第20話 「憂国の夜謀」
入国管理局——狩谷が上司に呼ばれたのは三日前だった。
「捜査から外れろ。異動だ」
なんの説明もなかった。ただ——あの目がある。焦点の定まらない、虚ろな目。
――あの女、コウメが関わっている。
思えば捜査中、妨害が続いていた。
関係者に話を聞こうとするたびに、先手を打たれた。証拠が消え、協力者が黙り込んだ。コウメのシンパが、組織のいたるところに食い込んでいる。そう気づくのに、時間はかからなかった。
そして、とうとう直属の上司までも。
もうこの組織は信用できない。
狩谷は路地の前で足を止めた。
奥で、男が壁に押しつけられている。怯えた目。破れた服。日本語ではない言葉で何かを叫んでいる。
周囲を数人の男が囲んでいる。無言だ。淡々としている。
その中心に、見知った顔があった。
――藤堂雅人。俺の甥だ。
「そんなに騒いでいると警察が来るぞ」
男たちが振り返った。数人が狩谷のほうへ動き出す。
「待て」
雅人が静かに手を上げた。男たちが止まる。
「叔父さん、珍しいですね。ここに来るなんて」
「少しお前に話があってな」
狩谷は殴られていた男を一瞥した。
「あぁ、こいつは渋谷でMDMAを売りさばいていました。不法移民だから捕まりにくいとわかって大胆にやっていましたよ」
「そうか。ほどほどにな」
暴行罪、傷害罪——職業柄、条文が頭をよぎる。
だが、どうでもいい。日本に巣くう害虫を駆除しているんだから。
狩谷は路地を離れた。雅人が先に立って歩く。
◇
近くの倉庫。錆びた鉄扉の前に男が二人、無言で立っていた。雅人の拠点である。
奥の部屋に通される。古びたソファと木のテーブル。二人きりになった。
「叔父さん、どうしたんですか? 黙認してくれてたとはいえ、俺の活動を苦々しく思ってたでしょ」
「……お前の母親から小言を言われてたから、注意してただけだ。お前の活動自体は評価している」
「それは光栄ですね。それで、どうして移民局のエースがこんな非合法の組織に?」
「……左遷される。捜査から外された上に、異動だ。もうあの組織は信用できん」
「なるほど。それで俺のところへ」
「あぁ、相談がある。以前話をしていたコウメのことだ」
「えぇ、叔父さんの指示どおり調べましたよ」
「で、どうだった?」
「面白いことがわかりました」
「続けろ」
「あいつらは超能力を持っています」
「……超能力だと?」
「えぇ。彼らはギフトと呼んでますね。人によって異なる特殊な能力です。捕まえた一人から聞きだしました」
非常識だ。馬鹿げている。そう言いかけて——止まった。
あの審査室。コウメと目が合った瞬間。気づいたらサインしていた。自分の意志ではない何かに、動かされていた。
一笑にできない。
「叔父さん、面白いものを見せましょうか」
◇
別室は薄暗かった。中央に置かれた椅子に、男が縛りつけられている。猿ぐつわ。目隠し。スーツ姿だ。高そうな生地。よく手入れされた革靴。
――誰だ?
