、船員は? 航路許可は? 保険は? 燃料決済は? 民間ドックの整備権は? 軍の直轄輸送など、書類の上では勇ましいですが、現実には商会の台所を借りなければ鍋一つ動かせません」

 ローエンの声は穏やかだった。

 だが、その中には自信があった。

「私たちは腐っているかもしれません。ですが、腐った柱でも屋根を支えることはある。あなたが蹴り倒せば、下にいる兵士が濡れます」

 ミリアは何も言えなかった。

 腹立たしいが、ローエンの言葉には一部の事実があった。

 レオンは言った。

「では、柱を交換します」

「簡単に?」

「濡れる前に」

 ローエンの笑みが、少し変わった。

「誰の船で?」

「あなたの船です」

「私の?」

「ローエン商会系列の北方輸送船は、軍需契約に基づき、緊急時には軍の指揮下へ一時編入可能です」

「それは大規模侵攻時の条項です」

「カレリア喪失後の北方戦線再編は、大規模侵攻の前段階です」

「拡大解釈ですな」

「監察局は得意です」

 グライフ大佐が横で咳払いをした。

「私は聞いていない」

「今聞きました」

「なら仕方ない」

 ローエンはしばらく黙っていた。

 それから、ゆっくりと手袋を外した。

「少佐、あなたは私を倒していませんよ」

「はい」

「船も、倉庫も、人員も、航路も、まだ私のものです」

「一時的に借ります」

「借りたものは返さなければならない」

「返す時に数えます」

 ローエンは初めて、不快そうな顔をした。

「あなたは商人に向きません」

「よく言われます」

「主に味方から?」

「はい」

「では、敵からも言っておきましょう」

 ローエンは立ち上がった。

「あなたは勝っていません。荷物の流れを少し変えただけです」

「前線には、それで十分な時があります」

 ローエンは答えず、部屋を出ていった。

     -

 その夜から、監察局は補給線の切り替えを始めた。

 書類上は、北方戦線補給安定化のための一時措置。

 実態は、ローエン商会の喉元に軍の手を突っ込む作業だった。

 ミリアは通信網を組み直した。

 ローエン系列の輸送船へ、監察局、軍務省、外務省の三重承認付き航行命令を送る。

 船長たちには、従えば軍が燃料と保険を保証すること、拒否すれば契約不履行として船を接収することを伝えた。

 脅しだけでは足りない。

 安心だけでも足りない。

 両方が必要だった。

 グライフ大佐は、軍直轄ドックの古い倉庫を開けさせた。

 そこには、退役予定だった補給艇や整備資材が眠っていた。旧式だが動く。遅いが飛べる。燃費は悪いが、前線へ届く。

 レオンは積荷の優先順位を組み替えた。

 燃料。

 酸素。

 医療物資。

 熱交換器。

 砲台部品。

 食糧。

 嗜好品は最後。

 式典用物資は削除。

 貴族領開発支援物資は、すべて後回し。

 抗議はすぐに来た。

 エーベルハルト伯爵家の事務官。

 軍需商会連合。

 北方開発評議会。

 貴族院軍務委員会。

 抗議文は、次々と監察局へ届いた。

 グライフ大佐は、それらを一つの箱に入れた。

「読むんですか」

 ミリアが聞く。

「読む」

「いつ」

「戦争が終わったら」

「終わりますか」

「だから読まずに済む」

 ミリアは少しだけ笑った。

 だが、笑っている時間は長くなかった。

 北方の小要塞から、緊急照会が入っていた。

 雪線要塞群。

 燃料残量、二日分。

 外気温制御、低下。

 負傷兵、四百十二名。

 避難船、燃料不足で待機中。

 ミリアはその通信をレオンへ渡した。

「少佐」

「最初に送る便を変えます」

「予定では、第三便でした」

「第一便へ」

「護衛は」

「薄くなります」

「危険です」

「燃料が届かなければ、避難船が飛べません」

 ミリアは頷いた。

「雪線要塞群へ、第一便変更を送ります」

