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第18話 「決着」

 ヴァンが、動いた。


 咄嗟に振った鎌を、ナイフで弾かれた。乾いた金属音が路地に響く。


 ――真っ向勝負では歯が立たない。


「ち、ちょっと待って。は、話し合おう。せ、説明するから。怒るのは当然、わかるわかるよ」


 両手をゆっくりと前に差し出した。どうどう、と言わんばかりに。


 ヴァンが無言で、じろりと睨む。


「お、落ち着いて。ね、ね、ね、わ、わたし、そのっ、ちがっ――ひっ!」


 ヴァンのナイフが、顔の横に突きつけられた。刃が、耳のすぐ隣にある。


「お前が落ち着け」

「は、はぃ」

「お前に危害を加えるつもりはない」

「どうして?」

「お前はレッドジョンではないからな」


 ――えっ?


「お前の中に、レッドジョンという別の人格が眠っている。お前自身は、その人格に体を乗っ取られた被害者だ」


 ――あー、そういう解釈してるのか。


 ――全然違う。ジキルとハイドみたいに思ってるんだろうな、この人。


 ――勘違いしてくれるなら、好都合だけど。


「だが、尋問はする。お前には仲間がいるな」


 ――嘘を言っても意味がない。ヴァンには生半可な態度を取るべきではない。


「うん、いる」

「まず治癒のギフト持ちがいる。短期間でお前の傷が治っていたからな」

「そうね」

「あとは転移のギフト持ちだ」

「転移?」

「俺が追いかけていた時に消えただろ。それともお前の能力なのか?」


 ――瞬間移動みたいに思ってるんだろうな。できるだけ、自分のギフトの詳細は知れない方がいい。


「う、うん、そう転移ね。はいはい、いるよ」

「あとは、物体を破壊、コントロールするギフト持ちだ」

「ん? うーん、なにそれ?」

「知らないのか? 俺は以前、お前を狙った。その時に阻まれた。物体を弾き飛ばすギフトだ」

「えっ? えっ? 本当に知らない」

「……レッドジョンの方が知っているのか。とにかく、知っていることは全て話せ」


 ――護衛? 俺に? 誰が?


「とりあえず、その仲間は今どこにいる?」

「……日本、という街にいると聞いている。私は行ったことがない」

「ニホン……」


 ヴァンが低く呟いた。眉が寄っている。


「聞いたことがない地名だ。隠れ里か。それとも暗号か……」


 ぶつぶつと独り言を続けている。


 ――正解は全然違うんだけどな。


「一つ確認したい。ヴィクターの尋問での答えだ」


 ――ヴィクター。あの尋問での記憶が蘇る。


「やはりお前は、レッドジョンのことを知っていた。お前の中にいる者——お前は自覚していたな?」


 ――鋭い。


 答えに詰まった。


「責める気はない。それはお前であってお前ではない。戦場でも似たようなやつはいた。体を同一にしているだけで別人、他人みたいなものだ。俺の仇はそいつだ。お前じゃない」


 ――そうじゃないんだが、いきなり殺されることはなくなったのか?


「それはどうも……」


 沈黙。気まずい。いたたまれない。


「あ、あの、そろそろ遅くなるんで、家族が心配しますので、帰っていいですか?」

「だめだ。俺はレッドジョンに用がある。やつが出てくるまで協力してもらう」

「協力ですか」

「あぁ、しばらくここにいてもらう。手は拘束するぞ。抵抗されては困るのでな」


 ヴァンが懐から縄を取り出した。手首を後ろに回される。縄が手首に巻きつく。きつく、しっかりと結ばれた。


 ――い、痛い。でも殺されるよりはマシか。


 無言の男と対峙する。いくばくかの時間が過ぎた。針の筵ではないが、つらい。


 しばらくして、気づいた。


 ――待て。


 レッドジョンは出てこない。あの狂気はコウメさんのギフトがあってこそだ。ヴァンがいくら待っても、何も起きない。


 ――出てこないんだから、どうしようもないぞ。ヴァンが諦めてくれるか? いつまでここに拘束される?


 ――諦めなかったら、一生帰れなじゃないか!

