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Chapter 16 多重理論分枝型 生体思考維持システム


1


 多量の細かい穴が規則的に空いた金属製の床と天井。それを照らしだす無機質な白い照明。それらが永遠と延びる廊下。歩くと天井と床の穴が視覚的な錯覚を誘発し、酔いそうになる。


 しかも、不自然な気流が絶えず発生しているこの空間は、寒い上に空気は異常に乾燥し、とにかく居心地が悪い。


 十五度に調節された空気は極限まで湿度と粉塵が取り除かれ、僅かにでも発生した粒子が空間を漂わないように、気流が上から下へと強制されている。天井から噴き出た空気が網目構造の床へと吸い込まれる仕組みだ。


 施設の大半がクリーンルーム化されている。施設全体が精密機械の集合体だ。


 自分達も下着すら身に着ける事が許されず、上から専用の服を一枚羽織っているだけだ。まるで入院患者のような恰好。


 この施設の環境は『人』のためにあるのではない。全ては神の名が与えられた量子コンピューターのために存在するのだ。


 長大な弧を描く廊下。全面ガラス張りとなっている内側の壁。その向こうに広がるドーム状の空間は異常に広い。


 床一面に描かれた幾何学的な信号ラインを、眩いばかりの光が流れていく。


 その光が集まる中心に聳える巨大な塔。表面を覆う発光素子が、複雑な信号伝達経路を可視化する様は、いつ見ても圧倒される。


 設置当時、従来の半導体集積回路網を用いたスパコンに、異次元の差を見せしめ、世界最速を誇った量子コンピューター『Amaterasu』。


 フロンティア内で起きる全ての事象を演算し、現実世界と変わらない解像度で再現する。そこに生きる二五万を超える魂の営みすらも。


 正しく人によって創造された『神』だ。フロンティアの全ては彼女によって存在しているのだから。


 この光景を初めて見る者はたいてい立ち止まり、Amaterasuとそれを取り巻く空間を暫く眺めるものだ。


 見た目の派手さも一つの理由ではあるが、それ以上にフロンティアに対する複雑な思いがそうさせる。


 親しい者の魂があの巨大な機械の中に存在しているのだ。


 けど、千葉は違った。殆ど口を開かない彼。もともと、口数が多い方では無いが、それでも訊きたい事は山ほどあるだろう。


 気を使っているようにも見えない。現に自分がメイと共に現れた時には、空気の読めない質問を浴びせられたのだ。おかげで『一号看護措置中』と屈辱的な言葉を自らの口で言う羽目になった。


 にもかかわらず、彼は殆ど周りの光景に興味を示していないかの如く、口を開かない。この施設の駅に着いた時もそうだ。


 施設専用に作られた駅。ここで降りる者の目的はおのずと限られる。駅に降りるために席を立った瞬間、集中する人々の視線。千葉はそれに眉一つ動かさなかった。


 さらにその後に待ち受ける腹立たしい身元調査を終えた後も、愚痴の一つも言わないのだ。


 こ慣れていると感じた。恐らく彼はこの施設に来るのは初めてでは無い。そしてここに来てそれが確信に変わる。


「千葉、お前、ここに来るの何度目だ?」


 気を使う理由は無い。彼もこの後に及んで嘘をつく気もないだろう。それは彼のあから様な態度を見れば分かる。


「六回目だ」


 と、やはり、あっさりと答えた千葉。


「結構な頻度で来てんだな」

「ああ、お陰でバイトで稼いだ金、全てここに払ってるようなもんだ」

「なら何故、俺をわざわざ呼び出した? ガイドは必要ないはずだ」


 その言葉に千葉が立ち止まる。そして身体ごと自分に向きを変えた。


「お前、フロンティアで逢わなきゃなんねぇ奴がいるんじゃねぇのか?」


 千葉の言葉に身体が強張る。


「……」

「おせっかいだってのは、分かってるつもりだ。けどよ、ずっと気になってたんだ。あの時、結局、俺も間に合わなかったしな。


 フロンティアで葛城に会ったんだよ。たまたまな」


「……え?」

「あいつ、思いつめた顔してた。もう、随分逢ってねぇんだろ?」

「けど、それは――」


 千葉が言葉を途中で遮る。


「俺にはどんな事情があんのかわかんねぇ。まぁ、想像はつくけど。


 でもよ、ちゃんと話したほうがいいんじゃねぇか? そりゃ、あのときゃ色々あり過ぎて無理だったかもしれねぇけどよ」


 言葉が出ない。


「まぁ、ここまで来て、お前がこのまま帰るってなら、俺にはもうどうすることも出来ねぇよ。後は好きにすりゃいい。悪かったな」


 歩き出す千葉。瞬間的に渦巻く葛藤。


 ダイブルームへと消えていく千葉を、ただ見つめる事しかできない。一人残された無機質な廊下で彰人は途方にくれた。


2



 整然と並ぶ通称『箱』。皮肉を込めて『棺桶』と表現する者もいる。フロンティアと現実世界を繋ぐ装置であるのと同時に、『人によって創造された死後の世界』へと旅立つ者が納められる棺でもある。


