表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/6

覚え書き 1208 巨乳のマルガリータ

「戦士諸君!君たちを育んだ祖国の豊かな大地は今、敵の邪悪な侵略によって不当に奪われようとしている。家や田畑は焼かれ、女は辱められ、男は頸木くびきを課され奴隷とされるだろう。君たちは君たちの大切なものたちを守るという尊い使命を持った戦士なのである。君たちが使命を果たしてこそ今の平和な祖国が守られるのである。

 戦士諸君!この世で最も高貴なものは戦場で祖国のために戦った勇士たちから流される血だ。それは彼らが守った大地に未来永劫流れ続け子孫たちに豊かな未来をもたらすであろう。敵を恐れるな。死を恐れるな。誇りを持て、愛する家族の命を敵から守れ、戦友のために戦え、勇敢なる戦士たちよ‼」


 聖シモン大学で最も不人気な経済神学部の講義棟の誰もいない講師控室内で修道服を着たエムオウは幽体状態のアタシに向け演説の練習をしていた。


「どうだね、今の演説は」

 エムオウはアタシに聞いてきた。

「よかったと思います」

「いや、もっとなんかこうあるだろう。ここの、この表現は良かったとか、この表現を使えばもっとトラキアの一般人なら琴線に触れるから良い、とかあるだろう」


 大衆向けの演説に自信の無いエムオウはしょっちゅう演説の練習を隠れてしている。しかし自分でもイマイチなことをわかっているのかいないのか、練習の成果を肯定してもらうために善し悪しのわからないアタシを利用する。そのくせアタシが批判的な評価をすると不機嫌になり黙って去ってしまうことが多い(その後、少しおいてから再度エムオウから話しかけてきて割と批判に耳を傾ける)。彼の自己肯定感を補強する適切な言葉を考えていたところ、


「そんな大声でずっとまくし立てるようなしゃべり方では聴衆はきいてくれませんよ。それにあなたの演説はヴェネチア共和国のポピュリスト政治家の丸パクリじゃないですか」


 エムオウは後ろから声をかけられぎょっとしてふり返った。


 そこには180㎝ほどの大柄な若い女性がにやにやしながら立っていた。

 彼女の見た目はこの大学に通う多くの貴族出身の学生とかなり違っていた。上は水色の半袖のスモックのような服を着ているが、胸のあたりは肩幅の1.5倍ほどあり子供が雨宿りできるくらい大きく前にパツンパツンに突き出ていた。下は厚手のボンタンのような横幅の広いズボンを履いていた。そして上下とも何色もの飛び跳ねたペンキがついていた。顔にも明らかに意図的に絵の具らしきもので眉や頬を塗っていた。


 彼女には幽体状態のアタシは見えないはずなので一人で壁と喋っているように見られたであろうエムオウは顔を赤らめた


「いったいいつからそこで聞いていましたか」

「なにか喚く声がするから覗いてみたら壁に向かってあなたが腕を振り回しながら志願兵募集のどこかで聞いたことのある演説をしているところから。それに「立てよ、トラキアの民よ。憤りを武器にかえて」という棒読み演説も。心がこもっていないのはパクリ演説だからですか」


 気まずいのか引きつった薄ら笑いを浮かべてエムオウは批判を聞いていた


「それも聞いていらしたのか。しかし、私も望んでこんな演説をしたいとは思っていません。しかし戦争がはじまるとなればこんな感じの演説をせざるを得ない。本当はやりたくないがそのときのために練習している」


「戦争の準備の一環ですか」


 エムオウはその質問には応えず彼女の容姿をじっとり観察した。Kカップより二回り以上大きい胸に目がいってしまいがちだが丸太のように太く筋肉質な腕をしていた。


「あなたは右腕の方が左腕よりもすこし発達しているように見える。大学事務局の速記のバイトか何かですか」

「大外れです。ただの学生です。右腕云々は多分、砲丸投げをやっていたからだと思います。競技大会で優勝したことがありますから」

「そうですか、女性がそんな荒っぽいスポーツをやるなんて珍しい」


 エムオウは近づいて右手を差し出したが大女は手を出さなかった。エムオウは右手を戻して両頬をさすった後、言った。


「で、なにか御用ですかな?」

「あなたが今度出すと聞いた総督令では、女性の中絶を夫や妊娠させた相手男性の同意がないとできないとする改悪は事実上女性の中絶する権利を奪うことです。そして女性の根本的な選択と権利を議会に通さず総督令という「通達」だけで奪おうとすることは民主主義に反することです」


 男女平等とか女性の権利向上などを取り組むことへの意識の低さはエムオウ自身も認識はしている。エムオウはごわごわした修道服がチクチクして痒いかのようにしきりに服の裾をさすっていたが、意を決し口を開いた。


「民主主義も女性の権利も大事ですが、ただ、ただですよ、生まれるはずの子供の権利もあると僕は思うのです。まあ女性が反対しているものを存在していないものの権利を主張してもしょうがない。この件をよく思わないリベラル官僚の誰かが外部にリークしていると聞いたが……、政府高官の間でも多くの反発があるので取り下げようと思っていたところです。あなたに指摘されるまでもなく自分から。」


 エムオウは反発が予想され議会で押し通す自信の無い政策は法案より敷居の低い総督令で一度試して反発があればすぐ引っ込めるのが彼の統治スタイルである。気まぐれのように周囲からは見える総督令を出しては引っ込めているので、朝令暮改だと批判者からは指摘されている。


「そうですかそれを聞いて安心しました。ついでにいい機会だからお聞きしますあなたが総督就任後2年目に際して述べた公約についてこの場で答えてください。すぐ出てきますよね、公約ですから」


