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第四話

 車が曲がって見えなくなると、トクバ氏は今まで骨抜けのようだったのが嘘みたいにスッと屹立し、Pタートルをキッとにらみつけた。そのまま憤死してしまいそうなほど、その目には強い怒りと、そして羞恥の色が混ざっている。

「本当に違うんです、トクバさん・・・」正気を取り戻して自分の置かれた状況を思い出したPタートルは震える声で言い、「本当に、僕はちゃんと料金を――」

「黙れ!俺にまで迷惑かけやがって、何のつもりなんだ?なあ、おい。俺を、人間を馬鹿にするのも大概にしろよ。何もしてこないってタカ括ってるんだろ?俺だってやるときゃやるんだからな。二度とこんな真似してみろ、そのときはお前をぶっ殺してやるからな」トクバ氏は今にも殴りかかりそうな勢いで詰め寄りながら言った。

「そんな、ちゃんと料金を徴収しろって言ったのは――」

「うるさい!このウスバカが!どうしてこれくらいちゃんとできないんだ・・・」

 トクバ氏はそう吐き捨て、地面を重く踏みしめながら駐車場から出ていった。その場に漂っていた奇妙な空気は平日の慌ただしさの中であっという間にもみ消されてしまったが、Pタートルの内には胃もたれのようなモヤモヤとしたモノがいつまでも残り続けていた。


 パーキング・タートルはウスバカの白痴では決してない。ただ人間社会における世間知や教養と呼ばれるものを持っていないだけだ。むしろ他の心の機微には、人間と変わりないかあるいはそれ以上に、気がつく。そのため、あの青年が嘘をつきなれていないことや度々肝を冷やしていたことに気づいていたし、トクバ氏が他人に対して強く出られない性質で、そのため青年の嘘に感づいていながら追求できなかったこともその八つ当たりで自分に強く当たったことだって、もちろん察していた。ただ、その直感を明確な形に組み立てる能力を会得していないだけのことだ。

 もし公正な存在が、パーキング・タートルに詳しいだけの人間などではない、真正に公平な存在がいたのならば、本当にウスバカで白痴なのはどっちだと断ずるだろうか。


 ある昼下がり。Pタートルは届いたばかりのPTPを読んでいた。いつもと何ら変わりのない記事ばかりである。しかし、その中で一つ、彼の目を不思議と引き留めて離さないものがあった。2ページ目の下部にあった小さなコラム。そこには太文字の大きなフォントで以下のように書かれていた。

 “人間とは理性的な動物であり、決して過ちはない”

Pタートルは眉をひそめた。とは言うものの、なぜ自分が眉をひそめたのか、それをピタリと思い当てることができなかった。人間が理性的動物であるという点か、理性的な動物は過ちを犯さないという点か、人間には過ちがないという点か。

 いずれにせよ、このコラムは正しいと言えよう。

 “人間が理性的動物である”ということについては疑う余地もないだろう。人間たる者は皆、その理性を信じて疑わない。人間の理性を疑う人間だって、自身が懐疑するための理性(あるいは理性の別称)については信じて疑わないだろう。そうでなければ、自身が理性を持ち合わせていないと思うのであれば、そもそも批判などできるわけがない。

 “理性的な動物は過ちを犯さない”ということもその通りである。理性的な動物は正当化を行う。たとえ明らかな間違いだったとしても、「それが最善だった」や「あの経験のために今がある、だからあれは過ちではない」と言い聞かせておけば、少なくとも自分の中では過ちではなくなるのだ。それでも敵わないときは「過去のことだから」と、その誤りと現在の因果関係を断ち切ることで自身による批評の対象から外させる。その後は、目のつかない場所に野ざらしで放置して未来から降る記憶の雨風によって風化するのを待つだけでいい。

