Chapter 26 誓い
1
「……寒くないか?」
「うん、大丈夫……」
「身体、動きそうか?」
「……もう少しかかりそう……」
相変わらず自分の膝の上に置かれたままの愛の衣服。内タオルだけを手渡した。けど、恐らく愛は自分の身体をそれで覆う事すらままならないのだろう。
後ろから聞こえてくるぎこちない音がそれを物語る。愛を強制転送するなら、今が最大のチャンスだ。けど、そんな事が自分に出来るはずが無い。
「……その、俺がここに居て怒らないのか?」
「彰人こそ…… あんな酷い事言って別れたのに……」
止まる会話。愛がそこに居る事によって溢れそうになる色々な思い。それが上手く言葉に出来ない。
「怒ってない…… けど、正直辛かったよ。愛は、俺を守ろうとしてくれたんだろ?」
それでもまとまらない思考をそのまま強引に口から押し出す。
「――けど、それが分かってたから余計に辛かった。俺はもうあんな思いをしたくない。もう、自分だけで背負い込もうとしないでくれ」
「彰人は優しいね。でも私はそれに甘えてたんだと思う。自分がやりたいことばかりで、それに彰人まきこんで…… 自分が現実世界の人にとって何なのかは分かっていたはずなのに…… だから私と一緒にいると彰人は不幸になっちゃうよ…… 今だって――」
力の無い掠れた声。
――違う。俺は不幸なんかじゃない!
居たたまれない感情が弾けるのを感じて、愛の言葉を遮るように口を開く。
「不幸だなんて思わない。俺は愛と出会って色々な事に気づいた。だからここに居るんだ。愛と出会わなかったら、今頃、何もできずに、この事態をウィンドウ越しに見てるだけの奴だった。姉貴や、お袋の思いにすら気づかないまま。だから――」
「でも」
愛が自分の言葉を遮る。それを無視して自分の言葉を溢れだしそうな感情に任せて重ねる。
ここで全てを言いきってしまわなければ、永遠にその機会は失われる気がした。
「俺は、俺の意思でここに居る。俺だって『こっちの世界』の人間だ! その俺が君は『人』だと宣言する。君は『何か』じゃない。俺にとって『一番大切な人』なんだ!
だから愛が何かを成したいと望むら、俺はその先が見たい。君の隣で君が紡ぐ未来を見届けたい。それが俺の望む物と一緒だと確信があるから。
それがあの時と変わらない俺自身の意思だ。だから巻き込んだなんて思わないでくれ。お願いだから。
俺は愛と一緒に居たいんだ!」
一瞬の間。愛の驚いたような呼吸音が聞こえる。
「……馬鹿…… それじゃ告白を通り越して、殆どプロポーズだよ……」
嗚咽交じりの掠れた声。
愛の言葉に思わず顔が熱くなる。けど、後戻りなどもはやできない。
「そうだな…… それでいいよ」
格好のつかない言葉。頭がオーバーヒートしていく。
「馬鹿だよ…… 彰人は…… 問題山積みなんだよ? 分かってるの? 私と彰人は違うんだよ?」
震える声が聞こえる。
「分かってるよ。それでも――」
唐突に自分の背に感じた温もり。思わず身体がビクリと震えた。それによって遮られた自分の言葉。その温もりは圧力を増しながら範囲を広げる。愛の身体が自分に預けられたのだと悟った。
「ありがと……」
リアリティーの増した愛の素肌が自分に触れ、震えている。頭が真っ白になりそうな感覚。崩壊しそうな自制心。何かが満たされていく。この瞬間を永遠にしたい、と言う願いが心を占領する。
けど、そのためには先に進まなければならない。愛の安全を確保し、さらに彼女の願いを叶えたい。
頭を埋め尽くす煩悩に抗い次の言葉を紡ぐ。時間が限られているのだ。次にやるべきことを決定しなければならない。
そして何よりこのままでは、自分の脳がクラッシュしてしまいそうだ。
「こっちに来た本当の理由を教えてほしい。俺にもやれることあるよな?」
――彼女には彼女の意思がある――
あの男が言った言葉。
愛の性格を考えれば、彼女が父親から逃げるためだけにこっちの世界に来たとは思えない。愛は何かをしようとしている。そしてきっとそれはフロンティアにとって重要な事だ。
――君ならきっとこの世界とフロンティアを
「うん。でも、身体が動くまで…… あと少しだけ、こうしてたい…… いいよね?」
2
「多層レーザー通信?」
