第21話 「来訪者/始まりの夜」
数日が過ぎた。
ルーシェは自宅の窓辺に座り、外を眺めている。
曇り空。灰色の雲が低く垂れ込めている。湿った風が窓の隙間から入ってきて、肌寒い。
ルーシェを護衛していたという正体不明のギフト使いのことはまだわからないままだ。
それでも、一つは解決した。
ヴァンを、家族のもとへ無事に送れたのだ。三人とも元気に再会できたらしい。
――よかった。
――少し、気が軽くなった。
窓の外で、鳥が飛んでいく。灰色の空に、黒い点が消えていった。
◇
ある日の買い物帰り。西日が傾きはじめた頃。玄関を開けると、見知らぬ外套が椅子にかかっていた。
「ただいま」
「お帰り」
イリスが出てきた。少し頬を染めている。
「顔赤いけど、どうしたの?」
「べ、別に」
言いたくないらしい。少し気になるが、いまは——
ルーシェの視線が外套に向く。
「お客様?」
「うん。セリア姉様のお客様だから、失礼のないようにね」
イリスが小声で言う。
ルーシェは小さく頷いた。
――セリアのお客様か。となると憲兵関係だろう。姉の職場の人間なら、粗相のないようにしないと。
「私も挨拶した方がいいかな? いや、お仕事の話だったら部外者が顔を出すのはまずいか……」
「ルーシェは考えすぎ。私はお茶を持っていくときに挨拶したよ。そんな雰囲気じゃなかったから、大丈夫」
「そう、わかった。あと、イリス、お茶菓子みたいなのあるかな? 挨拶するときに持っていきたい」
「戸棚にあるから、自分で用意して。お友達が来る時間だった。迎えにいかないと」
そう言って、イリスが玄関から出ていく。
ルーシェはその背中を見送ってから、台所へ向かった。戸棚を開けると、小さな菓子箱がある。皿に移して、リビングへ向かう。
リビングに入ると、セリアの向かいに男が椅子に座っていた。
二十代半ば。長身で均整の取れた体躯。金髪を緩く後ろに流している。彫りの深い顔立ちに、切れ長の目。口元には人好きのする笑みを浮かべている。
――イケメンだ。
セリアと親しげに話をしている。
――むむ。セリアを狙ってたりしないだろうな? そういえばイリスも耳が赤かった。こいつに歯の浮くようなことでも言われたのかも。
――彼氏を連れてきた娘を迎える父親の気分だ。なんかもやもやする。
――くそ、ガツンと一言言ってやろうか? いや、冷静になれ。セリアの仕事関係の人に変な印象を与えたらセリアが困る。
大人な対応をしろ、ルーシェ。
「はじめまして。セリアの妹のルーシェと申します。よかったらどうぞ」
営業スマイルを作り、テーブルにお菓子の入った皿を置いた。
「やあ、俺の名はテッド。セリアの同僚さ。セリアからルーシェのことはよく聞いてるよ」
「姉から……私のことを?」
「あぁ、一緒に貧民街へ炊き出しの手伝いに行ってるんだってね」
「……まあ、そうですけど」
「素晴らしい。ギフトも最近目覚めたんだって?」
「ええ、まあ」
「どんな能力なんだい?」
――は? 何言ってんだこいつ? ギフトの詳細なんて、普通は他人に答えない類の質問だぞ。かなり近しい家族しか、人によっては一切誰にも話さない人だっていると聞く。正式な手続きを経た憲兵の尋問でもあるまいし。
ん!? ルーシェはセリアを見た。これってもしかして尋問?
「テッド、踏み込みすぎだぞ。尋問でもやる気か?」
セリアがテッドを睨んだ。尋問ではないようだ。
「あぁ、思い出した。ルーシェは物を呼び寄せる能力だったね。調書で確認してたんだった。聞くまでもなかったね」
「え、調書?」
「君、憲兵所で尋問受けてたでしょ」
テッドは意味深に微笑んだ。
「テッド、妹の調書を勝手に見たのか!」
テッドがやれやれとでも言いたげに、軽く肩をすくめた。
「怒るなよセリア。仕事だ。あの尋問案件の後処理を任されてね。関係者の情報は把握しておく必要があった」
――筋は通っている。でも、なぜか背筋がざわついた。胡散臭いというか、なんとなくお近づきになりたくない。俺は第一印象だけで人を判断しないように心がけていたはずなのだが……。
テッドはぶっちゃけ嫌いなタイプの人間だ。
はて? なぜ意味もなく嫌う――イケメンだからか?
