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第八話  緩やかな時間の流れ。ちょっ、待ておい!これって新しい厄介事!?(下)

最初はなにも感じない暗闇のなかだった。


ゆらりゆらりと無意識のなかを漂っていたが、そこからだんだんと意識が浮上していくのにしたがってゆっくりと五感の感覚が戻ってくるのがわかる。


まず最初にもどったのが嗅覚だった。


今まで嗅いだことのないとても美味しそうな食べ物の臭いをかぎとり、何日もろくに食べていなかったせいかくーというお腹のおとを耳が拾い聴覚が覚醒する。


おもわずお腹を押さえたとき、完全に意識が浮上して自分が柔らかなものに包まれていることに気がついた。


(あれ?私一体どうしたんだっけ?)


いつものように兄弟にいじめられたあと、獲物をとるための囮にされたのは覚えている。


本当はウサギなんかを狩って食べるのだけど、少し大きな猪なんかも、私を囮にして攻撃を仕掛けたところで兄弟達が一斉に飛びかかって仕留めたりしていた。


でもそのとき囮に食いついたのは一頭の狼で、逃げる時間を稼ぐために兄弟の一人に狼の前に突き飛ばされたのも覚えている。


狼のなぶるような攻撃にボロボロになりながら必死で逃げていたら、いつのまにかいなくなっていて、それから・・・それから?


それから一体どうしたんだろう。


もしかして私、死んじゃったのかな?


だったらいいなぁ。もういじめられることも、痛い思いをすることもないもん。


ああ、でもとっても美味しそうな臭いだなぁ。あの世でもお腹って空くんだね、私し知らなかった。


「・・・お腹すいた」


「お、やっぱり腹へってんのか。おーいおふくろー、目を覚ましたからスープ温めてやってくれ。腹へったってさ」


「!?」


目を覚ました先には、とっても怖い鬼がいました。


なっ、なんでー!?





目を覚ますなり化石のように固まってしまった幼女に、やっぱりなと思いながらも長年似たような反応をされ続けたためもはやたいしたダメージも感じず・・・いや、やっぱり地味にダメージを受けながら、浩一は千梨に幼女が目を覚ましたことを告げた。


ちらりと視線をやるが、相変わらず硬直したままピクリとも動かない。へたにパニックになって暴れられるよりはましだなと、なんだかとてもしょっぱい気持ちになってしまったが、まぁそれはそれだ。


なんとはなしに幼女の頭についているふさふさとした純白の毛並みをした大きな耳に手を伸ばしてみる。


もちろん、それが本物の耳であるということは知っている。寝ているときに時おりピクピクと動いていたし、今も固まっている表情とからだとは別に耳だけはピクピクそわそわとせわしなく動いて本人が思いっきり動揺していることがわかった。


浩一はいかつい見た目に反して可愛いもの好きである。


可愛くてモコモコしたようなものなんて思わず頬擦りしたくなるくらいには好きなのだ。そんな浩一の目の前には今、まさにモコモコで可愛くて小さな生き物がいる。


これはもう、思わず手を伸ばしてしまってもしょうがないだろと、浩一は後になってそのときのことを語った。


しかし、なるべく怖がらさないようにゆっくりと手を伸ばしたのだが、とたんにぴくりと毛布の上からでもわかるほど震えられたため、伸ばしかけていた手は素直に引っ込めることにした。ここで無理にてを伸ばしてしまうと、今度こそ相手はなくかわめくか失神してしまう。


ちなみに今は怯えるプラスプチパニックになっていてまともに反応できていないといったところだろう。


何度もいうが、これはもはやなれてしまっあ初対面の相手がとる反応である。悲しいことに。


「浩一、スープ持ってきたわよ。・・・ああ、お嬢ちゃん大丈夫?スープ持ってきたのだけれど飲めるかしら」


「え・・・は、はい。大丈夫ですお腹空きました」


「うふふ、真っ赤になっちゃってかーわいい!ほら、熱いから気をつけて飲んでね」


深めの皿に柔らかく煮込まれた野菜や肉がたくさん入っているスープとスプーンを渡してやると、幼女は最初戸惑ったように浩一と千梨の顔を見つめ、やがて意を決したようになれない手つきでスプーンでスープをすくい口に入れた。