 科学は肉体から魂を分離する術を『人』に与えた。けど、感情の上で未だ受け入れられていない。


 『死を受け入れられなかった者達のなれの果て』と言う意味を込めて、『死霊』とフロンティアの者を呼ぶ人もいる。


 『科学に対する人の倫理』『生命の尊厳』、様々な疑問を投げかける装置は『人が作った神』に抱かれ今も存在し続ける。


 そして一ヶ月後、『人』は『その神』に命じるだろう。『全てを隔離し、世界の消滅を待て』と。


 目の前では千葉が、『箱』に身を横たえようとしていた。その彼に向って話しかける。


「その…… ありがとな」


 千葉がチラリと自分に目を向け、口元に笑みを作った。


「うまくやれよ」


 その声が聞こえた直後、透明なボックスカバーがスライドし、彼の箱が閉められていく。


 床に広がる幾何学的な信号伝達経路を流れてきた光が、彼の箱を包み込むように広がった。


「たく、おっせかいな奴」


 呟いたその声は、もう千葉には届かないだろう。


 自分も箱の中に身を横たえる。視界に並ぶインフォメーション。箱の中での正しい姿勢を伝えるのと同時に、『気分を落ち着かせろ』などと言う理不尽な命令までもが表示されている。


 閉まり始める透明なボックスカバー。自分は閉所恐怖症ではないが、それでも本能的な恐怖を僅かに感じる。この瞬間が嫌で、二度とダイブシステムを使わない者もいるほどだ。


 刻々と表示内容を変える視界のインフォメーション。


 感覚リンクテストが始まるのと同時に視界に走るノイズ。続いて耳鳴り。視界に並び始める『OK』の文字。


 口の中には変な味が広がり、表現のしようのない異臭が鼻をつく。全身を電気が走るような痺れが走りまわった。


 三半規管への干渉が始まると、景色はグルグルと回り始め、たまらず吐き気を催す。全行程の中で一番これが嫌いだ。


 ようやく、チェック項目の全ての表示が緑色に変わり、『Sense Link depth Test, All Green』と表示される。


――超深度ダイブを開始します。貴方様の最終コマンド入力をもって、規定に基づく全てのリスクを理解し受け入れたと見なされます――


 頭の中に感情の宿らない声が響き渡り、待機状態となるウィンドウ。同時に表示される入力するべき最終コマンド。


 この面倒なシステムは万が一の時、会社側の保身に役立つのだろう。


 彰人は表示された最終コマンドを頭の中で読み上げた。


――Start Maximum Depth dive


 『コマンド承認』の意を伝えるメッセージと同時に視界の全てが虹色の光に包まれ、それは爆発するかのように唐突に弾ける。同時に感じる独特の耳鳴りと、瞬間的な全身の痺れ。


 だが、それらは直ぐに消え失せ、『Amaterasu』が空間法則を支配する世界へと意識を導いていく。


 『箱』の中に充満する独特の機械の臭いは木の香りへと変わり、心地よい風が流れる感覚が全身を包む。


 目に飛び込んでくるウッドデッキに設けられた木製のテーブル。その向こうに広がる木々に囲まれた湖。北欧の森林地帯をモチーフにしたプライベート領域。母のセンスの良さを再認識させられる。


