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第19話 「ただいま」

 異世界の空気が、肺から抜けていく。


 日本の夜だ。蛍光灯の光。コンビニの看板。自販機の青白い輝き。


 いつもなら、心が軽くなる。


 でも今は右手が、まだ覚えていた。鎌の感触。コウメの首元に切っ先を向けた、あの夜の。


 コウメに何と言えばいい?


 謝って済む話じゃない。笑って流せる話でもない。


 ――合わせる顔も、ない。


 転移のたびに施設の近くまで足を向けた。それでも扉の前で、いつも立ち止まってしまう。


 コンビニの前でぼんやりしていると、見知った顔が現れた。


「コウメさん!? なんで——え、なんで——」

「あんたがここ利用しとるのは知っとったから」

「そ、そうだったんだ。じゃあまたね」


 気まずくて、その場を離れようとした。


「ちょい待ち。なんでいつものように来んの?」

「そ、それは……」

「それは?」


 コウメがルーシェの顔を真正面から覗き込んだ。整った顔が、間近に迫る。


「うぅ、あんなことをしでかした私に、そんな資格はないよ」

「そんなん気にせんで。たこ焼き作っとるさかい。来て」


 たこ焼き。ジューシーなタコ。とろけるチーズ。青のりの香り——異世界では絶対に味わえない日本の味。


 ルーシェの口の中に唾液が溢れた。


 いやいや、何を考えている! コウメたちを襲った大罪人が、よだれを垂らすとは不謹慎にもほどがあるぞ。


「いや、いい。みんなに合わせる顔がない」


 ルーシェは踵を返し、駆け出した。


「ユズがあんたに会いたがっとる」

「ユズちゃんが?」


 コウメの言葉に、ルーシェの足が止まった。


「そうや。ルーシェが来んでさみしいって。ユズのためや。頼むから来てくれ」


 ――そんなこと言われたら、断れないよ。


 ルーシェはコウメの背中を追いながら、旅館へと足を向ける。



 ◇



 旅館に着くと、厨房に人が集まっていた。


 ボブが鉄板の前に陣取っている。エプロン姿だ。ルーシェに気づくと、大きく手を振る。


「ルーシェ! タフガール!」


 でかい声が響き渡った。ボブが近づいてきて、でかい手で肩を叩かれる。痛い。


「あ、あの……この前は」


 ボブが親指を立てた。


「No problem! Strong girl!」


 全然気にしていない。


 ふと視線を感じた。秘書と目が合う。


「ルーシェ様、お怪我はありませんでしたか?」

「え、私が心配されるんですか……襲った私が言うのもなんですが、あなたこそお怪我ありませんでしたか?」

「ふふ、あの程度は日常茶飯事ですよ。こちらこそ失礼しました」


 淡々としている。


 ――みんな、普通だ。


 その時、足元に小さな気配があった。ユズがルーシェの足にしがみつく。


「ルーシェおねえちゃん!」

「……ユズ」


 ルーシェはしゃがんで、そっと抱き返した。しばらくユズと遊んでいると——


「いい匂い」


 ユズの言葉で、ルーシェも鼻をひくつかせた。たこ焼きの香ばしい匂いが漂ってくる。


 視線の先で、コウメは鉄板の前に立っていた。爪楊枝を二本持ち、くるくると手首を返す。生地がぷっくりと膨らんで、丸い形に仕上がっていく。職人の手つきだ。


 じゅうじゅうと鉄板が鳴るたびに、青のりとソースの香りが濃くなっていく。一つ、また一つ、丸い形が仕上がっていく。


「できたで」


 コウメさんの言葉に皆で座敷に場所を移した。


 運ばれた大皿にはたこ焼きが山盛りになっている。青のりとかつお節が散らされ、ソースがたっぷりかかっている。もうもうと湯気が立ち上る。


 爪楊枝を刺す。青のりとかつお節がふわりと舞い上がる。ソースの甘い香りが鼻をつく。


「熱っ、熱っ、ほふ、ほむ……」


