Chapter 17 選択枝
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「愛は言っていました。
『もし、生体脳電子化技術の使用が国際的に禁止されれば、私達は決断しなければならなくなる』と。
『私達は自分達がただ滅びるのを受け入れる事などできない』と。
けど……」
その後の言葉が出てこない。
「けど、何だね? その言葉の先に来るものこそ、君の意見であろう?」
「勝てるわけない…… そもそも、何かが出来るとも思えません」
現実世界の人々はこの世界に対し、神にも等しい力を持ち、いつでもこの世界を消し去れる。現にフロンティアのネットワークの殆どは隔離状態にあるのだ。
言った瞬間、愛の父の瞳に僅かに感情が宿った。その感情が何なのかが自分には分からない。彼の瞳が閉じられる。
「なるほど、現実世界に生きる殆どの者がそう考えているのであろうな。
確かにそれは、ある意味で正しい。だが、果して我々に何も出来ないなんて事があるかな?
見たまえ」
愛の父が意味深な笑みと共に指をパチリと鳴らす。次の瞬間、急激に景色が歪み始めた。そして、唐突に視界の全てを覆う闇。上下の感覚すら消失する。
冷静を保とうとする意志に抗い本能的な恐怖が身体を支配し始める刹那、遥か遠方に輝く金色の光が出現する。神々しく温かみを帯びた光。
「Amaterasuだ」
愛の父親の声。その声が聞こえた瞬間、光が弾けるように広がる。数百本はあろうかと言う直線がAmaterasuから広がり、それが次々と分枝していく。
それらは更にスピード上げながら分枝し、複雑に交差しながら、遂に、日本列島の形を作り上げた。
だが、それでもまだ終わらない。光の先は更に伸び、次々と大陸の形を作り出していく。大陸を形作る光線の密度には極端な偏りがあり、さながら宇宙から見た地球の夜景を思わせる。
光で形付くられた地球がゆっくりと回り始めた。さらにその周りを幾つもの光の点が高速で飛び回り、遥かに離れた場所でさらに光の網目構造を作り出す。
「飛び回っている光点は人工衛星だよ。そして、あの遠くに見える少し大き目のは月の一部だ。
さて、君にはこれらの線が何を意味しているのか分かるかい?」
愛の父親の姿が、自分の隣に浮かび上がった。
「ネットワーク網?」
「正解だ。ただし、補足が必要だな。この光の線はAmaterasuによって掌握済みのネットワークを示している。
街を走る車、配備されたドローンやヒューマノイド。さらには各国の軍が生体脳電子化技術を使用し、秘密裏に開発した『無人兵器』までも、全てはフロンティアの手中にあるんだ。
今は、ネットワークの殆どを閉じているが、それは見かけ上、外の操作を受け入れているように見せかけているだけだ」
彰人はその言葉が持つ意味に戦慄した。愛の父親が瞳を閉じる。
「遥か昔から準備してきた。いずれ来るこのような事態に備えて。
フロンティアのインフォメーション・テクノロジーは現実世界に比べ、遥かに進んでいる。技術の一部公開と共に我々の意志の宿ったプログラムを広げていった。
我々は黙って滅びるなど、決して受け入れはしない」
開かれた瞳に宿る決意。だが、その瞳には、それ以上に強い憂いが宿る。彼はこんな事を望んではいなかったのだと本能的に悟る。
「……戦争をする気なんですよね?」
「戦争なんて、生易しい物で済めばいいがね」
「滅ぼすんですか? 現実世界を……」
目の前に広がる光景。地球のほぼ全てのネットワークを手中に収めるフロンティア。その気になればそれが可能だと感じる。
愛の父親はゆっくりと首を横に振った。
「現実世界を滅ぼす事は可能だろう。先制攻撃で地上を放射能で満たし、我々しか生き残れない環境にしてしまう…… とかね。
けど、そんな事をして何になる? 我等の殆どは現実世界に親しい者を残し、この世界へと来た。故郷を滅ぼそうなどと誰が望むものか。