とたんに目を大きく見開き、頭の上の耳も勢いよくピン!とたつ。


スープが熱いのか、もしくは熱いのが苦手なのか一生懸命に息を吹き掛けながらスープをすする姿は見た目もあってまさに小動物。見ているものの気持ちをなごませた。


やがて最後の一滴まで飲み干し、まだ足りなさそうにしていたのでおかわりを一杯。嬉しそうにそれも飲み干し、ようやく一息ついたのか、はふっ、と膨らんだお腹をかかえてソファーに身を預けた。


「あらあら、よっぽどお腹が空いていたのね。まだおかわりいる?それともスープだけじゃなくてなにかお腹にたまるものでも作ってくようかしら」


あまりの食べっぷりに、こんどは消化にいいリゾットでも作ろうかとキッチンへ行こうとするが、慌てたようにそれに待ったの声がかかった。


「いえ、あの、もう十分です!こんなに美味しいご飯はじめて食べました」


「おう、そりゃよかったな」


「えへへへ・・・いえそうじゃなくて、すいません、ここどこでしょうか?」


お腹がふくれえようやく人心地ついたのか、そこでようやく自分がいるところが川の近くではないということに思い当たったらしく、不安そうに辺りに視線をさ迷わせた。


確かに、いきなり知らないところにいたら不安になるだろう。


ちなみに最初は浩一に怯えそれどころではなく、つぎは久しぶりのまともな食事に夢中になってしまいそこまで気が回らなかったためだ。


あうあうと視線をさ迷わせるのにあわせて耳がピクピクと動き尻尾が揺れる。


大変心暖まる光景ではあったが、油断なく辺りを警戒し、いざというときのための脱出経路を必死に探していることを、浩一と千梨はめざとく見抜くと、一瞬視線を交わす。


浩一はなるべくさりげない動作を装いながら一歩引き、千梨は万人が聞き惚れる自慢の美声を最大限駆使して話しかけた。


「ここはね、最近桃郷山って言われている山のなかの、私たち家族の家よ。こっちの顔が怖いのは浩一、私の息子なの」


顔が怖い、といわれ若干落ち込んだが、そんなことはおくびにも出さずに浩一は微かに会釈をする。


「川の近くで倒れていたあなたをこの子が拾ってきたんだけど、あなたどこから来たか思い出せる?多分大丈夫だと思うけど、記憶とか混乱していない?」


「は、はい!大丈夫です!」


「そう!それはよかったわ。私は千梨、お嬢ちゃんよろしくね」


にっこりと、その場に他の男がいたなら膝まずいて崇めたくなるような、絵師がいたならばその光景を描くのに人生を引き換えにしてもいいとすら思える笑顔でそういうと、例に漏れず幼女は真っ赤なリンゴのようになってしまった。


モゴモゴと口ごもりながら、ちらちらと上目遣いで返事をした。


「・・・あ、あのっ!助けていただいてありがとうございました!狼にやられてしまって正直もうだめかと・・・あれ?痛くない?」


そこでようやく、自分のからだの違和感に気がついたらしい。慌てて着物を緩めてあちこち確認をする。


もちろん、浩一は幼女が体の確認のために着物の帯にてをやった時点でくるりと後ろを向いて見ないようにした。


顔はいかつくても心は紳士。紳士は紳士でも変態と読まないジェントルマンなのである。いくら子供とはいえ女の子の着替えをというか、肌を見るわけにはいかない。


「え?えっ?傷は?怪我は?ええー!?」


幼女は慌てて記憶を掘り起こしてみた。


確かに死にかけるほどの傷を全身におったはずなのに、痛みはおろか過去のものも含めて傷跡ひとつ見当たらない。完全に完治してしまっていた。


浩一は一気に治療してしまったために気がつかなかったが、狼の囮にされたときに動けないように兄弟に片足の健を深く切られていたし脇腹に噛みつかれたときに負った怪我など致命傷以外の何物でもない。