「シーゲル・岸山です」
「シーゲル?」
「移民推進派の議員ですよ」
雅人が無造作に岸山の目隠しを外した。
岸山が周囲を見渡す。状況を理解した瞬間、顔色が変わる。
「な、なんだここは! 離せ。俺が誰だかわかってるのか!」
「知っていますよ。あなたのことは全部」
雅人が静かに言った。
「そうか、それならわかるだろう。俺を怒らせたら人生終了だ。警察の上層部に知り合いがいる。貴様を一生監獄にぶち込むことなど造作もない!」
「警察を呼んだら、あなたも困ることになりますよ」
「なんだと!」
「だから全部知っているって言ったんです」
雅人が続ける。
「あなたの移民政策、表向きは立派ですよね」
「なんだ、貴様反対派の回し者だったのか!」
「えぇ、あれだけ移民のデメリットが叫ばれている中、どのようなお考えなのかぜひ拝聴したい」
「ふん、国益のことを何もわかっておらんおろか者が! 多様性というのはな、日本の未来を救う唯一の道だ! 少子化で労働力が不足している今、移民を受け入れなければ日本経済は崩壊する! 介護、農業、建設——あらゆる分野で人手が足りない。外国人労働者なくして日本は回らん。永住権の取得要件を緩和し、家族帯同を認め、日本語教育に国費を投じる。それが俺の政策だ。外国人参政権も検討に値する。彼らも日本で税金を払っているのだから。そもそも日本人だけの日本など時代遅れも甚だしい。多民族共生こそが、これからの日本が世界に誇れる姿なのだ——」
雅人が、ゆっくりと拍手した。
「素晴らしい。本当に心からそう思っているなら、あなたは真の愛国者だ」
「当然だ。俺は日本のために命を懸けている! この信念は本物だ。貴様のような反対派から暴力で脅されようとも、誰にも曲げさせん」
「そうですか。では、証明していただきましょうか」
「な、何をする気だ?」
岸山の声が上擦った。椅子を軋ませて身を引こうとするが、縛られた体は動かない。
「ご安心ください。暴力なんて使いませんよ」
雅人が満面の笑みを浮かべる。
そして、雅人が部下に合図した。部下の一人が無言で近づき、岸山の後ろに回る。手際よく手首の縄をほどいた。解放された手首を岸山が擦る。赤くなった皮膚に、縄の跡が残っている。岸山は立ち上がり、着崩れたスーツを整えた。
「ふん、今さら怖じ気づいたか? 都合が悪くなったら解放とは笑わせる」
「この後のインタビューに正直に答えてくれたら、帰っていただいて結構です」
「ふん、その程度か。いいだろう。だがこの屈辱、忘れんからな。覚悟しておけ」
雅人が胸ポケットから携帯を取り出し、誰かと通話する。
「連れてこい」
部屋の奥の扉が開いた。男が一人、押し込まれてくる。二十代前半。痩せた体に擦り切れた服。どこか投げやりな目をしていた。
男が岸山の前に立った。ゆっくりと、その目を覗き込む。
黒い霧のようなものが、岸山の瞳に滲んだ。
次の瞬間、岸山の表情が崩れた。それまで取り繕っていた体裁が、一枚一枚剥がれ落ちるように。口の端が歪み、目がぎらりと光る。長年塗り固めてきた仮面の下から、醜悪な本当の顔が滲み出してきた。
狩谷は息を呑む。
「では改めてあなたの移民政策、お聞かせください」
「政策? そんなものはない。ただ移民が増えれば懐にマージンが入る、それだけだ。安い労働力を企業に紹介するたびに、うはうはだぞ。票も増える。支持団体も潤う。移民が増えて治安が悪化しても知ったことか。犯罪が増えても俺には関係ないからな」
「それだと国益を損なうのでは?」
「国益? ばかもん、自分益が大事に決まっておろう!」
「自分益ですか。予想通りすぎてつまらないですね。でも、いいんですか? 国益を損なえば日本の経済が破綻します。あなたも被害を受けるのでは?」
「はは、馬鹿な愚民と俺とは頭のできがちがう。賄賂やら裏金やら表に出せない金は全部海外に移してある。日本の経済がガタガタになろうが、円安が加速しようが、むしろ海外資産の価値が上がるから好都合だ」
「なるほど。だからあなたは国益を全く考えていない。外国との交渉も向こうに有利な条件を引き出すわけだ」
