【09】火刑法廷
さて今回は、ミステリ黄金期の巨匠ジョン・ディスクン・カーの「火刑法廷」である。
カーなどと言えば本格ミステリに馴染みのない人には、さしてピンとこない名前かもしれない。
日本での一般的な知名度では「アクロイド殺し」「そして誰もいなくなった」などでお馴染みのアガサ・クリスティなどに大きく遅れを取る事であろう。
しかし、このカーは、クリスティなどと同じくミステリというジャンルを語るうえでは欠かすことの出来ない存在である。
その主だった理由は、カー自身の作風にある。
彼の作品のほとんどがいわゆる密室物に分類され、
一説によれば、ほぼ全ての密室トリックのパターンは彼によってやりつくされたのだという。彼以降の密室物は全てがそのバリエーションに過ぎないという人もいる。
そんな、密室を極めし者によって書かれた物語の中でも白眉とされるのが、本稿で紹介する火刑法廷である。
あらすじは以下の通り。
編集者のスティーヴンスは、妻マリーの待つフィラデルフィア郊外のクリスペンにある別荘へと電車で向かっていた。すると、その途中、ブリーフケースの中に入れてあった人気作家ゴータン・クロスの新作原稿の中から、妻と瓜二つの女性の写真を見つけてしまう。
それは、十九世紀にギロチンにかけられた毒婦マリー・ドブレーのものであった。
最愛の妻と同じ顔と名前をもった殺人犯の写真にただならぬ予感を感じるスティーヴンス……。
一方、その頃、クリスペンに広大な土地を持つデスパード家にも不吉な影が舞い降りていた。当主のマイルズが不審な死を遂げていたのだ。
スティーヴンスは、友人でありデスパード家の新当主であるマークに頼まれ、マイルズの死の真相を探る為に納骨堂へと納められた彼の棺を暴こうとするのだが……。
と、このように物語はのっけから、おどろおどろしいムード満点で進んでゆく。そして、二つの密室で起こった不可能犯罪が、スティーヴンスたちに更なる困惑と恐怖をもたらす。
それは、一見すると人智を越えた現象そのもので、怪奇的なムードもあいまって「これ、本当にまともに解決すんのか?」と思えてしまうほどだ。
しかし、当然ながら、これらの事件の謎は後半に現れる探偵役のゴーダン・クロスによって見事に解きあかされる。
この解決は本当に鮮やかで、これだけでも本格ミステリの醍醐味を存分に味わえる……のだが、実はこの作品の肝は、そこから更に先の部分にある。
思わず目が点になること必至の四章ラスト……そして、問題の五章で物語は多くの読者の予想を遥かに超越したラストへと着地する。
きっと、読んだ人の中には「これは、本格ミステリではなくオカルトだ」と言う人もいるかもしれない。
または、あのラストのアレは妄想かなんかで、起こった出来事や提示された真相は何一つ変わらないと言う人もいるだろう。
なんと驚くべき事に、この物語は読んだ人の解釈次第ではジャンルが変わってしまうという恐るべきミステリなのである。
オカルトとミステリというジャンルは一見すると水と油のようであるから、この二つの融合などというと、なにやら革新的な事のように感じられるかもしれない。
しかし、それは既に八十年以上も前に「火刑法廷」という、これ以上にない形で存在していたのだ。
まさに時代を越えて人々に愛される名作とは、こういう作品の事をいうのだな……と、思わされたと同時に、ミステリというジャンルの懐の深さを味わえた。
秋の夜長にはぴったりの作品である。