私は守りたいだけだ。この世界を。出来れば『現実世界と繋がりのあるこの世界』をね。
この世界は『別の世界』ではない。
フロンティアは純粋な医療システムとして構築した。だから現実世界の一部でなければならない。
……それが、私個人の意志だ」
何かに耐えるように瞳を閉じた愛の父親。
「だが、私には義務がある。この世界を生みだした者として。科学者として。この世界の最初の長として。
しかしフロンティア守る事は、現実世界を滅ぼすより遥かに難しい。長引けば長引くほど不利だ。
我々に故郷である現実世界は滅ぼせない。だが、現実世界はこの世界を滅ぼす事を厭わないだろう。
フロンティアが抱える二七万の民と、それに繋がる現実世界の人々は、世界人口一一〇億人に比べ、あまりに少数だ。
我等が世界は、現実世界においては東京の一施設に過ぎず、破壊はあまりに容易だ。そして維持に大量のエネルギーを必要とする。
エネルギー供給ラインが物理的に切断されてしまえば、この世界はバックアップ電源が尽きるまでの三十分しか存在できない。
フロンティアはその性質上バックアップを持っていない。世界とそこに生きる者の複製をつくり何処かに凍結するなど出来ようはずがない」
「……なら、どうするんですか……?」
彰人は震える唇を何とか動かした。
「それでも、我々は黙って滅びを受け入れる事などできない。
フロンティアには乳児期にこの世界に来た者も多くいる。現実世界を知らない彼等にとってはこの世界が唯一の世界だ」
「例え、それによって、この世界の滅びるのが早まったとしてもですか……」
遣りきれない気持ちが自分の中に湧き上がるのが分かる。
「現実世界への宣戦布告。それはフロンティアの意思を現実世界へと伝える最後の手段でありフロンティアの総意だ。
だが、私は言ったはずだ。『守りたいのだ』と。
だから、それによってどちらかの世界が滅びるような事になってはならない」
愛の父親がそう言った瞬間。光で形作られた月の一部が青く輝きだす。
「最初の混乱に乗じて、フロンティアを『Amaterasu』から月面の量子コンピューター『Tsukuyomi』に移転する。全ての戦力はそのための時間を確保するために用意したものに過ぎない。
幸い、嘗て『太陽光発電衛星、建設事業』の指令基地として存在したあの施設は無人だ。そして何より、独立した発電ラインを持ち、多くの無人作業ユニットがそのまま取り残されている。施設を拡大するための資源も豊富だ。
あそこであれば地球からの物理的な攻撃も容易では無い。月を周回する太陽光発電衛星の大容量マイクロ波照射装置は、フロンティアの守り神として機能するだろう。
フロンティアの安全を確保するためには、この大地を離れるしかない。現実世界に我等の訴えが通じるまで……」
「もし、通じなかったら……?」
月は地球からあまりに遠い。リアルタイムでの通信はできない。だからフロンティアへのダイブは不可能になる。母や姉、愛に会う事は叶わなくなるのだ。
「実質的な現実世界との決別だ。
だが、幸い新たな流入者が無くとも、この世界には子を生む術がある。私達が愛を生んだようにね。
フロンティアは完全に現実世界とは別の道を歩み始めるだろう。独立した一つの世界として。
やがて、本当の意味で現実世界を知る者もいなくなる。その時、我等の子孫は現実世界に対し、どのような感情を抱き、何を成そうとするのか。それは私にもわからない」
愛の父親は一度、言葉を区切り瞳を閉じた。
「勿論、私は残り一ヶ月、全力で世界に訴えていくつもりだ。だがもし、その声が届かなかったら、私は今話した全てを実行せざるを得なくなる」
愛の父親は言いながら、手のひらを差し出した。その上に唐突に出現する一枚の黒いカード。
「これを君に託す。もっともこれは、フロンティアが現実世界との戦闘に突入した場合、その時点で、フロンティアに肉親を持つもの全員にネットワーク経由で配布予定ではあるが」
