第71話 過去
「具体的には、どうしたらいいの?」
「簡単さ」
右近が扉を開けて柵に入る。
中の動物たちが、のそのそと歩み寄る。
右近は地べたに座って、犬の顔を撫でたり、背中をさすったり、顔をなめられたりしている。
「さ、どうぞ」
少しばかり気おくれはしたが、雪華は意を決して中に踏み入れた。
ところが、右近に対して近づいていったのとは違い、どの動物も雪華の方に寄ってこない。
その様子を見て、右近が笑う。
「視線が高いんだよ。座ってみて」
言われるがまま、雪華はしゃがむ。
すると、毛がボサボサのずんぐりとした猫が、雪華の膝の前に来た。
おそるおそる手を近づけると、猫は額を押し付けてきた。
「撫ででほしいってさ」
手の甲で、さするように猫を撫でる。
猫は満足したのか、そのままそこにとどまった。
「悪くないよ。動物に好かれない人は、どうやったって好かれないから」
「そうなんだ」
応えた雪華を、右近がじっと見る。
「何?」
「いや、なんでわざわざウチに来たのかな、と思って。部活とかやってないの? 滅茶苦茶、足速いんだろ?」
「それを言うなら、右近くんもそうじゃない? 体育祭で、フラッときてフラッと勝っちゃうくらい、身体能力は高いんでしょ?」
「俺は見てのとおり、家のことで手いっぱいだよ」
私もだよ、と雪華は笑った。
「私も、家の仕事を手伝いたいから、部活とバイトは選択肢から外したの。でも、何かしたいなぁって思って、どうせなら学校外の活動にしようと思ったの。まさか、同じ学校の生徒の家だとは思わなかったけどね」
「しかも、悪評で知られたD組の奴だしね」
右近が笑う。
その様子に、雪華がこれまでの経験で見知ったような、邪悪な人間の雰囲気はまるでない。
「右近くんって、何か問題になるようなことをしてるの?」
「俺は、問題を起こすつもりはないんだけど」
苦笑して、右近が言葉を継ぐ。
「さすがに遅刻と欠席が多すぎたんだよ。知り合いの所で牛や山羊が生まれるとなると人手がいるし、田植えや何やで人手がいるし、その都度学校休んでたら、お叱りをうけちゃってな」
言いながら、右近はどこか楽しそうだ。
雪華はふと、その表情に羨ましさを感じる自分に気付く。
好きなことがある、というのは、こういう表情をつくるのだろう。
対象が人であろうとなかろうと、『好き』という感情がそうさせるのだろうと思った。
「あ、でも……」
「でも?」
手元の大型犬を撫でながら、右近が頬を掻く。
「割と決定的だったのは、去年の秋の終わりかな。近所でバカ騒ぎする連中がいてさ。警察に通報したのはいいんだけど、父さんがしゃしゃり出て行って、俺も止めに入って……」
「警察は?」
「呼んどいてなんだけど、来るのに時間が随分かかって。取っ組み合いになって、結局こっちも厳重注意される羽目になったんだ。一応、あっちから手を出したんだけど、そういう問題でもないらしい。それで高校にも連絡が行って、それがたぶん決め手だったかな」
少し前に、水族館で肘うちを食らわせた場面を思い出す。
あれも、表沙汰になったらまずかったかもしれない。
「どんな世界にも、知性に欠けた人っているからね」
「はは、面白いこと言うな。でも、たしかにそうだ」
そこまで言って、右近がハッとして口を次いだ。
「あ、でも、2Dが問題児学級っていうのは、偏見だからな。いい奴はたくさんいるし、事情があって問題にせざるを得なかったケースだって多いんだ。そりゃ、優等生が集まったA組から見れば劣等かもしれないけど……」
「……そんなことないよ」
雪華は視線を落として口を開いた。
「A組はA組で、いろんな問題が起きてるよ。現に、私だって……」
「私だって?」
首を傾げる右近に、雪華は『雪華』に起きた出来事をかいつまんで話した。
聞きながら、右近はだんだんと憮然とした表情になっていく。
体育祭でのくだりを話す頃には、顔が紅潮してしまっていた。
この右近という人物は、心根がまっすぐなようだ。
「なんだよ、それ。とんでもないな」
「うん、でも、最近は大人しくなったというか、丸くなったというか、そうでもないんだよ」
なんで被害者の私が、主犯の纏を弁護しなければならないのかとあべこべさに笑いながら、雪華は言った。
「ああ、そうか。なるほど、そういうことか」
一人で得心を得たらしい右近が、ポンと拳を手のひらに当てた。
「つまり、そういう毎日に心が疲れて、動物に癒しを求めてるってことだ」
「そう……なのかな。そうでもないような気もするけど」
一人合点して笑いながら手元の動物たちを優しく撫でる右近を見て、雪華は、彼が動物に慕われる理由がよく分かるような気がした。
人の好さ、とでもいうのだろうか。
この人間は安全だというのが、動物ならはっきりと分かるのだろう。
一方で、雪華は自分もまた右近に対して和やかな、居心地の良さを感じていた。
前世に居た頃にも覚えがない、不思議な安らかさだった。
ふと、「わふ」と雪華の太ももに、小さな犬が顎を乗せた。
「雪華さん、動物に好かれるタイプだね。その子、結構人見知りするはずなんだけど」
そうなんだ、と応えながら、雪華は犬の頭をそっと撫でた。
「右近くんの教え方が上手いからかもね」
雪華が言うと、右近は照れたようにはにかんで上を見た。