 ――考えろ。何か何か、そうだ。


「ねぇ、一つ提案があるんだけど」

「なんだ?」

「仲間がいる場所を教える。日本まで案内するよ」


 ヴァンの目が動いた。


「藪から棒になんだ。どういうつもりだ?」

「このまま待ってるのも時間がもったいないでしょ。彼女(レッドジョン)がいつ出てくるかわからないし」

「俺はレッドジョンが現れるまで死んでも待つつもりだ」


 ――やっぱりそうじゃないか。まずかった。


「じゃあ、私を見張りながら動けばいいでしょ。このままここにいて不審に思った仲間が来るかも」

「一理あるな」

「じゃあそれで。でも、条件がある」

「何だ?」

「この手の拘束を解いて欲しい」

「案内するのに、足が動けばいいだろ。なんだ抵抗する気か?」

「ち、ちがうよ」

「拘束を解く道理はない」


 ――くっ、一筋縄ではいかない。それなら、何か……そうだ!


「万が一、案内途中で拘束されているところを仲間に見つかったら不審がられるよ。警戒されるかも」

「……」


 ヴァンが止まった。値踏みするような目でこちらを見ている。


「いいだろう。だがおかしな真似をすれば容赦しない。逃げれば殺す。ギフトを使っても殺す。わかったな」


 コクリと頷く。


 ヴァンのナイフが、縄に当てられた。スッと、一引き。縄がほどける。手首に食い込んでいた感触が消える。じわりと、血が戻ってきた。


「案内しろ」


 ヴァンが背後についてくる。二人で路地を歩き始めた。


 背中に視線を感じる。ナイフの気配もある。逃げれば即座に飛んでくるだろう。


「……遠いのか?」

「そこそこ」

「街の外か?」

「まあ、そんな感じ」


 会話とも呼べない会話だった。でも、沈黙よりはましだ。


「次はどっちだ」

「え、えーと左かな?」


 目的地などない。でも時間を稼いで作戦を考えないと。ポケットに入れている録音機(ボイスレコーダー)をぎゅっと握る。


 左の角に入る直前、ヴァンの足音が止まった。


 ん?


「どうしたの?」

「待て。仲間に待ち伏せされたらたまらん。先に誰もいないか確認する」


 そう言うや角を曲がる前に、ヴァンが追い越した。ヴァンが先頭に立つ。


 しばらくヴァンが斥候のように先頭を歩く。


 ――そんな仲間なんていないのに……まぁ傭兵だからそういう考えが染みついているのかな?


 細部まで注意を欠かさない。さすがは名うての傭兵、猟犬のヴァンってところか。


 ん……その背中が、目の前にあるぞ。


 ――これって背後を取ってるよね?


 さらにヴァンがおもむろに屈んだ。靴紐の先が、地面に垂れている。ゆっくりと、靴紐を結び直している。


 完全に油断している。チャンスでは?


 ——録音機を使うまでもない。


 右手に意識を集中した。鎌が現れる。


 ――いや、待て。罠か? 俺を誘っている?


 足が、止まった。


 ――でも、これほどの強者がここまでの隙をくれることが、今後あるか?


 一歩踏み出す——


 振り返ったヴァンと、目が合った。


「……やはりな」


 ――ばれた!? くそ!