 “人間には過ちがない”ということだって、なるほど正論だ。上記の二つの要素から三段論法的にそれはもっともだ。それに加えて、「人間は間違う生き物である」という金言を人間はいつの日か手に入れた。この言い訳がましい開き直りにより、ひどく逆説めいているが、全ての過ちは過ちでなくなるのだ。そして、下水が川や海に流れていくようにそれらは歴史という大きな流れに合流する。そうなってしまえば、もう誰の手にも負えない。すでに流れていってしまったのだから。もしその過ちを指摘する存在がいたとしても、どうにもならない。人間たちは口をそろえて言う。「僕らは歴史そのものについて話をしているんだ。歴史上の行為の善悪についてじゃない。それに、僕らが議論するべきはこの歴史を踏まえてどうすれば未来をどれだけより良くできるかじゃないのか?」


 パーキング・タートルは雑誌の表紙を破ってつまらなそうに鼻をかんだ。


「12時から17時で平日・・・、22番はサービス料金車室になっていますので、700円になります」

「お、そうなんだ。ラッキー」

「お前だけズルいぞ。俺の料金も700円にしてくんね?」

「すみません。サービス料金の適用は9番から22番車室までと規則で決まっておりますので」

「冗談だって、そんなマジになんないでくれよ」

「・・・800円になります」

「はいはい」


「1500円になります」

「1500円?」

「はい、今日は土曜日ですので、昼間の最大料金は1500円までです」

「そっすか、割り勘で払いますね」

「え?」

「おい、250円ずつ出せ。ほら・・・、アミ、お前何で10円玉5枚なんだよ、50円玉無ぇの?」

「あの・・・」

「マサキ、お前、5円玉10枚ってパねぇな。超かさばんじゃん」

「・・・」

「はい、1500円っす、多分」

「・・・計算するので少々お待ちください」


「お客様の車が傷つくかもしれませんので、ボール遊びは岡崎公園に着いてからにしてくださいね」


「まだ一時間も経ってませんけど、もうご出庫ですか?」

「ああ、頼むよ」

「分かりました。ええと、夜間料金で一時間分ですので、100円になります」

「一万円でよろしく」

「ええ?一万円は困ります。さっき売り上げを回収されたばかりなので、それほど釣り銭がないんですよ。100円玉でお願いします」

「はぁ?そんなの知らねえよ。こういう商売するなら少なくとも2、3万円分の釣り銭は準備しておくのが常識だろ。俺だって自営業なんだから、甘く見てもらっちゃ困るぜ」

「すみません、でも無いものは無いんです」

「じゃあ、俺にどうしろって?」

「近くのコンビニで崩してきてください」

「馬鹿かお前は!なんで俺がそんなことしなきゃいけないんだ?100円払うために100円以上の買い物をしてこいって?」

「いえ、しかし、その、両替代わりにここを使われても困りますので・・・」

「生意気言ってんじゃねぇぞ!」

「すみません、でも無いものは無いんです」

「同じことしか言えねえのか!こんな単細胞がよく人間社会で・・・、あ?」

「はい?」

「・・・ポッケに100円玉入ってたわ」

「・・・そうですか」


「あの、お客様、スケボーはお預かりすることはできません。え?電動?いえ、その、そもそもここでは原付でも大型でも、バイクの駐車スペースはございませんので・・・、申し訳ございません」


 パーキング・タートルはこのように、必死で仕事に取り組んでいた。毎朝空気の違いに驚いては夕頃に適応するものの、また次の朝が来る。そんな毎日である。そうやって日ごとの空気に体を馴染ませる中でも、体の奥には、あのモヤモヤとした胃もたれのような空気がよどんで残っていた。働いている間はあまり気にならないが、夜中など、時間があるときにふと汚水のような臭いが漂い、その鬱屈とした空気を思い出すのだ。そのうち日中でも、やりきれない気持ちが頭をもたげるようになり、暇さえあれば例のモヤモヤとした感覚の正体を探るために思索にふけることも増えていた。


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