その後、テッドとセリアはしばらく話し込んでいた。ルーシェは相槌を打ちながら、ただ聞いている。
しばらくして、テッドが立ち上がった。
「今日はこれで。セリア、また話そう」
「うん、ありがとう」
ルーシェも立ち上がり、セリアと一緒に、玄関まで送っていく。
「あ、そうだ。セリア、例の密輸の件なら俺が心当たりがある。捜査資料を渡してくれないか」
「本当に? 少し待って」
セリアが階段を駆け上がっていく。足音が遠ざかった。
テッドと、二人きりになった。二人の会話に相槌は打っていたが、会話らしい会話はしていなかった。
――気まずい。何か話題を——
「あの、姉は——」
「ルーシェ」
テッドが一歩、距離を詰めてきた。ルーシェの前に手を差し出してくる。
――あぁ、握手か。そういえば挨拶はしたけど、握手はしていなかった。
ルーシェは手を伸ばす。テッドにがっちりと握られた。
大きな手だった。力強い。指が手の甲まで回り込んでいる。引こうとしたが、離れなかった。
「ち、ちょっと?」
「ルーシェ」
「なんですか? それより手を……」
テッドが、ルーシェの耳元に顔を寄せる。
「――ずっと会いたかった」
テッドの囁きに、思考が、止まった。
握手したまま、動けない。
――どういうこと?
ルーシェの疑問をよそに、テッドが顔を離した。
穏やかな笑顔で、微笑んでいる。何事もなかったかのように。
「じゃあ、失礼するよ」
テッドが、ゆっくりと手を放す。
ちょうどその時、セリアが階段を下りてきた。テッドが捜査資料を受け取る。
「セリア、また報告する」
「うん、よろしく」
セリアがリビングへ戻っていった。
テッドは踵を返し、夕闇の中へ消えていく。
ルーシェは立ち尽くしていた。
――ずっと会いたかった。
――どういう意味だ? なぜ、俺に?
首筋を、冷たいものが這い上がってくる。笑顔なのに、穏やかな態度なのに、中身オッサンの俺が嫉妬するぐらいイケメンなのに、不気味だ。
――得体の知れない男という違和感をぬぐいきれない。
「私もそう思いますよ」
背後からの声に、ルーシェは振り返った。
いつの間にか、玄関に少女が立っていた。黒髪を肩まで無造作に流している。くりくりした目に、屈託のない笑顔。どこか、不思議な印象だった。
――いつ入ってきた?
「えっ? 誰?」
「彼は信用できません」
それだけ言って、少女はにっこりと笑う。
――この子、何者だ?
ルーシェが戸惑っていると、玄関の扉が開き、イリスが戻ってきた。
「……ここにいたの? 外で探してたのに——」
「ごめんね、先に入っちゃった」
ジェーンがペロッと舌を出して謝る。
「……イリス、この子は?」
「彼女はジェーン。学園の同級生で私のお友達だよ」
イリスに紹介されたジェーンがルーシェの方を向いた。
「はじめまして。ジェーンといいます」
ジェーンがスカートの裾をつまみ、丁寧にお辞儀をする。
――勝手に入ってきたくせに、礼儀正しいじゃないか。こちらもきちんとしないと。
「はじめまして。イリスの姉のルーシェです」
二人で軽く頭を下げる。ルーシェが頭を上げた後も、ジェーンの目が、じっとルーシェを見ていた。
「ん? 何かな?」
「ルーシェさん……面白そうな人ですね」
――この子も、なんか掴みどころがないな。
◇
夜。
四人でテーブルを囲んだ。ジェーンはよく笑い、場を和ませた。セリアの顔にも笑みが広がる。イリスの料理を褒め、耳を赤くさせた。
食事が始まってしばらくして、ジェーンがルーシェの方を向く。
「聞きましたよ。ルーシェさんって、炊き出しの手伝いをされてるんですよね」
「……まあ、そうかな」
「素敵ですね。貧民街の方たちと仲良くなれたりするんですか?」
「うん、まあ」
「いいなあ。私、人と仲良くなるのが苦手で」
「……そうは見えないけど」
「ふふ、そうですか?」
ジェーンが少し笑う。
「うん、誰とでもすぐに仲良くなれそうだよ。ジェーンは社交的だ」
「そうでもないんですよ。つい人が隠したいこととか暴いちゃったりして、怒らせたりしてましたし」
「そ、そうなんだ。じゃあジェーンは何が得意なの?」
「観察することですかね。あと——」
「じゃんけんも得意だよね、ジェーン」
イリスが口を挟んだ。
「じゃんけん?」
イリスが頷く。
「本当に強いんだよ。学校でも一回も負けてない。全員に勝っちゃったんだから。百連勝だったかな」
――百連勝。それは嘘くさいな。
――何を隠そう、前世俺もじゃんけんは得意だった。
じゃんけんには心理的なコツがある。最初はグーを出す人が多い。前の手に勝つ手を出しやすい傾向もある。サラリーマン時代に読んだビジネス本に書いてあった。
「ふぅん、じゃあやってみようか」
ルーシェが手を出す。
「「じゃんけん、ぽん!」」
パーを出した。ジェーンはチョキ。負けた。
一回、二回、三回——全部負けた。
――なんで?
