第72話 作戦
「呼び捨てでいいよ」
しばらく話した後で、右近が意を決したように言った。
「さっきからずっと、くすぐったい感じがして。くん付けされるような人間じゃないよ、俺は」
それなら、と雪華は口を開く。
「それなら、私も、呼び捨てでいいよ。雪華でいい。あんまり、雪華さん、って呼ばれることないし」
「じゃあ……そうさせてもらう、かな」
そう言って、右近が口を閉じて、何事か思考を巡らしているような顔になった。
何か、迷っているような感じだ。
太ももに顎を乗せた犬をさすりながら待ってはみるものの、右近の口は開かない。
「どうしたの?」
「あ、いや……」
雪華が右近をのぞきこむ。
「……感想だけ、聞いておこうかな。このボランティアの」
それだけ聞くのに随分時間がかかったものだと思いながら、雪華は口を開く。
「楽しかったよ。また来ようかな、って思ってる」
「そっか。そりゃよかった」
右近が嬉しそうに笑う。
屈託のない笑顔だ。
雪華は思わず笑ってしまい、それを見た右近が訝しむ。
「な、なんだよ」
「右近の顔が、なんていうか……子供っぽいっていうか、むしろ、この子達みたい」
雪華の言葉が理解できているのか、周囲にいた犬や猫が、一斉に右近の方を向く。
「なんだよ、お前らまで。雪華がまた来るって言って、嬉しかったのはお前らだろ」
「ヘイ、マイサーン!」
倉庫の外から、威勢のいい大声が聞こえてきた。
「作戦はうまくいきそうかー!」
右近が頭を抱えた。
「作戦って?」
「……正直、ボランティアを募集し始めたのは、こうやって動物を可愛がってもらうこと以外に目的があるんだ」
右近が頭を抱えたまま口を継ぐ。
「こうやって動物を可愛がってもらって、その流れで、売れ残った動物たちの買い手を探すってことなんだ。こっちの倉庫で人に慣れた動物たちと触れ合ってもらって、もうひとつの倉庫で選んでもらう、みたいなさ」
「さっき何か言おうとしてためらったのは、別の倉庫を見てみないか、ってことだったのね」
雪華が笑うと、右近がため息をつく。
「俺にしてみれば、詐欺に近い感じがして、気が進まないのが正直なところなんだ。こうやって動物に興味を持ってくれるだけで意味はあると思うし、これまでにもこんなことしなくたってペットを探してる人ならウチにたどり着いてたからさ」
「ちなみに、ボランティアの人に対してはどれくらい成功してるの?」
右近が首を振る。
「ゼロだよ。そもそも来る人が少ないし、父さんが我慢しきれずにああやって口を滑らすから、大体の人は怪しい商売か何かだと思って怒って帰ってしまって……」
クスッと笑って、雪華は立ちあがった。
右近がぎょっとして見上げる。
「大丈夫、怒ったわけじゃないから。でも、せっかくだからそっちも見せてほしいなと思って」
「ああ、そうか。それは構わないよ」
右近に案内されて、雪華はひとつ奥の倉庫に足を運んだ。
ひとつめの倉庫とは異なり、ケージに入れられた、まだ体の小さな犬や猫がせわしなく動いている。
「気に入った子はいたかな、プリティガール」
満足そうに笑いながら、右近の父が大きな声で言う。
「彼女のところは飲食店だそうだから、ペットを飼ったりは難しそうだよ」
右近が笑いながら言葉を次ぐ。
「今までも、買ってくれる人はちゃんとウチに来てくれてるんだから、ボランティアはボランティアとして終わっていいんだって。一時の感情で買うと決めて、その後に捨てられでもしたら、それこそコトだろ」
「むぅ……そうか。やはりそうかなぁ……」
独り言の割には大きな声で、大男がぶつぶつ言う。
「これで父さんが分かってくれればいいけど」
右近がこそっと雪華に言った。
「思い直してくれたら、雪華のおかげだな」
「じゃあ、ボランティアの募集自体をやめるの?」
雪華が首を傾げると、右近がハッとした。
「う~ん……俺としては、商売に結び付けるのがなくなってくれればいいんだよな。最初に雪華に言ったように、身寄りのない動物たちと遊んでほしいって言うのは正直なところだし」
右近が頬を掻きながら言葉を次ぐ。
「また来てくれそうな人もいることだし、それに……」
「それに?」
一瞬視線が合い、右近が慌てて上を向く。
「ほら、さっき一緒にいたあいつらも、雪華のことは気に入ってたっぽかったし」
「嫌われなくてよかった」
雪華は笑って、言葉を紡ぐ。
前世では、国中の人に嫌われて、断頭台にかけられた。
こちら側で過ごして時間が経ってはいても、笑顔で話せる知己が増えたとしてもふとした拍子にあの日の光景が蘇ることはある。
嫌われなくてよかった、は心からの言葉だった。
人に嫌われるのは仕方ないとしても、動物たちにまで嫌われてはさすがに心が折れそうだ。
それから短い時間、第二倉庫で小さな動物たちを愛でた後、雪華はそろそろ帰ることを右近に伝えた。
「送るよ」
「いいよ、平気」
「そういうわけにいかないだろ、暗くなるし。このあたり、暗い道も多いから」
「オー、マイサン。私に似てジェントルマンだな」
ガッハッハと大男が笑う。
「カイショーのない馬鹿息子の成長のために、送らせてやってくれたまえ、プリティガール」