第4話 違い
「――どうして、やりかえさなかったのかしら」
日記を閉じ、雪華はひとりごちた。
隠された筆記用具は探して見つけ、代わりに相手のを隠してやればいい。
壊された物は仕方がないから、相手のものを奪って埋め合わせをすればいい。
気に食わないことを言われたら千倍にして返せばいいし、嘲笑されたらにっこり笑ってその低能ぶりを憐れんでやればいいのだ。
それに、周囲が自分の味方をしてくれないのは、当たり前のことではないか。
基本的に、人は損得で動く。
多くの者にとって、その纏とかいう女に味方する方が、得が多かったのだろう。
それだけのことだ。
それならば、雪華を敵に回すと損をする、ということを知らしめればよかったのだ。
「心配をかけたくないから、両親には言わない……という点は、少しだけ、評価するけれど」
日記には、いじめた相手への恨み言よりも、両親への謝罪や心配の言葉が圧倒的に多く残っていた。
優しい娘だったのだ。
やり返す、などという発想の種すらなかったのだろう。
見ようによっては哀れだが、死に追いやられる必要など絶対になかったはずだ。
――だが、その心優しい少女は、もういない。
ここにいるのは、雪華であって雪華ではない。
王国を統べるべく研鑽を積み、偉大な女王を目指した女丈夫だ。
何がどうなって、自分が雪華の体に入り込んだのかは、分からない。
だが、この思いがけない運命に感謝して、今一度、人生を謳歌しようではないか。
でも……
「同じ生き方をしたら、きっと、同じ終わり方をするわよね……」
「プリンセス☆レボリューション」の世界は、そのように出来ていた。
主人公の選択によって結末が収束していく。
最初からやり直しても、同じ選択肢を取り続ければ、前と同じ結末が待っている。
もしかしたら、実際の人生もそうなのかもしれない。
そうだというのなら、断頭台につながっていたラシャンテの生き方は、捨てなくてはならない。
かと言って、自死を選ばざるを得なかった元の雪華の生き方も、選んではならない。
「そもそも、主人公は、どうして幸せになれたのかしら」
主人公は、幸せになる人生を五つも用意されていた。
悪役には、ギロチンにかかるという結末しか用意されていなかったのに。
二人の差は何だったのだろう。
王族の血筋に生まれたという幸運は、姉姫も同じだ。
リセの容貌も整ってはいたが、絶世のものとは言えなかったし、大きな差ではなかったと思う。
義妹にあって、姉姫になかったもの――
「愛、かしら」
断頭台で、アランは「愛」を口にした。
でも、「愛」が得られたか得られなかったかは、結果でしかないように思う。
何か、義妹には「愛」を得る要素が備わっていたのだ。
ラシャンテ――雪華は、スマホを操作し始めた。
「リセノワール 特徴」と打ち込んで検索してみる。
調べればたいていのことは分かるのだから、まったく便利な道具だ。
「なになに……リセノワールは、悪辣な義姉とは違い、慈悲深く高潔な少女である――心清らかで、正しいことを好み、浪費家である義姉とは違って慎ましく、誰からも好かれる人物である――傲慢で嫌われ者の義姉とは異なり、思いやりにあふれ、他者のために尽くす姿は万人に愛された」
いちいち「義姉とは違う」という文句が目に付いたのが癪に障るが、知りたいことは知れた。
なるほど、言われてみれば、姉姫が他者を想っての行動など、一度もしたことがなかったかもしれない。
女王を目指して自分を高めたのは、自分の名を歴史に残すためだ。
民を幸せに、とか、世界を平和に、などという発想はひとかけらもなかった。
「他者を助け、清く正しく生きれば、人に愛されて幸せになれるのね、きっと」
変わってみせる。
そして、この第二の人生できっと幸せになってみせる。
そのためには、とにかく、この世界のことをよく調べなければ。
ラシャンテ――雪華は、電子の世界に広がる知識や教養を、猛烈なスピードで吸収し始めた。
その夜、閉店時間が過ぎたあたりで一階に降りてきた娘を見て、両親はあんぐりと口を開けて固まった。
部屋に引き篭もり、食事も自室でとり、顔を見せることもなかった娘が、どこか明るい顔つきで立っている。
「雪っちゃん……」
両手で口を覆う母に、雪華はにっこり笑って、続けた。
「たくさん心配かけて、ごめんね。でも、もう大丈夫だから」
母の目に涙が溜まっていく。
父もまた、目元を指でつまんでいる。
「私、高校でいじめられて……それで苦しくて、一時は死のうとさえ思った。でも、やめた」
雪華はそう言って、ポケットから空の薬瓶を出し、カウンターにコトリと置いた。
母の両目から涙が流れ落ちる。
父は天井を仰いだ。
「人生を大切にしたい。悲しい終わり方をしたくない。自分を諦めたくない。だから……」
きゅっと口を結んで、ひとつ息を呑みこんで、雪華はまた口を開く。
「私、生きるよ」
声が震えた。
なぜか目が熱くなって、涙がどっとあふれ出た。
命がある、ということの素晴らしさが、急に実感として沸き上がった。
傷つき、悩み、打ちひしがれていた家族は、この日、涙の中であたたかさを取り戻した。
作者の成井です。
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