はみ出そうとする臓物を手で押さえながら這いずるように逃げ回っていた記憶が幼女にはあった。


なのに、だ。そんな怪我がすべてきれいに痕すら残らず消えてしまっている。


あちこち全身見て、それらしいものがないことを確認し、目を白黒させる。もはやあり得ないことの連発で頭の中がオーバーヒート寸前であった。


「あう、あうううう」


そんな混乱しまくって最終的には頭がポン!してしまいそうな様子を最大限ほほえましい気持ちで見守っていると、そのうち手に小さな着物をもった昭義と、ようやく山のなかのパトロールを終えた葵がリビングへと入ってきた。


「ただいまー。なんか狼が一匹迷いこんでいたからよその山に叩き返してきた以外はとくに何も問題なかったよ。あ、なんだ起きてたの?おはよー、気分はどう?」


「子供用の着物なかったから一枚縫ってみたんだけど丈あうかなこれ?」


「あ、それこの前呉服屋行ったときに買ってきたやつじゃん。ちょっと柄が幼すぎて誰も似合わなかったやつ」


「そうなんだよなぁ。でもせっかくだから取っておいたんだけど無駄にならなくてよかったよかった。千梨、着替えさせてあげてくれないかい?」


そう言って昭義に手渡された着物は白地に水色の波紋の模様が描かれ、紅い金魚が泳いでいるがらだった。


確かにこれは二十歳の娘が着るのには厳しすぎるし、美女という言葉を体現したような千梨にも似合わないことはないだろうが柄が小さな子供むけのためちょっと着るのに戸惑いを覚えさせる一品だ。浩一などはいわずがもな。


とりあえずはお風呂ね、と呟きまだ混乱している、というよりは話についていけていないというほうが正しい幼女を千梨はゆっくりと抱きあげ、バスルームへと向かう。


くるんであった浩一の服を脱がせ、ぼろ切れのような着物を脱がせると千梨自身も服を脱いで中へとはいる。


風呂の掃除もお湯はりも事前に済ませてあったため、なみなみと注がれているお湯に幼女が目を丸くしているかたわらシャワーの温度を調節、少し温いぐらいに設定した。


「そのままじゃお湯汚れちゃうから体洗うわね。はい、ここに座って。石鹸使うけど香りがきつかったり不快だったら遠慮なく教えてねー」


「あうっ、わかりました」


「ん、よろしい!はーい、まずは頭からお湯をかけるから目を閉じて耳ふさいでねー」


極力耳にお湯が入らないように気を付けながら髪を洗い、体を洗い、ついでに尻尾も丹念に洗ってやる。


すると今まで血だったり土だったりで汚れていたのが見違えるほどきれいになり、千梨は満足そうに頷いた。


さっぱりしたところで少し眠そうな幼女を湯船につけ、しっかり暖まってから出るように指示を出してから一足さきにバスルームから出ていく。


一方、幼女はこの環境にうまく対応できないでいた。


(えっとえっと、目が覚めたら怖い人がいて、その後にとってもとっても綺麗な人がやって来て。それから怪我も全部治っていて、ご飯が美味しくて怖い人は実はあんまり怖くないかもだし新しい着物もくれてお風呂がきもちいいっていうか石鹸とかいうものがい香りっていうか一体どんな状況なのこれー!)


大混乱だった。


混乱しすぎているせいで耳が出ているのにも尻尾が出ているのにも全く気がつかないまま体がポカポカになるまで温もってから出てきたところ、待ち構えていた葵に大きなバスタオルで全身をふかれ、着物片手に「尻尾のところどうする?穴でも開けてもらおっか?」と聞かれるまでその混乱は続いたのであった。





「あのっ、遅くなりましたが自己紹介しましゅ・・・うっ、噛んじゃった。えっと、私は妖孤族です。狼に襲われて行きだおれていたところを助けていただきありがとうございました」


とりあえず着物は尻尾の部分だけチャックをつけ、そこから出し入れするようなスタイルへと落ち着いた。


耳と尻尾が出ているということに気がついた幼女がこれはヤバイと真っ青になりながらどうにか言い訳しようと頑張るが、かみかみで周りをなごますだけになったというエピソードもあるが、まぁそれはおいておく。耳が狐耳だろうが尻尾があろうがたいして気にしないという態度を一家全員がとったのが功をそうしたのだろう。


なんというか、


いいの?


