酒場の猫と千年生きた葡萄の樹(了)
ライナは二人に、おとぎ話を聞かせた。
二人は何故か爆笑していた。
「そんな話が人間界にはあったのか!」
「おっほっほ、傑作ね!」
天界の生物と人間では笑いのツボが違うのかもしれない。
「それで、わたくしはこのおとぎ話の謎を解明している所なのです。デウトロノミオン様は実在するのですね?」
「もちろん!天界の門番で、風の神様だよ。おれはデウトロノミオン様から血を分けて貰って産まれたんだ」
「なんてことなの…!すごいわ!」
これまで半信半疑だったが、これは決定的だ。
おとぎ話に書かれていることは事実で、女神は存在するのだ。
こんなに近くにおとぎ話に繋がる糸があるなんて。
ライナは自分の想像が急に現実味を増したことで身震いした。
「おとぎ話には《デウトロノミンと乾杯をして手懐けると、彼の背に跨り神の国へ出発します》とありますけれど、これはもしかしてその"特別なワイン"で乾杯すればデウトロノミオン様が天界へ行く協力をしてくださるということですの?」
「あぁそれは」
「パトリシーウス!!」
ライナの問いかけに、パトリシウスは口を開く。
しかし、それをトカイアスが大声で止めた。
パトリシウスはビクリと首を竦め耳を伏せた。
「教えて差し上げたいけれど、タダでっていうのは、ねぇ?」
「なんだよトカイアス、ライナをいじめんなよぉ」
「あの、わたくしあまりお金を持っていないのですが…」
「あーた貴族じゃないの?お金持ってないってどういうこと?…じゃなくて!あたくし達が人間の通貨なんか欲しがるわけないでしょ。お酒よ!あーたの騎士が抱えてるじゃないの!」
トカイアスが支柱に絡まる枝葉をスヴェンに向けて指し示す。
ライナはすっかり存在を忘れていたが、スヴェンはずっとライナの後ろで猫や樹と喋り出した主の姿を見守っていたのだ。
その手には途中の市場で買ってきたエールの瓶がある。
ライナは顔が引きつっているスヴェンから瓶を受け取った。
茶色の粗悪な瓶にはたっぷりと黄金色の酒が詰まっている。
「これのこと?」
「中身はなぁに?チッ安酒ね。まぁいいわ!酒場が休みでワインが手に入らなくて困っていたのよ。あーた、それをあたくしの根元にかけて頂戴」
「お酒を嗜まれるの!?」
ちょいちょいと枝葉で足元をつつくトカイアス。
ライナは目を丸くした。
樹が酒を飲むなど聞いたことがない。
パトリシウスが前足で顔を洗いながら呆れた声を出す。
「あ~あ~、おれが取ってきてやるって言ったのに、ほんの少しも我慢できないのかよトカイアスー」
「あーたに任せてたら枯れちゃうわよパトリシウス!」
どうやら最初に見たときに揉めていたのはお酒が手に入らなかったかららしい。
ライナは困惑した。
ライナの家にも庭師がいるが、確か植物に変な物をかけると枯れてしまうと言っていた気がする。
エールなどかけて、千年も生きているトカイアスが枯れてしまったらどうしよう。
「あたくし達は人間が造る酒が大好きなのよ。酒って元々神に捧げる為に造り始めたものでしょう?あたくし達の口にはすこぶる合いますのよ」
「本当に、かけても枯れない?」
「枯れない枯れない。コイツほんっと呑兵衛でさぁ、それっぽいこと言ってるけど酒が飲みたいだけなんだぜ」
二人に急かされ、ライナはおずおずとトカイアスの根元にしゃがみ込み、えいっとエールをかけた。
「ちょっ!ライナ嬢!?何をっ」
「あーたの騎士を黙らせて頂戴」
「これでいいのですスヴェン」
「どうしちゃったんですかさっきから!」
「あとで説明しますから…スヴェンは市場に蜂蜜酒が売ってないか見てきてくださらない?」
見ていたスヴェンがライナの奇行に目を剥く。
ライナはトカイアスに言われるがままスヴェンを酒場の裏庭から追い出して、瓶の中身を全て彼女に注いだ。
根元は一瞬だけ湿ったが、不思議なことにすぐに乾いた土に戻った。
チラリとトカイアスを見上げる。
トカイアスはうーん、と気持ち良さそうな声を出して伸びをした(ように見えた)。
「安酒だと思っていたけど案外おいしいじゃないの!ほろ苦くてスッキリしていて。やるじゃないの人間」
「お、お気に召しました?」
まだ若くて青い実がほんの少し黄色っぽく色付き、青々とした葉も少しだけ紅葉していく。
ライナが驚いているとパトリシウスが寄ってきて、残った瓶の口を舐める。
「トカイアスは毎年酒を飲んで実をつけるんだ。その度に葉っぱまで真っ赤にして酔っ払っちゃってさ。コイツはこの辺の木々の長でもあるから、この時期は周りの木までつられて赤くなってくわけ。人間は紅葉って呼んでたっけ?」