 そして感じる懐かしさ。この風景は現実世界で、家のリビングに飾ってある『母がお気に入りだった絵』そのものだ。


 ネットワークを介した携帯端末を使用してのダイブとは、やはり明らかに異なる。


 この世界はこんなにも綺麗だっただろうか。過去にビッグサイエンスの超解像度ダイブシステムを使ってダイブした時よりもさらにリアリティーが増してる気がする。


「驚いてるようね? システムは常に更新されてるんだから当然でしょう? あんたがここに、超深度ダイブするの何年ぶりだと思ってるのよ」


 不意に声を掛けられ、反射的に振り返る。そこには腕を組み、自分を見つめる姉の姿があった。


「ああ…… そうだな」


 茶色く染め上げた長い髪を片手で軽く掃いながら歩いてくる姉。


「でも、そろそろ来るころだと思ってた。いいえ、遅すぎるくらい――」


 姉は言いながら母似の大きな瞳を細めた。


「――それにしても、本当に久しぶり。少しは男っぽい顔になったじゃない」

「そっか? 最後に会ってからまだ一年くらいしかたってないだろ?」

「馬鹿、携帯端末使ってのダイブじゃ、私から見たあんたは『積み木の塊』にしか見えないの。動きもおかしいし」

「それはこっちから見ても同じだよ。むしろ世界全部が『積み木の塊』だ」

「分かってんだったら、月に一度は超深度ダイブシステムを使いなさいよね。こっちには選択権ないんだから」

「確かにな…… 俺もそう思ったよ」


 言いながら姉から視線をそらす。


「こんな風に話すのも久しぶり。正直、もう無理なんじゃないかって思ってた時期もあったぐらい。けど、貴方変わったと思う。愛の影響かな?」

「……かも、しれない……」


 そらした視線がさらに落ちる。


「愛に逢いに来たんでしょう? 愛もきっとあなたに逢いたがってるはずよ。本人の口から聞いてはいないけど」

「……え?」

「愛を見てれば分かる。でも、まさか親友が、現実世界の男に惚れるなんてね。それが自分の弟だって言うんだから」


 姉の言葉に思わず心臓が止まりそうになる。


「愛がそう言ったのか?」


 努めて冷静を装いつつ聞き返す。が、


「女の感」


 あまりの根拠の薄い姉の言葉に溜息をついた。


「で、貴方はどうなの?」

「いっ!?」

 姉に顔を覗き込まれ、言葉に詰まる。


「どうなの?」

「い、行き成り何を訊くんだよ!」


 と溜まらず叫ぶ。


「冷やかしとか、興味で訊いてるんじゃないの。すごく重要な事。貴方の返事次第で私の取るべき行動が変わってくる」

「……え?」


 顔を上げると言葉通り、一切の冗談めいた表情の無い真剣そのものの姉の顔があった。


「……分からないよ」


 自分から出たあまりに情けない答え。


 姉が深いため息をつく。


「貴方を愛に逢わせる訳にはいかない」


 姉から出る信じられない言葉。


「何でだよ!」


 感情に任せて叫ぶ。


「言ってる事と、態度が滅茶苦茶。どうやら、まんざらでも無さそうね。まぁ、いいわ。


 いい? 貴方と愛とでは住む世界が違う――」


 その言葉に思わず目を見開く。愛が別れ際に放った言葉そのものだ。


「――愛と貴方の間には大きな障害があるの。分かるでしょう? 逢えば二人とも傷つく。それでも本来だったら私が口出す事じゃない。どのようか結果になってもそれは成長する中で自然な事だと私も思う。


 けど、今はそんな悠長な事は言ってはいられない。もし貴方が本気だと言うのなら、貴方は決断しなければならなくなる。そして、その決断は引き返すことのできないもの」


「言ってる事がよくわからないよ……」

「そうだな。やや抽象的すぎる。私から説明しよう」


 唐突に会話に割り込んだ男性の声。意味が分からず辺りを見渡す。


 途端に現れる光のサークル。愛の転移で何度も見た光景。光の粒子を纏いながら現れる人影。


「……うそ、でしょう?」


 姉が呆然とした表情で呟いた。


「え? 誰?」


 その言葉に姉が頭痛でも感じたかの様に頭を押さえる。


「まぁ、現実世界への私の影響度などこんなものだ」


 現れた三十代ぐらいの男は、言いながら自嘲気味な笑みを浮かべた。


「『多重理論分枝型 生体思考維持システム』の生みの親にして、現フロンティアの代表。つまり、愛の父親よ。貴方、本当に何も知らないのね」

「げっ!」

 姉の言葉に思わず悲鳴を上げる。


「でも、あ、いえ、ですが、何故、代表がわざわざこのような所に……」


 妙に緊張した態度で姉が、裏返った声を上げる。


「現実世界じゃ、マッドサイエンティストだの、キチガイだの散々な言われ方をされている私だけどね。これでも一応、人の子なんだよ。


 一人娘の事となると、どうもね。だから、一度くらい娘から笑顔を奪った男の顔を見ておこうと思ってね。


 君がダイブしたら分かるようにしておいたんだ。プライベート領域へのアクセスも含めて、若干の職権乱用気味ではあるけどね」


 言いながら、口元の笑みをさらに強調した彼。自分の顔が引きつるのを感じる。


 外見の年齢とあまりに不釣り合いな瞳。見かけの年齢よりも大分歳を重ねていると直感する。口元の笑みとは裏腹に、その瞳はこちらの心の内までも読み取られてしまうような輝きが宿っているのだ。


 それは、愛がたまに見せた瞳の輝きに近い。その瞳から目を離してはいけない気がした。


 努めて、彼の瞳を見返す。


「……なるほど。良い目をしている。なかなか興味深い」


 彼はそう言うと、頷いた。


「――さて、まずは君が何処まで理解しているかだな。フロンティアを取り巻く現状を。それによって私が何処から説明すれば良いのかが異なる。残念ながら私には、そんなに多くの時間がある訳ではない。こう見えて多忙なものでね」


 自分を真っすぐと見つめる瞳。そこからは一切の感情が読み取れない。


 試されていると感じた。


 最速で頭の中身を整理するために瞳を閉じる。彼から視線をそらさずに集中する術はそれしか思いつかない。何よりも景色を一度遮断することによって落ち着きを取り戻せる。


 彰人は瞳を開けると、自分が知っている事を話し始めた。


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