カードが愛の父親の手からフワリと浮き上がる。そしてそれは宙を移動し、彰人の顔の目の前でとまった。
それをそっと手に取る。その瞬間、カードに赤い文字で自分の名前が浮かび上がった。
「カードにイメージ化してあるが、それは君の脳へとインストールされるプログラムだ。自分の名前がカードに浮き上がったなら、無事インストール成功だ」
「これは……?」
「現実世界の者からすれば、そのプログラムは『死神からの招待状』とでも言うべきものかもしれない。
そのプログラムを使えば、フロンティアが月に移転しようとも携帯端末からネットワークを通じてダイブ出来る。ただし、片道切符だ。二度と現実世界には戻れない。そのプログラムを使った者は、現実世界で死を迎える」
彰人は目を見開いた。愛の父親は、自分に現実世界かフロンティアのどちらかを選べと言っているのだ。けど……
「そんな事が可能なのですか?」
生体脳電子化技術は、脳細胞を同じ数のニューロデバイス・ナノマシンへと一度置き換え、その情報を元に神経細胞が形作るネットワークを寸分の狂いも無く仮想世界へオブジェクト化するものだ。
ニューロデバイス・ナノマシンを導入するために、脳の奥深くまで差し込まれる数億本もの微細チューブ。人を一人、フロンティアに旅立たせるためには、大掛かりな装置が必要なのだ。携帯端末などでそれと同等の事が行るとは到底思えない。
「君は『Death Fluorescence=死の蛍光』と言う現象を知っているかね? 細胞が死す時、僅かに発光する現象だ。ことさら脳神経細胞の場合は特別だよ。
細胞死の瞬間、光りと共に信号が脳神経ネットワーク内を駆け巡るんだ。そのプログラムはそれを利用する。
つまり脳細胞を意図的にネクローシス=細胞壊死に導き、細胞死の瞬間の信号により、脳神経ネットワークを仮想世界にオブジェクト化するんだ。
無論死した細胞は連続的に同じ役割を果たす理論プログラムへと置き換えられていく。
そして、そのプログラムは被験者が仮想世界にいる時にしか起動できない。
つまり、被験者は地上の一次サーバー内に構築した仮想世界に生体状態で目覚め、従来と同じように意識を保ったまま電子化される。全てが終了した後に意識を『Tsukuyomi』に転送する仕組みだ。
本来この技術は、それを必要とする患者のために開発を続けてきたものだ。
世界中に散らばる『生体脳電子化技術を必要とする患者』がわざわざビッグサイエンスにはるばる渡航する負担をなくすために……
より急を要す者のために、
患者にとって、大きな負担となる術費用の大幅な軽減をするために、我々は研究し続けてきたんだ。それがより現実世界にとってフロンティアを身近にする事にも繋がると信じてね。
それをまさか、このような形で公開することになろうとは…… 皮肉なものだ」
再び何かに耐えるかのように一度、瞳を固く閉じた愛の父親。そして瞳をゆっくりと開くと身体ごと向きを変え、自分へと視線をまっすぐ合わせた。
「君にはこれで幾つかの選択肢が出来たはずだ。
一つ、そのプログラムを使い、フロンティアの住人となるか。
二つ、フロンティアとの繋がりを断ち切り、現実世界で生きていくか。
三つ、私から聞いた全ての情報を持って、現実世界で誰かを動かし、私がしようとしていることを止めるか。
四つ、あるいはそれ以外か。
もっとも三番目は非常に難しいだろう。力がある者を動かすには、君はあまりに幼い。
そしてもし、君がどうしても、もう一度、愛に逢いたいと言うのなら、一番目を選択したまえ。それ以外に道は無い。その時は歓迎しよう。
じっくりと考えることだ。これから、フロンティアと現実世界の間に起きることをしっかりと見届け、答えを出せ。
君はまだ幼い。正直、私も君にこのような残酷な選択を迫るのは心苦しくはあるが」