 彼女は通信を打ち込んだ。

 今度は、どこかの衛星を継ぎ合わせる必要はない。

 正規の回線で、正規の命令として送る。

 それが、少し不思議だった。

     -

 グスタフ・ローエンの逮捕状が出たのは、補給切り替え開始から三日後だった。

 容疑は、軍需物資の不正転用、戦時輸送記録の改竄、監察妨害。

 ただし、逮捕状にエーベルハルト伯爵の名はなかった。

 ローエン商会の理事数名と、兵站局の中級官僚、民間ドックの責任者。

 倒れてよい者たちの名だけが、きれいに並んでいた。

 ミリアはその一覧を見て言った。

「伯爵の名前がありません」

「証拠が足りない」

 レオンは答えた。

「証拠はあります」

「伯爵まで届く形ではありません」

「届かないように切られているんですね」

「はい」

 グライフ大佐が横から言った。

「貴族の尻尾は、いつも高級品だ。切り落としても本体は痛がらん」

「嫌な表現ですね」

「監察局では上品な方だ」

 ローエンは、出頭時と同じように穏やかに逮捕された。

 護送艇へ乗る前、彼はレオンを見た。

「少佐」

「何ですか」

「荷物は届きましたか」

「一部は」

「なら、私の船は役に立った」

「はい」

「私も役に立った」

「それは記録に残します」

 ローエンは笑った。

「本当に、商人に向かない」

 護送艇の扉が閉まった。

 その十二時間後、護送艇は通信を絶った。

 公式記録では、所属不明艦の襲撃。

 護送対象、死亡推定。

 遺体未確認。

 護送兵三名死亡。

 ローエンの生死は不明。

 ミリアが報告を読み上げた時、部屋の空気は重かった。

「便利な死に方ですね」

 レオンは言った。

 グライフ大佐は、冷めたコーヒーを置いた。

「死んだことにしたい者が多い時、人はよく消える」

「追いますか」

 ミリアが聞いた。

 レオンは少しだけ考えた。

「今は補給を追います」

 彼は端末を開いた。

 北方行き第一便の航行状況。

 雪線要塞群まで、あと二時間。

     -

 雪線要塞群からの通信が届いたのは、翌朝だった。

 短い報告だった。

『第一補給便、到着。燃料、医療物資、酸素ユニット、熱交換器、受領確認』

 ミリアはそれを読み上げた。

 次の行で、少し声が止まった。

『負傷兵四百十二名のうち、緊急手術対象九十六名、手術開始。避難船三隻、燃料補給後、民間人搬出予定』

 それだけだった。

 感謝の言葉も、勝利の報告もない。

 ただの受領確認。

 補給が着いた。

 手術が始まった。

 船が飛ぶ。

 ミリアは画面を見つめていた。

「中尉」

 レオンが言った。

「記録に」

「はい」

 彼女は受領報告を保存した。

 数字は小さかった。

 四百十二。

 九十六。

 三隻。

 要塞。

 船。

 燃料。

 画面の上では、それだけだった。

 だが、ミリアには、医療区画の照明が戻る様子が見えた。

 凍えた通路に暖気が流れ込む様子が見えた。

 避難船の推進器に火が入る様子が見えた。

 カレリアで届かなかったものが、別の場所には届いた。

 それだけのことだった。

 それだけで、十分だった。

 グライフ大佐は、箱に積まれた抗議文を見た。

「さて、次は貴族院から山ほどお手紙が来るぞ」

「読むんですか」

 ミリアが聞いた。

「表題だけ読む。中身はだいたい同じだ」

 レオンは新しい報告書を開いた。

 北方戦線補給再編、第一次報告。

 不正転用物資、回収分。

 未回収分。

 再配分先。

 関係商会。

 失踪者、グスタフ・ローエン。

 関連疑義、エーベルハルト伯爵家。

 彼はそこで手を止めた。

 伯爵の名は、まだ疑義の欄にしか置けない。

 だが、欄はできた。

     -

 同じ頃、自由星系同盟軍旗艦オルトリーヴでは、北方戦線の補給状況が更新されていた。