五回、六回、七回。まだ負けている。くそ、完全に読まれてる。
「……ねえ、もしかしてギフ——」
「ギフトじゃないですよ」
言い切る前に返ってきた。確かに、ギフトの気配は感じない。
八回、九回、十回。全部負けた。
――ありえない。
「なんで私が出す手がわかるの?」
「秘密です」
ジェーンが笑った。
賑やかな夜だった。
◇
深夜。
ルーシェは眠れずにいた。布団の中で、天井を見ている。起き上がり、窓の外を見た。闇が濃い。月は雲に隠れている。
――ずっと会いたかった。
その言葉が、頭の中で何度も繰り返される。
そして——
――彼は信用できません。
ジェーンの言葉も。
廊下で、足音がした。
ドアの前で、足音が止まる。
ドアの隙間から、黒髪が見えた。
――ジェーンか。
眠れないのは、あの子も同じらしい。
しばらくして、また歩き出す。遠ざかっていく。
ルーシェは目を閉じた。
眠りは、なかなか来なかった。
◇
同じ頃。
ジェーンはイリスの部屋の窓辺に立っていた。部屋の灯りは消えている。背後のベッドで、イリスの寝息が聞こえていた。
月明かりが雲間から差して、その横顔を白く照らしている。
笑顔が、消えていた。
手の中に、何もない。
でも、瞼の裏には全員の顔がある。
療養所の仲間たち。家族同然だった人たち。
全員、殺された。
あの夜。鎌を持った影が現れた夜。朝になって帰ったら、みんないなくなっていた。壁に残された二文字だけが、何が起きたかを教えてくれる。
「R.J」
レッドジョン。
誰もが恐れる殺人鬼。
でも、ジェーンは恐れていない。
ただ、観察している。
今夜だけで、多くのことがわかった。
――面白い。
仲間の仇を取る。それは変わらない。
でも、まだ動く必要はない。全てを理解してから、動く。
「で、どうだった?」
低く乾いた声がした。扉の傍の闇に、人影が立っている。
「リズボン、来てたの?」
「ずっといた」
「面白い人たちだよ」
ジェーンは振り返らずに答えた。
「仇は見つかったのか?」
「さあ」
「……相変わらず煙に巻きやがる」
ジェーンは小さく笑った。
「またいつもの悪い癖が始まったな。観察したいなら好きなだけしろ。ただ、荒事になったら言え」
「ありがとう。あなたがいてくれて心強い」
「全くお前は……とにかく気をつけろ」
「えぇ、あなたもね」
人影が鼻を鳴らす。
気づけば、人影はいなかった。
一人になった。
月が顔を出す。
ジェーンは、また笑顔を作った。
誰も見ていないのに。
ここまでお読みいただきありがとうございました。これにて、第一章終了となります。
一章では、姉セリアの捜査、賞金稼ぎヴァンの追跡、王都から派遣された尋問官の介入が同時に進みました。ルーシェはそれらをなんとか切り抜け、最後には追っていたヴァンを家族のもとへ送り届けます。日本側でも、コウメたちと一度は衝突しながら、最終的には和解に至りました。
追っ手だったヴァンは、いまやルーシェの事情を知る協力者です。
第二章では、犯罪ギルドからの徴集がルーシェに迫り、日本側では憂国騎士団とコウメたちの抗争も動き出します。ルーシェの立ち位置も、これまでとは少し変わってきます。
引き続きお付き合いいただけると嬉しいです。