「えぇ!?紅葉ってそういう仕組みなのですか!?」
「そうそう。で、その実で"特別なワイン"が造られるから、その年に飲んだ酒の味で、出来上がるワインの味も変わるんだぜ」
今年の"特別なワイン"はちょっと苦くなったかもしれない。
ライナはトカイアスとパトリシウスを見比べて切り出した。
「それで、デウトロノミオン様のことを教えて頂けますか?」
「えぇ良いわよ。説明なさいパトリシウス!」
「結局おれかよぉ」
エールを飲んで、トカイアスはご機嫌な様子だった。
リズムに乗るかのように葉が揺れている。
パトリシウスがため息を付きながら酒樽へ飛び乗ってライナと目線を合わせた。
「おとぎ話のことはよくわかんないけどね、人間が生きたまま神の国に入りたいなら門番のデウトロノミオン様が協力してくんないと駄目だろうね。で、デウトロノミオン様を呼び出す為には、例の栓抜きと"特別なワイン"の二つが揃ってないといけないんだ。それで猫の集会に参加して乾杯の儀式をする。昔から伝えられてるデウトロノミオン様の召喚方法さ。きっとおとぎ話はそのことを書きたかったんだろうね」
「やっぱりそうですのね」
思った通りのパトリシウスの回答に、ライナは両拳を握ってガッツポーズをした。
これはかなり有力な手がかりだ。
「デウトロノミオン様と会いたいなら、猫の集会までにワインと栓抜き揃えてまたここにおいでよ。本当は人間なんかに媚びないんだけどさ、ライナだったら集会に連れてってあげてもいいよ」
「パトリシウス…!ありがとう、あなたって可愛くて優しくてほんとに最高ね」
「に゛ゃっ」
ライナは思わずパトリシウスを抱き上げた。
いつも頭を撫でてはいるが、抱いたのは初めてだ。
秋の麦畑のような色の毛はふわふわで、小さな体はくにゃくにゃと柔らかくライナよりも体温が高かった。
思わず頬ずりをすると、テシッと柔らかく肉球で制された。
隣で上機嫌なトカイアスが言い添える。
「あたくしのワインを分けてあげたいところだけど、あいにく手元にはないのよねぇ。今年造るもので良ければあげられるけど、一年以上かかるわね。まずは自分で探してみるのがいいわ」
「貴婦人のトカイアスもありがとう存じます。少し自分で探してみますわ」
パトリシウスを酒樽に下ろす。
抱きあげられて驚いたのか、彼はぺしぺしと毛づくろいを始めた。
こうして見ると普通の猫だ。
喋りさえしなければ誰が天界の猫だと信じるだろうか。
オピーマも蜂蜜酒も手に入らなかったが、そろそろ仕事に戻らなくてはいけない。
お暇しようかと考えて、ライナはぽんと手を打った。
「そういえば、お二人はこの祭壇画について何かご存知?」
天界の生物なら、聖堂の絵画についても分かるかもしれないと思ったのだ。
ポケットから祭壇画を写し取った紙を取り出して簡単に説明をする。
トカイアスはどれどれ、と覗き込んだ。
パトリシウスは毛づくろいに夢中だ。
今更だが、トカイアスはどうやって物を見ているのだろうかと少し不気味に思った。
「あたくしは所詮ここに植わってるだけですからねぇ、他の土地のことは詳しくないのよ。色々噂話は入ってくるけど、確かこの地は島がないんでしょう?なんのことかさっぱりね。パトリシウスはあちこちほつき歩いてるから分かるんじゃないの?」
ライナとトカイアスの視線がパトリシウスに向いた。
パトリシウスが舌をしまい忘れたまま、得意そうな顔をしたのが分かった。
「この国で島と言えば"吟遊詩人の路地"のことだろうな。おれは酒場の吟遊詩人にくっついてよく行くんだけど、確か島だって言ってたぜ」
「吟遊詩人の路地なんて実在するんですの?それこそおとぎ話かと思っておりました」
「あぁもちろん。それで、その路地にニクシーって店があるんだ。どうだ、無関係じゃなさそうだろ?」
「それだわ!きっと祭壇画はそこに行けと指し示しているのですわね」
吟遊詩人の路地は、世界中に入口があると言われる彼らの拠点だ。
そこには吟遊詩人を育てる学校があったり楽器屋があったりして、世界中から物語が集められ、彼らは皆そこから音楽と物語を届ける為世界中を行き来するらしい。
吟遊詩人達が神出鬼没なのでそう言われているだけの寓話だと思っていた。
なんにせよ、ライナの次の行き場所は決まった。
路地に行きたいなら酒場が開いている時においで、とパトリシウスは告げ、ライナは二人と別れた。