 ――うまい。異世界では絶対に食べられない。


 ボブが山盛りのたこ焼きを次々と口に放り込んでいる。ユズがはふはふしながら食べている。秘書が静かに爪楊枝を刺していた。


 賑やかで、温かい時間。たこ焼きパーティ——最高だった。



 ◇



 食事の後。

 ユズが眠って、ボブたちも帰り、コウメと二人きりになった。


「コウメさん、ヴァンさんたちは元気にしてる? あれから何も聞けてなくて」

「三人とも元気やで。ミラさんは泣いて喜んどった。エリちゃん、パパにべったりで離れへんらしくて。ヴァンさん、困り顔しながらも嬉しそうやったわ」

「……よかった」

「それとな、ヴァンさんからの言伝や。ヴィクターは死んだで。もうあんたを尋問しようとする奴もおらん。安心してええで」


 ヴィクターが死んだ!? なんで、どうして——いや、原因を考えても仕方がない。尋問の続きがなくなったのだ——ほっとしたのは確かである。


「そっか」

「それと、ルーシェに伝えたいことがあるそうや。今度会いにいったらええ」

「うん、私もヴァンさんにはいろいろ聞きたいことあるし、今度会いに行くよ」

「そうしたらええ。案内したる」


 ふっと、コウメの表情が緩んだ。


「なんやのど乾いたな。お茶でもいるか?」


 コウメが腰を上げかけた時。


「コウメさん」

「ん?」

「あの夜のこと、本当にごめんなさい」


 ルーシェは深々と頭を下げた。


「申し訳ないことをした。言葉だけじゃ足りない、私にできることならなんでも——」

「もうええよ」

「でも——」

「ええよ、言うたやろ。あんたは戻ってきた。それだけや」

「コウメさん」

「ほらほら、しんみりな顔せんと。あんたは笑顔が一番や」


 コウメがルーシェのほほをつつく。


「ありがとう」


 思わず、笑みがこぼれる。


 狂ったように鎌を向けたのに。コウメさんを殺しかけたのに。なんでもないように、温かく迎え入れてくれた。


 ……なぜここまでしてくれるのか。


 気づいたら、ルーシェはコウメの胸に顔を埋めていた。


 コウメは何も言わない。ただ、そっとルーシェの背中に手を置く。


 ——いいんだろうか? 中身はいい大人の男なのに。でも、コウメさんの温もりには抗えなかった。疲れた男というのは、こういうのに弱い。


「コウメさ~ん」


 コウメの胸に顔を埋めたまま、甘えるように身をすり寄せた。


「なんや、急に甘えてからに。しゃあないなぁ」


 コウメがルーシェの頭をそっと撫でる。しばらく、そのまま身を任せていた。


「……コウメさん」

「なんや、どうした?」

「ケンにも謝らないと。怪我させちゃった」

「そうやな」

「ケン大丈夫だった?」

「ケンも元気やで。頭に包帯は巻いとったけど」

「うっ……そっか。ごめんて伝えておいて」

「直接言いや」

「うん、それとボイスレコーダーのこと、礼も言いたい」

「なおさら直接言いや。会いに行ったれ」


 ルーシェは小さく頷いた。



 ◇



 旅館を出る。まだ少し時間があったので、漫画喫茶に寄った。


 リクライニングシートに沈んで、積んでいた漫画を開く。


 ヴィクターは死んだ。ヴァンの件も片がついた。気持ちは軽くなったはずだ。


 でも、頭に入ってこない。あんなに楽しみにしていた『デスマ』の続き、しかも三巻分残っていたのに。


 ヴァンが言っていた。物体を弾き飛ばすギフト。俺を守っていた誰か。


 なぜ助けた? なぜ名乗らない?


 ――今も、どこかで見ているのか?


 俺を護衛していたからといって、味方とは限らない。セリアやイリスに、危険が及ばないか——そればかりが頭をよぎる。


 答えは出ない。漫画を閉じた。


 窓の外に、東京の夜景が広がっている。

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