本当にいいの?


もうぶっちゃけちゃうけど大丈夫?


というかんじに顔色をうかがってきているのを華麗にスルーしてやると、ようやく本当に大丈夫なのだと納得したのか肩の力を抜いた。


「まぁ気にすんな、困ったときはお互い様だぜ。こっちも改めて自己紹介するな。浩一だ」


「はーい!私妹の葵っていうの、よろしくね」


「母の千梨です」


「俺は父の昭義っていうんだけど、お嬢ちゃんの名前は何て言うんだい?」


昭義がそう聞くと、幼女はまごまごしながら口を開いた。


「あ・・・の、私、名前ないんです。家族のみんなと違ってこんな色してるからお母さんがつけてくれなくて」


「なるほどよくわかった。吾輩は狐である。名前はまだない。ってやつだね」


「アホかお前、こんな微妙にシリアスな場面で当人には絶対にわからないネタ振りするんじゃねぇよ」


「あた!」


浩一がバシン!と葵の頭をひっぱたく。


ベシンではない。バシン!となんとも痛そうな音がした。


空気を欠片も読まなかったシリアスクラッシャーな葵に元祖ツッコミの浩一のツッコミが唸った瞬間であった。


その事により思わず暗くなりかけた空気が軽くなり、幼女はぽつりぽつりと語り始める。


「兄弟達のなかで、私一人がこんな真っ白な毛並みをしているんです。だからお母さんとか、他のみんなからつまはじきにされちゃうんです」


お風呂に入ってきれいに洗われ、ドライヤーで乾かされたおかけかフワフワな尻尾を取りだし、ふりふりと揺らしながらいう。


「狩りの囮にされることだってしょっちゅうだったし、今日だって狼に襲われたときにお前が時間稼ぎしろ、その隙に逃げるからって突き飛ばされて・・・どうにか逃げ切ったんですけど怪我もひどかったし浩一さんが拾ってくれなかったら私今ごろ生きてなかったでしょう」


ものすごい重い話であるが、言っている本人がとても軽い事のように言っているため悲壮感はない。事実、この幼女にとってはもはや当たり前のことであったため特にどうとも思ってないというのも大きかった。


そんな幼女の家庭事情を聴いた浩一がまず最初に思ったことは一つ。


(めんどくせぇもの拾っちまったなぁおい)


というものであった。


厄介事が嫌いな浩一にとってこれはやっぱり厄介事であり、『その程度の事情』でいちいち同情できるような人生を送っていない。


葵も千梨も気の毒そうな顔こそしているが、内心は似たり寄ったりなものだろう。


しかし、思い出して欲しい。この三人だけならこのままはいそうですかで最低限のアフターを施したあと幼女を放り出すことを戸惑わなかっただろう。しかし!今日この時この場には昭義というある意味最強の一般人がいたのだ。


数年後、この幼女は当時を振り返ってこう語った。


『あの時私の運命を分けた最大の原因は浩一さんに拾ってもらった事じゃなくて、昭義さんがその場にいてくれた事だったかもしれない』


・・・と。


「そうかい・・・それは辛かったねぇ。もう大丈夫だ、ここには怖い人は誰もいないから安心しなさい。葵も浩一もとってもいいこだよ、きっと君を助けてくれる。もちろん、俺や千梨もね」


なぁ皆?


