悲しい目覚め
久し振りの長編になります。どうぞよろしくお願いいたします!
「……このまま目を覚まさなければいいのに」
ベッドの上にいるヴィオラの耳に、聞き慣れた声が届いた。愛する婚約者アダムの声だ。
昏睡状態からちょうど意識を取り戻したヴィオラは、婚約者の冷たい声に、思わず全身が強張るのを感じた。
身体を起こしたくても、上手く力が入らない。ヴィオラは目を開けることすらできないまま、ただベッドに身体を横たえていた。
女性の囁き声が、アダムと同じ方向から聞こえる。
「ヴィオラの身体が冷たくなるのも、時間の問題じゃないかしら? もう三月以上も眠り続けているのですもの」
微かな笑みを含んだ声に、ヴィオラは思わず息を呑んだ。その声も、忘れるはずのない声だったからだ。
(マイヤ……? 貴女は親友だと思っていたのに。それに……)
さっき耳にしたアダムの言葉は自分に向けられたものだと気付き、ヴィオラの背筋が凍りつく。まるで悪夢を見ているようだった。
(三月も眠っていたなんて、いったい私は……?)
マイヤは、このカリスティード王国の王立魔術師団に所属するヴィオラの同僚だ。そして、アダムは王立魔術師団の三人の副団長の一人であり、ヴィオラの婚約者であるのと同時に、彼女の上司でもある。
ヴィオラは我が身に起きたことを必死に思い出そうとしたけれど、記憶がばらばらに散らばっているような感覚があり、さらに混乱するばかりだった。
マイヤの声に、アダムが頷く気配がある。
「ああ、そうだな。……そうすれば君と一緒になれる」
「ふふっ、そうですね」
チュッ、と湿ったリップ音が、ヴィオラのすぐ側から聞こえる。
(アダム様……マイヤ……。いつの間に、あなたたちは……)
婚約者と親友の裏切りを知って、ヴィオラは頭をがんと殴られたような衝撃を受けていた。耳を塞ぎたかったけれど、ヴィオラにはそうすることすら叶わなかった。
その時、部屋のドアが開く音がした。よく通る低い声が響く。
「兄上。貴方を庇ったせいで瀕死の重傷を負ったヴィオラ様の前で、どうしてそんなことが言えるのですか……!?」
怒りに震える弟の声に、アダムが舌打ちをする。
「カイル、いたのか。いつものように部屋に引き籠っていればいいものを」
溜息を吐いたアダムは、開き直ったようにカイルに言った。
「だが、仕方ないだろう? この三月というもの、ヴィオラに最善の治療は受けさせた。だが、彼女はこの通り、目を覚ますこともない。それに……」
アダムがヴィオラの首筋に触れる。冷たい指先の感触に、ヴィオラの心臓が跳ねた。
「ほら、ここを見ろ。ヴィオラの光属性の加護は、もう薄れて消えかかっている」
アダムが触れた場所には、光の高位精霊からの加護を示す紋様があることを、ヴィオラもよく知っている。彼は淡々と続けた。
「俺は、次期魔術師団長を目指している。当然、妻には俺に相応しい才能のある女性を迎えるつもりだ。今のヴィオラには、もうたいした魔法も使えないだろう。それに、このクローヴェン侯爵家の次期当主となる俺を、こんなヴィオラが支えられるとは思えない」
「……兄上に相応しいのは、マイヤ様だと仰りたいのですか?」
冷ややかに返したカイルに、アダムはマイヤと視線を合わせると頷いた。
「まあな」
マイヤがアダムの耳元でひそりと囁く。
「彼が、あの『呪われた闇属性』の弟君ですか?」
「ああ」
マイヤはカイルを値踏みするように見つめた。黒く長い前髪に目元まで覆われたカイルの表情は見えづらかったけれど、彼が激怒していることは明らかだった。マイヤはカイルの前で軽くカーテシーをすると、顔を上げて口を開いた。
「初めまして、カイル様。……カイル様もおわかりでしょう? 万が一ヴィオラが目覚めたところで、魔術師として復帰するどころか、自分の身体すらままならないと思いますわ」
マイヤの言葉を聞きながら、アダムは眠り続けて瘦せ細ったヴィオラにちらりと目をやると、すぐに不快そうに目を逸らした。ヴィオラのやつれた顔からは生気が失せて、陶器のようだった白い肌は幽霊のように青白い。綺麗なまま残っているのは、月光を紡いだような彼女のプラチナブロンドの髪だけだ。
「アダム様はヴィオラに庇って欲しいと頼んだ訳でもないのに、勝手にこんな身体になった彼女と結婚だなんて。将来を嘱望されるアダム様には……いえ、どんな男性にとっても酷だとは思いませんか?」
皮肉っぽい笑みを浮かべたマイヤの前で、カイルは悔しそうにぎゅっと拳を握り締めた。
「僕はそうは思いません」
マイヤの顔が不機嫌そうに歪む。アダムはカイルを鋭く睨んだ。
「なら、お前が代わりにヴィオラを娶ればいい。まあ、彼女が目を覚ます可能性はほとんどないだろうがな」
真っ向から彼を睨み返したカイルに向かって、アダムは続けた。
「カイル、決して俺の足を引っ張るような真似はするなよ。お前のような弟がいるせいで、ただでさえ俺は肩身の狭い思いをしているんだからな」
アダムとマイヤが部屋から出て行くのを無言で見送ってから、カイルはヴィオラのベッドに近付くと、ベッド脇に膝をついて彼女の手をそっと握った。カイルの手の温かさに、ヴィオラの目に自然と涙が滲む。
「ヴィオラ様、申し訳ありません」
兄の非礼を詫びるように小声で呟いたカイルは、握ったヴィオラの手に力を込めて回復魔法を唱えた。淡い霧がヴィオラの身体を包み込む。
カイルは祈るように続けた。
「どうか、どうか目を覚ましてください、ヴィオラ様」
カイルの頬を伝った涙が、ぽたぽたとヴィオラの手の甲に落ちる。その時、ヴィオラの目からもすうっと一筋の涙が零れた。
「……!! ヴィオラ様!?」
ヴィオラの涙に気付いたカイルは、はっと立ち上がると彼女の顔を覗き込んだ。