 エムオウは鷹揚に少し考えてからいった


「おそらくその頃の関心時は属州トラキアの民の所得向上、農業生産力向上のため開拓事業の推進、上下水道や治水事業の推進だったかな。たぶんそうだったはず……」

「全部違います。それは4年目の公約です。しかも微妙に違います。2年目は「帝国の敵」「ヴルガータ正教の敵」である異常性愛者(同性愛者)と無神論者の公職追放の徹底、徴兵制廃止の撤回、人頭税の増額です。実現しなくて本当に良かった。内容はともかく公約を覚えていないなんて。なんて自分の公約に責任を持たない人でしょう。わたしからからあなたに新たな称号を進呈しましょう。公約失念総督、と。」


 エムオウの顔は少し青ざめていた


「そのようなことを市民の方からご指摘されるとは、まったくもってお恥ずかしい。謝らせてください。……えっと、お名前を聞いていなかった」

「マルガリータです。」

「自分が恥ずかしくなりますマルガリータさん。しかし良くない事は過去にこだわらず正していこうとしていることはわかっていただきたい。いいことが思いつくと良くないことは忘れる癖が僕にはあるので」

「あなたが総督在任6年間、ずいぶん思い付きでやってダメだった政策があると思います。ダキア県とトラキア総督両北部での大規模な開拓事業と治水事業の失敗とか。」

「それの責任は痛感していますし、治水事業の失敗は想定外の自然災害によるもので仕方なかった」


「113人の犠牲者は仕方なかったと」

「そんなこと言ってない。防ぎようがなかったという意味です」

「総督という最高権力者は最高責任者でもあります。しかしあなたは何も責任をとっていない。」

「総督を辞めろというのか」

「今までの総督は任期4年で交代していたのにあなたは2年前の洪水被害後も、のほほんとその職にいる。」

 それを聞いてエムオウは声を張り上げていった

「私は!その責任を痛感して、被災地の復興や被害者の生活再建支援、堤防の再建、犠牲者の補償を、被災地の復興を、わたしは、わたしは全力で取り組んできた、それも道半ばだ、それ投げ出すことは許されない。そもそも初めて会った良く知らない人にあれこれ言われたくない。経済神学部に女性の在籍者はいないはずだ。何者だ?君は」

 エムオウはプライベートな場では大抵、キレると興奮して部屋を飛び出すことが多いが、今回はなぜかその場にとどまっていた。


「いないのではなく、受け入れていないだけでしょ。神学学科の教授の偏見に屈して」

「それはそれで、そんなことより君はどこの学部の学生だ。そもそもここの大学の学生なのか」

「ここの法学部の1年生です」


 マルガリータは学生証を提示したがエムオウは受け取らず懐から手の平大ほどの懐中時計を取り出してじっと秒針が3周するのを眺めた。そしてエムオウは大きく息を吐いた後、言った。


「そうか、法学部ですかマルガリータさん。ところで総督である私は暇を持て余しているわけではないので、いい加減、この討論はやめませんか。それに法学部ではたしかいまはどの教授も講師も授業かゼミをしていて学生はどれかに出席しているはずだが。未来の官吏になる人がここにいていいのですか」

「今やっている、入りたかったゼミは女性だから入れなかったのです。女性は論理的な思考ができないからうちは難しいと」 

 マルガリータは悔しそうに言った。

「女性嫌いで有名な法学原論のシュミット・ボダン教授のゼミかな。そんなことを言うのは。まあ、教授にコレを渡せば入れてくれるだろう。」

 エムオウは紙切れを取り出して何かを書いて渡した。だがマルガリータは憤然と紙切れを大きな手のひらで握りつぶした


「こんな特別扱いはいりませんし、ボダン教授には女性は君の望む高級官僚クラスの官吏登用試験は受からないから授業に出て勉強するより社交界のパーティーに出て結婚相手を探したほうがいい、とも言われたのでその人の授業すら受ける気になれません。」


 エムオウは官吏登用試験の受験資格の条件で差別的な取り扱いがなされていなければ採用差別は無くなると思っている節がある。しかし実際には官吏登用試験の際に今でも無神論者か同性愛者か聞かれ、素直に認めるとまず受からない。女性も書類整理の秘書や速記係などでは役所に採用されるが政策策定などに関わる高級官僚の試験を受ける女性はいるが受かった女性は皆無である。そもそもエムオウには女性の社会進出というよりも総督である自分の属州トラキア統治を支える男社会である官僚機構の反発を押し切ってまで女性を増やそうという気がなかった。


 エムオウが何か言おうとしたが言葉が出ず微妙な時間が過ぎていく最中、いきなり視界がぼやけてきた。アタシはエムオウに言った。


「エムオウ様、本体がゆり動かされている気がしますのでいったん戻ります」


 エムオウは黙ってアタシにうなずいた。目を開けると目の前に内務長官アンシェンバッハ伯が深刻な表情で総督府官邸秘書室内の椅子に座ったアタシの肩に手をかけて揺さぶっていた。アンシェンバッハ伯は紺色の軍服を着ているが肩章や胸の勲章をつけていないところを見ると相当急いで来たのだろう


「エムオウと今すぐ連絡が取りたい。どこにいる。」

「聖シモン大学の経済神学部です。いったい何があったのですか」

「すぐに幽体になって伝えてくれ、プロシア王国軍が軍事演習と称し国境付近に部隊を結集させているが、明日にもそのまま属州トラキア領内に攻め込んでくる、とプロシア王国にいる諜報員から報告があった。早急に総督府官邸に来てくれ、と。」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