そう昭義に笑顔で言われ、浩一は改めて幼女を見た。


どこにでも一つか二つは必ず転がっている他人よりかなり不幸な生い立ち程度に思っていたが、あらためてそういわれてみればこの幼女がなんだかとてもかわいそうな生き物に思えてきた。


よくよく考えなくても親や兄弟達にこんな目に遭わされることじたい普通ならあってはならないことなのだ。


出会わなかったのならば、知らなかったのならばほっておいただろうが自分達はこの幼女の存在を知ってしまった。ならばそう、縁があったというやつだろう。


ちょっと手を差しのべてやるくらいはかまわないかもしれない。


幸いには自分達にはその辺にいる人より力があり、何かしらの選択肢を与えてやることもできる立場にある。


これを傲慢だとは思わない。できる(・・・)からやれる(・・・)、ただそれだけのこと。


そこではたと、浩一はじぶんがこの幼女にすっかり手をさしのべてやる気になっていることに気がついた。


頭のなかではもう一人の自分が偽善だ、強者ゆえの余裕だ、部外者だからこそ持てる憐れみだ施しだと詰っているが、そんな声は丸っと無視。


昭義の、まさに鶴の一声であった。


なんというか恐るべし、無自覚最強最弱一般人、別名茜雲家の父昭義。あっという間にこのまま傷の手当てだけをされそこでさようならという運命を辿る幼女の運命をかえてしまった。


さらに恐ろしいのがあっさりと思考を変えてしまった対象が浩一だけではなく葵と千梨もであり、その事になんら疑問もなにも抱いていないことだろう。


もはや昭義のスキルの一つに『洗脳』とかいう隠れスキルが追加されていてもおかしくはないほどの反応だが、どこまででも父至上主義者である三人にとってはごく当たり前のことだったりする。


とにかく三人は昭義のこの幼女をどうにか助けてやりたいという願いを叶えるために即座に行動に出た。


千梨はちょっとでも栄養のある食事をとってもらうためにレシピを考えながらキッチンへと向かい、葵は今後にたような目に遭っても無事に過ごせるように防御力の高いアクセサリーの創作に取りかかる。そして浩一はひょいっと幼女を抱き上げて膝の上に座らせた。


拾ってきたのは自分なのだ、幸いにしてどうやらこの幼女は自分をあまり怖がっていないため、食事と今後の対策を他の二人がやってくれているなら自分がしなくてはならないことはメンタル面でのケアだろう。


「今まで大変だったな。でも名前がないのは不便だろ、つけてくれないのなら自分でつけちまえよ」


「・・・いいのかな、私なんかに名前があっても」


「いーんだよ、ここにいる奴らはお前に名前があるのを攻めたりなんかしねーから」


うつむく幼女の頭にてをのせ、そのままぐしゃぐしゃとかき混ぜる。


柔らかそうな純白の髪は見た目よりもずっと柔らかくて、浩一の指を喜ばせた。


名前というものは特別なものである。


名前がつくことにより物は者はモノからそこに固定され、確固たるモノへとなる。名前がないということは自分をそこに固定するものがないということ。存在するのに、存在しないということ。


名前があっていいということは、そこに存在してもいいということなのだ。


浩一は誰も認めてくれないのなら、自分で自分を認めてやればいいのだと語った。


ポロポロと溢れ始める涙をぬぐいもせず、幼女は浩一にすがり付く。


そこにいてもいいのだと、存在してもいいのだと言われ、そこでようやく幼女は寂しかったのだと、辛かったのだということに気がついた。


しばらく嗚咽を漏らしながら泣いていた幼女だったが、ゆがて泣き止むと真っ赤に充血した目を隠そうともせずに顔をあげた。


「決めました。私の名前は真雪です」


兄弟達の持つ金色の毛の色じゃなくて、私だけが持つ真っ白な雪の色だから


そう言って笑った幼女の笑顔は何よりも輝いていた。


それから幼女改め真雪はそのまま茜雲家で一泊し、次の日の朝出ていった。


本当はこの山に住み着いていいという許可を葵からもらっていたのだが、真雪はそれをよしとはしなかった。


『私、一度戻ります。戻って全部全部決着をつけてきます。・・・それが終わってから、またここに戻ってきます』


自分のなかに残っている問題、特に今までさんざん強いたげてくれた狐たちを見返してやるのだという真雪に、浩一はただ頑張れよとエールを送る。


真雪は何度も何度も振り返りながら、それでも最後は勢いよく走り出した。


いつかもう一度この山に戻り、今度は堂々と自分の名前は真雪であるのだと告げるために。


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