「くっく、そりゃ当然だろ。向こうに有利な条件を引き出してやるだけで、報酬が簡単に手に入るんだぞ」
「報酬ですか」
「あぁ、特に奴らからの接待がたまらん。トップモデル級の美女からあどけない未成年までよりどりみどりだ。一度味わったら君もやみつきになるぞ。ハニートラップ? ふっ、トラップではないよ。ハニーサービスさ。奴らに媚びへつらうだけで、金も女も思いのままになるのだから」
岸山の目が据わり、口元がだらしなく緩む。
「……自尊心ってありますか」
「あるに決まっておろう。バカにするな。俺は東大を出て財務省のトップまで上り詰めた男だぞ。何人がこの地位につけると思っている。在学中に弁護士の資格を取り、医学博士の資格も持っている。そんな偉大な男が次に目指すとしたら政界の頂点、総理の椅子に決まっておる。だから議員に転身したというのに、選挙のたびに頭の悪い愚民に頭を下げなければならない。頭を下げる愚民の中にはFランどころか大学も出ていない中卒のバカもいるんだぞ。今の選挙システムはあまりに不条理だ。総理になるためとはいえ、俺の自尊心はずたずただ。これくらいの役得がないとやってられんわ、議員なんてな——アッハッハッハッハ……あぁ、あ」
岸山の瞳から、黒い霧がすっと引いていく。岸山がふらりとよろめいた。ギフトの効果が切れたのだろう。
「う、うぅ……なんで俺は、あんなことを——」
岸山が頭を抱える。がくりと膝から力が抜けた。それを確認した雅人が目配せする。部下の一人が携帯の撮影を止めた。ピッと音が鳴る。
「……なんだ、その音は?」
「今までのやりとり、動画に収めさせてもらいました。それだけではありません。あなたの悪事の証拠品も、こちらで預かっています」
「何、撮影してただと!! それに証拠品だ? よこせ! それが公開されたら俺の人生が、キャリアが終わってしまう」
岸山が雅人に向かって踏み出した。瞬時に雅人の部下二人が前に出て、その体を押さえつける。
「ご安心ください。これは有効に使わせてもらいます」
「な、何に使う気だ?」
「あなたが蔑ろにした国益のために」
「生意気な若造が――」
雅人が静かに手を上げた。
「連れていけ」
男たちが岸山を引き立てた。岸山の叫び声が遠ざかっていく。
狩谷は、黙って聞いていた。
「……さしずめ本音を引き出すギフトといったところか?」
「ええ。コウメも似たような能力を持っています。いや、もっと危険なものでしょう。人を操る——意識そのものを書き換える能力です」
狩谷の拳が、固まる。
「すぐに乗り込むべきだ。SATを動かして、今すぐ——」
「おすすめできません」
「なぜだ?」
「コウメは元米兵や海軍上がりの軍人を多数取り込んでいます。施設にいた頃ならまだしも、今のコウメたちの戦力は巨大です。SATといえども正面からは厳しい」
「だが、そんな人を思うがままに操る化け物が野放しになれば日本は大変な事態に陥る。犠牲は覚悟の上だ」
「奴らの戦力は計り知れません。ギフト持ちが多数いますし、住んでいる旅館も監視システムを張り巡らせ、防弾設備と武器庫まで整えています。コウメの拠点は、完全に要塞化していますよ。正面突破では、こちらの被害が拡大するだけでしょう」
「では、どうする?」
「秘策があります」
雅人が、穏やかに微笑んだ。
「そうか。それは頼もしい。やるぞ、雅人。日本に巣くう害虫共を一匹残らず駆逐してやる」
「叔父さん、勘違いしないでください。俺は外国人が嫌いなんじゃないんです。ルールを破る奴らが嫌いなんです」
「ふん、相変わらず甘いな。俺だって、観光客や一時的に滞在する者までは目くじらを立てたりはしない。だが、移民してくる奴らはみな同じだ。自分たちのルールを押しつける。ここは日本であって、お前たちの国ではないのに。日本のルールを守らず、郷に入って郷に従えない奴らばかりだ」
「そんなことないです。久しぶりに気持ちのいい外国人に出会えました。外国人にだっていい人はいるんです。彼らのような犯罪者と一緒くたにするのは失礼というものですよ。彼女のような外国人となら日本人と共生だってできると信じてます」
