【07】予言の島
あまりにも久々過ぎる投稿である。
今回は『予言の島』について語りたい。作者は、2015年に傑作ホラー『ぼぎわんが、来る』を引っ提げて颯爽とデビューした澤村伊智先生。
では、あらすじから。
九十年代にオカルトブームを牽引した霊能者の宇津木幽子が最後に遺した予言が実現するかどうかを確かめる為に、主人公の天宮淳たちは瀬戸内海に浮かぶ霧久井島へと向かった。
しかし、予約を入れていた宿には「ヒキタの怨霊が山を下りてくるから」という意味の解らない理由で宿泊を拒否される。
どうにか、島内にある別の宿を取る事ができたはいいが、他の宿泊客は一癖も二癖もある者ばかり。
更に島は嵐によって、外界から孤立してしまう。
そんな中、宿泊客の一人が、まるで予言をなぞったかのような状況で死んでいるのが発見される。
それは、人為か、祟りか、運命か。
果たして宇津木幽子の遺した予言は的中してしまうのか……。
と、こんな感じであるが、面白そうだと少しでも思ったのなら、ただちにブラウザバックして『予言の島』自体を読むべきである。
ここから先は、なるべくネタバレしないように書き進めるが、勘のいい人は色々と気がついてしまうかもしれない。
できれば、一切の予備知識なしで読むことをお勧めする。
そんな訳で、この作品を読み始め、筆者がまず最初に感じたのは「気持ち悪さ」であった。
因みに、どこが気持ち悪かったのかは明言しない。ネタバレに繋がるからだ。
しかし、読めば大抵の人はかなり早い段階で、ある違和感を覚えるはずだ。
そして、澤村伊智先生の他の作品を読みなれた人なら「この人、こんな気持ちの悪い文章を書く人だっけ?」と首を傾げるはずだ。
決して読みにくい訳ではない。しかし、気持ち悪い。引っ掛かる。だが、その違和感の奥に潜むものの正体までは解らない。
後半になるにつれて、その違和感は露骨になってゆく。
ああ、何かおかしい、絶対に何かやってる、でも、それが何なのか解らない。どんな意図があるのかまで解らない。
そして、最後の最後で真相が明かされたとき、筆者は大爆笑してしまった。
澤村先生は、本当によくこんな面倒臭い小説を書いたものである。
誤解のないように言っておくが、ここで言う“面倒臭い”とは『書くのが面倒臭い』という意味だ。
『難解で理解しにくい』という事ではない。
むしろ、作品の驚きどころは至ってシンプルである。話の筋も解りやすい。
しかし、数多のハードルをクリアしなければ、そのオチは絶対に成立しない。
まさに、綿密な計算の上になり立つ超絶技巧である。
実は筆者も、ほぼ同じ仕掛けの作品を書こうとしたことがある。
しかし、あまりの面倒臭さに匙を投げて結局書いていない。
そう。この作品は思い付いたところで、小説を書くのが下手くそな奴には絶対に書くことができないのだ。
その点では、テンプレを使って類似の作品を量産できちゃう“なろう系”とは最もかけ離れた部類の小説であろう。
まさにプロの技である。
もちろん、面白い小説を書くのに技術なんてものは必要はない。むしろ下手に文章力だの技術だのと言おうものなら、たいてい鼻で笑われる。
そして、なろうに蠢く海千山千のこしゃまくれた分析家たちは、流行がどうのこうのポイントがなんやかんやと宣うに違いない。
それは、恐らく正しい。そこに異論はない。
しかし、一方で、技術がなければ描けない面白さも確実に存在する。
筆者も腕を磨いて、あの匙を投げた作品に、いずれは再トライしたいところである。