第1話 棘
「痛ぁぁっっっ!?」
その絶叫を聞き、満足そうに笑う一人の少女がいた。
「真木雪華……! あんた、このわたくしにこんなことをして、どうなるか分かってるんでしょうね!」
雪華は、肩をすくめた。
相手の苦悶の表情、そして憎悪の視線とは対照的に、雪華の態度は涼やかだ。
「見当もつかないわ。教えていただけるかしら、いじめっ子の加賀纏さん」
痛みと怒りでさらに顔を歪めて、纏が雪華をにらむ。
一方、雪華は、纏の手のひらに無数に刺さったサボテンの棘を見て感心していた。
「痛そうね~。予想していたよりもたくさん刺さって、びっくりしちゃった」
「あなた、こんな……棘を髪留めに貼っておくなんて、頭おかしいんじゃないの!?」
「すぐに手が出る方が、おかしいと思うけれど……私はただ、あなたの平手打ちを髪留めで受け止められるように、ちょっと体を動かしただけよ? こうなることを想定して、ちょっぴり工作はしたけれど」
雪華はクスクス笑いながら、言葉を続ける。
「それに、そんなに深く、しかもたくさん刺さるっていうことは、それだけ容赦なく私を叩こうとしたってことでしょ? そういうの、たしか『自業自得』って言うのよね」
纏の歯ぎしり。
取り巻きが息を呑む音。
そして、沈黙。
後ろ手を組んでにこにこ笑う雪華に向かって、纏が声を震わせた。
「帝様も、何かおっしゃってやってください! 婚約者が侮辱されたのですわよ!」
纏のすぐ後ろに立っていた男子生徒が、二歩、三歩と歩み出る。
「俺と結ばれる資格があるのは、最高の女だけだ」
追い越し際に冷たい視線を投げかけられて、纏は口をつぐんだ。
そして、その視線が雪華に移る。
「加賀グループの令嬢に歯向かい、恥を掻かせるとは、面白い女だな」
「あんたなんか、学校中に嫌われるように仕向けてやるからっ!」
帝の陰に隠れて、纏が甲高い声を発した。
顔をしかめながら、帝が口を開く。
「……だそうだが」
「学校中……ってことは、400人くらい? それなら、なんてことないかな」
そう言って、雪華は歩き始めた。
つか、つか、歩を進め、帝の前で足を止める。
周囲の緊張感がにわかに増す。
「手枷をしたまま国中の人々に罵詈雑言を浴びせられて、さらにギロチン台に固定されでもしたら、ちょっとは応えるかもね」
雪華は、満足そうに笑った。
その微笑みを見て、帝はいぶかしんだ。
後ろの纏の顔にも、痛みや怒り以上に、困惑が強く表れていた。
困惑していたのは、帝と纏だけではない。
一部始終を見物していた野次馬達も、誰もがみな、状況を理解できずにいた。
何をどうすれば、引き篭もるまでいじめられ続けた人間が、ここまで強烈にやりかえせるというのか。
「1年生のときとは、まるで別人だぞ……」
野次馬のつぶやきが聞こえて、雪華は笑みを噛み殺した。
まさに、その通りよ。
私は、真木雪華であって、真木雪華じゃない。
少し前まで、私は、ラシャンテ=リュ=ヴァーンだったのだから――
シャングリラ王国の第一王女として生を受け、望んで手に入らないものはなかった。
牛人が焼いたパン。
森人が詰めたワイン。
鉱人が細工したアクセサリー。
誰もが、次代の女王の期待に応えられるよう奔走した。
ラシャンテは、望む物すべてを手に入れただけでは満足しなかった。
歴史に名を残す女王となるべく、知識、教養、ひいては武芸までをも体得していった。
そのためには、なんでもした。
傲慢――
浪費――
悪辣――
陰口は、ラシャンテの耳に入らなかった。
風向きが変わったのは、父王が侍女に産ませた義妹の姫の存在が明らかになったときだった。
可憐で純朴なリセノワールは皆に愛され、隣国の王子シャムロック、剣聖の弟子リゾビーノ、天才錬金術師ソッガ、市民の星チキート、多くの未来ある殿方が彼女を慕った。
次第に、リセノワールと、結ばれた男が国を治めるのがよいのではないか、という声が聞こえてくるようになった。
「醜聞を広めて、彼女が王室にふさわしくないことを知らしめるしかないぞ」
婚約者のアランデュカスと共謀し、ラシャンテは義妹を陥れようと様々な策謀を張り巡らした。
しかし、まるで天が彼女を味方しているかのように計略はことごとく打ち砕かれた。
ついには宮殿に出入りする邪な商人とも手を組み、企ては過激になっていった。
それがラシャンテの運命を決定づけた。
官僚の汚職、市民の反体制運動、王の急逝。
それらすべてがラシャンテの立場を最悪のものへとなだれ込ませ、結果、彼女はすべての責を負わされて断頭台にかけられた。
「あなたが執行人なの、アラン……」
断頭台にのぼったラシャンテは、既にボロボロになっていた顔をさらに曇らせた。
「請け負わなければ、俺まで首を晒す羽目になるからな」
かつての婚約者は、こともなげにそう言った。
「私のこと、愛してるって言ってたのに」
ラシャンテが言うと、アランは顎で眼下の民衆を指した。
「見ろよ。国中の人間が、お前の死を望んでる。そんな人間が、誰に愛されるっていうんだよ」
涙は出なかった。
絶望感が背中を押した。
虚無感がくずおれさせた。
ラシャンテの首が断頭台に固定されると、民衆の熱狂は最高潮に達した。
「妹は、国中に愛され、みなが結婚を祝福したっていうのにな」
アランの呟き――
歯止めの綱が切れる音――
巨大な金属が滑り落ちる音――
ラシャンテは、目を閉じた。
作者の成井です。
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