「お前がそんな風に言うとは珍しい。どんな奴だ?」
「最初の出会いはファーストフード店でしたね。外国人の女の子。目を見張る美人でした。ポテトを妙に美味しそうに食べているのが印象深かったな」
「ふん、好感を持ったのは美人だったからとでもいうのか? 二枚目のお前にしたら女なんて腐るほどいるだろうに」
「正直ルックスにも引かれましたが、彼女の魅力はそこじゃないんです。食事後ぐちゃぐちゃにして片付けもしないで出ていく外国人が多い中——帰るときに、きっちり他人の分まで片付けていきました。さもそれがマナーとでもいうように」
「……それだけのことで?」
「もちろん、それはきっかけであって、それだけじゃないです。それから目をつけていました。列に割り込まない。後ろから来る人のためにドアを押さえる。すれ違う人への会釈。ちょっとした気遣いが、まるで日本人のいいところを体現しているようで」
「ほう」
「中でも、特に忘れられない場面があります。ある日、子どもが何かを落として気づかずに歩いていった。彼女はそれを拾って全力で走って追いかけました。追いついた拍子に誰かにぶつかって、ペコペコ頭を下げながら——周囲の人にまで」
雅人が、くすっと笑った。
狩谷が初めて見る甥の顔だ。
「……気に入ってるんだな」
「ええ、すごく」
「まるで日本のサラリーマンみたいなやつだな」
「ひどいなぁ。それだけ気遣いしているってことですよ」
雅人が苦笑した。
「でもそうですね。本来人と人は互いを思いやり、他人に迷惑をかけてはいけないと自らを律するからこそ、共に生きていける。だからこそコウメたちのような不法移民は許せない。特に、自己の利益のために他人を操り意のままにするような悪を、俺は絶対に」
「その通りだ。雅人」
「——叔父さん、移民局に戻ってください」
「……左遷される身だ。もうやめようとさえ思っている」
「それは俺のほうでなんとかします。移民局には叔父さんのような人が必要です」
狩谷が、しばらく雅人を見る。
「お前は過ぎた甥だよ」
そう言って、狩谷は立ち上がり、部屋を出ていった。
一人となり、静寂が部屋を満たす。
雅人は思う。
生活に困窮して百円の惣菜を万引きし、罪に問われた老人がいる。その一方で、汚職政治家が何千万もの裏金を懐に入れ、のうのうと議員バッジを光らせている。
また真面目に働いて体を壊した日本人が、生活保護も受けられず餓死する。その傍らで、不法移民が働かず補助金で生活している。
世の中の不正や悪を考え始めたら、気分が暗くなってくる。
あぁ、世の中は不公平だ。なぜ真面目に生きる者が報われず、ルールを破る者が得をするのか。
雅人は目を閉じ、ソファに深く沈んだ。
「ルーシェさん」
雅人は静かに呟いた。
——あなたのような良識ある外国人が安心して暮らせる、そんな誇り高き日本……必ず取り戻す!
雅人が携帯を取り出した。
——たとえどんな犠牲を払っても!
短縮ダイヤルを押す。
「おやおや、憂国騎士団の団長自らお電話とは。謹慎中の身としては、光栄の極みですな」
「ジョーカー、君の力が必要だ」
「よいのですか? またやりすぎて、今度は団を崩壊させてしまうかもしれませんよ。私はさしずめ暴走機関車、団の爆弾みたいなもの——くっ、くっくっ、くっくっくっ……あっはっはっはっはっは」
「そんなに卑下しなくていい。あの事件は仕方がなかった。周囲を納得させるために謹慎させたが、俺はわかっているよ。君が誰より団を誇りに思っていて、誰よりもこの国を憂いていることを」
「……はぁ、相変わらず団長は食えないお人だ——それで、私に何をしろと?」
「……ある人物に近づいてほしい」
雅人は電話を終えると、深く息を吐いた。やがて静かに立ち上がり、窓へ歩み寄る。
東京の夜景が、冷たく広がっていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
★評価とブックマークいただければ執筆の励みになります。




