第1章:春風と足音――田舎の歌人は、まだ恋を知らない
都会の喧騒から遠く離れた、山あいののどかな町。
ガタゴトと二両編成のローカル線に揺られ、春風が吹き抜ける無人駅に降り立ったあの日から、俺――天野蓮の心はずっと落ち着かなかった。
物心ついた頃から、夢の中で繰り返される光景がある。
どこか遠い時代。身分違いの壁に阻まれ、手すら握ることが許されず、病に倒れた清らかな少女の傍らで、無力に泣き崩れるだけの前世の記憶。
『来世では……今度こそ、貴方のすべてをちょうだいね……』
少女が今際の際に残した、哀切に満ちた約束の言葉。
その輪郭だけを胸の奥深くに刻み込んだまま育ち、親の都合でこの地方の高校へと転校してきた俺を待っていたのは――まさしく、運命の悪戯だった。
――転校初日の、放課後。
「文芸部の部室なら、体育館の裏にある旧武道場を使ってるはずだよ。部員は……確か、一人しかいなかったと思うけど」
担任から渡された書類を届けるため、桜の花びらが舞う渡り廊下を抜け、草木が生い茂る旧武道場へと向かう。
軋む板張りの引き戸に手をかけようとした、その時だった。
トスッ、トスッ、シュッ――!
風を切り裂く、鋭くも軽やかな衣擦れの音が、静まり返った道場の中から響いてきた。
思わず隙間から中を覗き込んだ俺は、息を呑んだ。
夕暮れの茜色の光が、埃の舞う板の間に斜めに差し込んでいる。
そこにいたのは、一人の少女だった。
膝下まである長めの濃紺のプリーツスカートに、白い半袖の開襟シャツ。田舎の高校生らしい、飾らない、素朴で清廉な佇まい。黒髪を後ろでひとつに束ね、化粧っ気のない抜けるように白い肌には、健康的な汗がキラキラと光っている。
だが、その少女がとっている姿勢は、およそ日本の田舎町には似つかわしくないものだった。
「ふぅ……ウン、ドイス……ジンガ」
低く腰を落とし、左右へとリズミカルにステップを踏む。
ジンガ――南米の伝統武術、カポエイラの基本動作だ。
しなやかなバネのように跳躍したかと思えば、床に片手をつき、長いスカートをふわりと翻しながら、美しく弧を描く回し蹴りを放つ。鍛え抜かれた体幹としなやかな筋肉が生み出す、舞踊のように優美で、かつ力強い躍動。
ふう、と小さく息を吐いた少女は、額の汗をぬぐうと、道場の片隅に置かれた古びた木机へと歩み寄った。
硯で墨をすり、使い古された筆を執ると、短冊の上にさらさらと流れるような文字を走らせる。