「うん。屋上の待機している三機の降下兵が、二つずつ装備してる光学兵器を通信に並列処理で使うの。そうすればワンクロックあたりの桁数が、二進法で六桁増やせる。理論上は今の速度の最大二の六乗倍、一二八倍での転送が可能になるはず――」
背中に先まで感じていた温もり。愛の声と共に聞こえてくる着替えの音。それらが自分の思考能力を極端に奪っているうえに、愛の言っている事が高度過ぎてよく分からない。
今更ながらに自分に手伝えることなどあるのだろうかと不安になってくる。
「――発電衛星の兵器利用の可能性。彼等が本気でそれを行うとしたら、あまり時間は残されてない。それでも一人でも多くの人をTusukuyomiに転送しなきゃなならない。いいえ、全員を間違いなく安全に送り届けたい。
そのためには転送速度を上げるしかない」
彰人は首を大げさに横に振り、思考の再活性化を試みた。
転送速度を上げれば、助かる命は多くなる。愛の言っている事は正しい。
けど愛の父親は言っていた。『すでに最速の方法がとられている』と。愛のサイバースキルは相当なものなのだろう。それでも、フロンティアが総力を挙げて導いた結論を超えるなど出来るのだろうか。出来るとすれば何かそこには大きな欠点があるはずだ。
「問題点は? それと俺は何を手伝えばいい?」
「問題点は色々ある。けど、一つ一つ説明するには時間が足りない。彰人に手伝ってほしい事はお父さんの説得。それと力仕事」
「分かった…… ってお父さんの説得!?」
思わず声が裏返る。瞬間的に浮かぶ愛の父、葛城 智也の顔。
――てか、俺、愛の父親に『愛の説得』を頼まれてなかったか?
なんだか非常に複雑な状況になってしまった事実を今更ながら認識する。彼にとってはまさにミイラ取りがミイラになって帰って来たような状況だろう。
「私のお父さん苦手?」
急に自分の視界の前に飛び出し、顔を覗き込んできた愛。年齢に似合わない子供っぽい笑みが懐かしい。久しぶりに見る自分をからかう時特有の表情。
「あ、いや……」
思わず言葉に詰まる。
「しっかりしてよね? 今回の説得の方が、私をもらいに行くときよりは簡単だと思うよ?」
「いっ!?」
愛の言葉に思わず出た悲鳴。
「だって、そういう事でしょう? さっきの」
「……」
完全に言葉に詰まってしまった自分を見て笑う愛。けど、それは何処かホッとしたような笑みに変る。そして
「やっぱり彰人は彰人だね」
と愛は呟いた。
「何だよそれ……」
「さっきの彰人、凄く格好よかったよ? けど、ちょっと不安になった。この一年で彰人が変わっちゃたんじゃないかって。変ったとしたらきっとそれは自分のせいなんだろうなって思った。けど彰人はやっぱり彰人のままだなって思って安心した……」
「なんか、格好悪い方が俺らしいって聞こえるぞ? それ」
「ううん。そう言う訳じゃないけど…… けど、さっきのは格好つけすぎかな?」
愛の言葉に頭を掻き毟る自分を見て、愛は再び笑った。けど、直ぐにその表情は改まったものにかわる。
「さっきの返事、今ここでするね。彰人が真剣に伝えてくれたんだもの。私も自分の言葉で答えないと」
そう言って、大きく息を吸い込んだ愛。
「私も彰人と一緒に居たい。
……本当はね、何となく彰人がここに来るような気がしてた。だから、彰人がここに来た理由も想像がつく。お父さん、ああ見えて以外に行動が読みやすいから。
けど、それでも、彰人がいてくれた事が嬉しかった。
彰人はいつも私が一番望んでいる事を感じてくれる。そしてそれを支えてくれる。今回もそう、『父に頼まれてる事』よりも私の思いを優先してくれた。
でもそのたびに大変な事に巻き込んで、このままじゃ彰人を本当に失ったちゃうって思って怖くなった。私はただ彰人に嫌われるのが怖かったのかもしれない。だからいっその事自分からって……
でも、もう迷わない。彰人の気持ちが分かったから。彰人の思いを受け止めて私は、私が願う未来を全力で叶える。だからこれからも私に力を貸して。ずっとずっとこの先も。彰人がいれば、私は前を向いてられる。これからも。
私も彰人と一緒にいたい」
愛がすっと手を差し出してきた。それを握り、そっと引き寄せる。そして短い言葉を紡ぐ。静かに、けど確かな意思を込めて。
「約束する」