 アレクサンドル・ヴェガ提督は、帝国側の補給効率が突然上がったことに気づいた。

「雪線要塞群に補給が届いています」

 副官が報告する。

「カレリア喪失後、帝国北方の輸送系統は混乱していたはずですが、ここ数日で一部が回復しています」

 ヴェガは星図を見た。

 帝国の補給線が、以前とは違う形で伸びている。

 太くはない。

 むしろ細い。

 だが、必要な場所へ向かっている。

「クラウゼンか」

 ヴェガは呟いた。

「敗戦処理官が、補給まで?」

 副官が怪訝そうに言う。

「前線に届かなかったものを数え始めたのだろう」

 ヴェガは静かに言った。

「面倒な男だ」

「作戦を変更しますか」

「する」

 彼は帝国北方戦線の星図を拡大した。

「補給不足を突く作戦は、効果が薄れる。ならば、別の弱い場所を探す」

「どこを」

 ヴェガは、帝国領内の政治境界線を表示した。

 貴族領、軍管区、開発会社所有宙域、避難民収容ステーション。

 線は多く、複雑で、互いに重なっていた。

「補給は戻り始めた」

 ヴェガは言った。

「だが、命令はまだ遅い」

     -

 帝都の監察局に、また新しい箱が届いた。

 今度は抗議文ではなかった。

 雪線要塞群からの追加報告。

 補給到着後、避難船三隻が出発。

 民間人、千二百名搬出。

 手術完了、八十八名。

 死亡、八名。

 レオンは数字を見て、短く息を吐いた。

 ミリアはその横で、補給再編の通信ログを整理している。

「少佐」

「何ですか」

「ローエンは、死んだと思いますか」

「分かりません」

「生きていたら」

「また出てくるでしょう」

「死んでいたら」

「誰かが、彼の席に座るでしょう」

 ミリアは手を止めた。

「終わらないですね」

「終わる仕事なら、監察局に回ってきません」

「それは慰めですか」

「事実です」

「慰めの方がよかったです」

 レオンは少しだけ考えた。

「第一便は届きました」

 ミリアは画面を見た。

 雪線要塞群、受領確認。

 民間人搬出。

 手術完了。

「はい」

「それで今日は十分です」

 ミリアは、ほんの少し笑った。

「少佐にしては、慰めに近いです」

「不慣れですので」

「記録しておきます」

「それは困ります」

 彼女は本当に記録しようとして、やめた。

 代わりに、雪線要塞群の報告を正式保存した。

 窓の外では、帝都の昼が白く輝いている。

 美しい街だった。

 だが、その光の下を流れる線が、少しだけ見え始めていた。

 船の線。

 金の線。

 命令の線。

 そして、どこかで切られた線。

 レオン・クラウゼンは、新しい調査票を開いた。

 表題は、まだ空欄だった。

 ミリアは隣で、補給航路図を表示する。

 雪線要塞群のさらに先、帝国北方の薄い宙域に、小さな警告表示が点滅していた。

 通信遅延、増大。

 避難民船団、待機中。

 指揮系統、未確認。

 レオンはそれを見て、静かに言った。

「次は、命令が届いていないようですね」

 ミリアは端末を抱え直した。

「通信網を見ます」

 グライフ大佐が部屋の奥から声をかけた。

「おい、二人とも」

「何でしょう」

「前線へ戻りたそうな顔をするな。監察局の人間が前線に行くと、書類が泣く」

 レオンは答えた。

「人も泣いています」

 グライフはしばらく黙り、やがて冷めたコーヒーを掲げた。

「なら、書類は後回しだ」

 ミリアは新しいフォルダを作った。

 今度は、名前を迷わなかった。

 雪線宙域、通信遅延調査。

 補給は届いた。

 だが、まだ帰る命令が届いていない場所がある。

 帝都の静かな部屋で、次の戦場の輪郭が、少しずつ浮かび上がっていた。


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