 鎌を振り下ろした。ナイフが閃く。乾いた金属音が響き、鎌が弾かれた。


 ――失敗した。やはり誘いだったのか。逃げないと。


 ――走る。


 足が地面を蹴っていた。背後にヴァンの足音。速い。路地を曲がる。また曲がる。息が上がる。


 足を止めた。三方を石造りの壁に囲まれた袋小路。


 振り返る。


 ヴァンが入口を塞いでいた。


「逃げ場はないぞ」

「くっ」

「……やはりお前も共犯者だったんだな。ルーシェ、お前にも遠慮はしない」


 ヴァンがナイフを構える。一歩、踏み込んできた。


 ルーシェは後退した。壁に背中がぶつかる。逃げ場がない。


 両手を前に出す。


「待って。ミラさんとエリちゃんは、生きてる」


 ヴァンの眉が、わずかに動いた。


「嘘をつくな」

「本当だ。会わせることができる」

「嘘つきの言うことは信じない」


 ――こうなれば当初の予定通り作戦決行だ。


 懐からボイスレコーダーを取り出す。再生ボタンを押して、壁際に投げた。


『あなた、会いたかったわ』

『パパ、一緒に遊ぼ』


「なっ!? ミラとエリの声! なぜ?」

「だ、だから生きてるって」

「本当に生きて……」


 ヴァンの足が、路地の奥へ向いた。引き寄せられるように、ふらりと歩き出す。


 五、六歩進んだところでピタリと止まった。


「いや、待て。生きているならなぜ姿を見せない?」

「そ、それは……」

「おおかた声まねのギフトの仲間でも潜ませているのか? 油断して近づいたところでブスリと刺す、違うか?」

「ち、違う」

「もういい。そこの路地の裏から聞こえた」


 ヴァンが路地裏へ向き直り、


「貴様もレッドジョンのあとで葬ってやる」


 怒声を放つと、ヴァンがナイフを再度構えた。


 録音が続いている。ミラの声。エリの声。


『パパ、綺麗な貝殻見つけたの。見て、見てよ』

『あなた、冷えるわよ。上着を着て』


 楽しそうな声が、路地に反響して、消えない。でも、もうヴァンは止まらない。妻子の声を無視して、ルーシェに向かって進んでくる。


 ――まずいまずいまずい。全然動揺も隙も見せてくれない。


 だが——


『星が降る夜に、また会いましょう』


 録音はその言葉を最後に止まった。

 なのに、その言葉を前にヴァンの体も、止まった。


 ナイフを持つヴァンの手が、わずかに震えている。


「……なぜ、その言葉を知っている」


 低い声だった。


「拷問したのか! ミラを捕まえて、その言葉を吐かせたのか!」


 ヴァンが踏み込んできた。さっきとは別次元の速さだ。怒りが、体を動かしている。


 咄嗟に鎌で受ける。腕が痺れた。


 弾かれた。体が傾く。壁に背中がぶつかる。


 立て直す間もない。追撃が来る。


 また受ける。また弾かれる。


 前回戦った時のような、計算され尽くした動きじゃない。めちゃくちゃだ。でも、それでも速い。強い。この男の地力は数段上だ。


 腕が上がらなくなってきた。足が重い。呼吸が乱れる。


「はぁ、はぁ……も、もうだめ」


 足が縺れる。膝が笑っている。息が上がる。ここまで防戦できたのも奇跡に近い。


「終わりだ」


 ヴァンが低く沈んだ。次の瞬間、地面を蹴る音。下から突き上げるような渾身の一撃が腕を貫いた。ガァンという衝撃が骨まで響き、鎌が弾き飛ばされた。


 地面に落ちた鎌を、ヴァンが足で蹴飛ばす。鎌はカンカンと乾いた音を立てて、闇の奥へ消えていく。


「死ね、レッドジョン」


 ナイフが、振り上げられた。


 ――終わった。


 目を閉じかけた。


『あなた……早く来て。エリが、エリが……大変なの!!』

『パパ——!! 助けて、怖いよ、パパ——!! 早く来て——!!』


 ミラとエリの悲痛な声が、路地に響き渡った。


 録音まだ続きがあったのか!! 


 目を開けると、ヴァンが、振り返っていた。


 ――今だ。最後のチャンス。


 何度踏み込んでも弾かれた。何度刃を向けても届かなかった。


 もっと速く。

 今までのどれよりも、速く。


 詰める。

 削る。

 捨てる。


 余計な動きはいらない。


 踏み込みは一度でいい。


 ――置いていく。


「【天国への扉《Heaven's Door》】」


 鎌が手の中に再び現れる。幾千の魂を刈り取ってきたかのような、昏い光を帯びた刃。


 そんな死神の鎌を手に取る。


 ルーシェは力強く地面を蹴り、踏み込んだ。


「おやすみ、猟犬のヴァン」

「しまっ——」


 ヴァンが振り返る。ナイフが閃く。


 だが、一瞬だけ早かった。


 刃がヴァンの首を通り抜ける。壁に、血文字が浮かんだ。


「R.J」


 鎌が光になって消える。


 一瞬、頬に熱を感じた。


 ナイフが壁に深々と刺さっている。指一本分、ずれていたら——そう思うと、膝が笑った。頬からぽたぽたと、血が地面に垂れている。


 ヴァンの抜け殻が、崩れ落ちた。


 路地は静かだった。


 録音機を拾い上げる。ミラの声も、エリの声も、もう聞こえない。


 ――送れた。これで、家族が揃う。


 ――ケンちゃん、ありがとう。


 ただ夜だけが、静かに広がっていた。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

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