プロローグ 1
穏やかな春の日差しが世界を照らし、校舎へと続く道を歩く少年・少女を祝福するかのようだ。
現在この道を通る男女は、汚れ一つない茶色の制服に身を包んでいる。
希望に光る瞳、未だ緊張を隠し切れない態度、どれをとっても初々しい。
互いに談笑していたり、ときたま見かける難しい顔は、課題の話や授業の相談などを行っているのだろう。
そんな希望溢れるいかにも新入生然とした集団の中に、正門の前でガックリと肩を落とす少年と、その少年を呆れたように見つめる少女がいた。
「はぁ......なんでこんなことに」
「まだ言ってるの?もういい加減諦めたらどうかしら」
「あのなぁ、そもそもお前ーー」
「そんなことはいいから早く行くわよ。こんな所で油を売っている暇はないわ」
明らかにやる気ゼロといった少年に対し、少女はやる気満々といった態度だ。
少年は男性にしては少し長い黒髪が目元まで伸び、姿勢が悪く少し曲がった猫背、身長は175cmくらいだろうか。その身長に見合わない細身は、彼の頼りなさを一層表している。
春先であるが首元にはマフラーがまかれている。
それに対する少女は、ピシッと伸びた背筋、吊り目で少し勝気な目元が印象的だ。しかし、後頭部で結っている桃色の髪と凛とした表情が勝気といったイメージからはずれ、自信に溢れるといった印象を与える。
正に対極に位置するような二人だった。
「ほら、行くわよ」
「うわぁ、ちょっと待てよ」
抵抗する少年に構わず、少女は少年の手を引っ張って校舎までの道のりを小走りで行く。
この少女に対する抵抗が無意味だと知っている少年は、諦めてされるがままになっていた。
どうしてこうなった。
そんなモヤモヤとした気持ちを抱えながら、現在の学校に通う原因となった出来事を思い起こしていた。
◆
この世界に存在する3大陸が一つアスラ大陸。
そのアスラ大陸における強国と呼ばれる国が4つある。
その内の一つにノーザン帝国がある。
ノーザン帝国はアスラ大陸統一に覇を唱える国家である。
他国に侵攻をしては勝利を修め、その国土を広げていった。
その歴史から帝国は優秀な人材を多く輩出してきた国家である。
それは、一重に15歳になる国民に入学が義務付けられた、各地に存在する帝国学院の存在が大きい。
帝都にあるボールドウィン伯爵家。
ノーザン帝国成立以来500年の歴史を持つその家には、今年15歳になる一人の少女がいた。
名を、エレナ・ボールドウィン。
明るい桃色の髪をポニーテールにした、凛とした雰囲気を持つ少女だ。
そんなボールドウィン家の居間では、現在壮絶な口論が繰り広げられていた。
「なんでこいつと一緒に入学しなきゃいけないのよ、お兄ちゃん!」
「聞いてくれエレナ、お兄ちゃんは心配なんだ」
「何が心配なの?」
「エレナは学院に通ったことが無いだろう、だからーー」
「大丈夫よ!私も、もう15歳よ。礼儀作法くらいちゃんとできるわ」
「違うよ、そんなことは心配していない。エレナが何処へ行ったとしても恥ずかしくない、立派なレディーだということは僕が一番知っているよ」
「お兄ちゃん」
「エレナ」
二人の周りには、バラでも咲いているかのような桃色の空間が広がっているように見える。
「それで、なんで俺はここに呼ばれたんだよ」
そんな空間に嫌気が差したのか、二人の対面の椅子に腰かける少年はその会話に水を差す。
不機嫌さを隠そうともしないこの少年は、ユージン・テイラー。
「ああ、忘れていた。ごめんよ、ユージン」
「は?」
少年の言葉でその存在を思い出したかのように、エレナと呼ばれた少女と話していた男は、爽やかな笑顔を向けてくる。
その男の名は、ローラン・ボールドウィン。
立てば190cm近い長身に、程よく筋肉がついた体躯。
赤みががった桃髪はエレナと兄弟であることを証明している。
「実はね、今日はお願いがあって来てもらったんだ」
ローランは先ほどの雰囲気から一転、真剣みを帯びた表情をしている。
彼の雰囲気からこれから話す内容が冗談ではないだろうことが分かる。
ユージンはその空気を敏感に感じて、椅子から体を起こし、姿勢を正す。
「君には、エレナと一緒にノーザン学院に通って欲しいんだ」
「それはなんでだ、ローラン。移民は学院への入学は義務では無いだろ。そもそも、今更学院に通う必要が俺にあると思うのか?」
「まぁ、そんな必要はないだろね」
ローランはあっさりとユージンの言い分を聞き入れた。
ユージンは既に冒険者として生計を立てていたための言葉であったが、あまりにもあっさり肯定されたため、頭上には疑問符が浮かんでいる。
「はぁ?意味が分かんねぇ。なら、なんでだよ」
「君にはエレナの護衛として学院に通って欲しいんだ」
ユージンはローランの言葉に目を丸くする。
それも当然だろう。学院への入学の話から、何故か名門ボールドウィン家の護衛に指名されているのだ。
ローランがエレナを心配する理由は言われずとも分かる。
ボールドウィン家の兄弟の仲の良さは帝都でも有名である。
まるで、兄弟というよりも仲睦まじい恋人のようであると。
その兄が、学院へと通う妹を心配するのは当然の流れだろう。
かつてローランは自分がエレナと同じ歳であれば、学院でも常に一緒にいると言っていた。
「なら、余計に俺が学院に通う必要ないだろ」
「そうよ、お兄ちゃん。自分の身くらい自分で守れるわ」
エレナは心外だと言わんばかりの表情でローランに詰め寄る。
だが、貴族が学院に護衛を付けて通うことは何も不思議なことではない。
貴族は平民に比べて裕福な暮らしをしている。しかし、メリットばかりでも無い。
政敵である貴族から命を狙われる危険性があるからだ。力の無い貴族の子弟などは格好の的であろう。
そんな貴族の子弟が一人で通う学院は、雇われの暗殺者や傭兵にとって格好の標的である。
学院側も貴族の子弟を守るため四苦八苦しているが、如何せん相手が暗殺者などでは対処のしようもない。
そのため、通学中に護衛を付ける貴族は多少いる。
多少であるのは、貴族も自らの力を誇示するため、護衛を付けないことが多いからだ。
しかし、エレナとユージンには、護衛の必要性を否定する根拠があった。
「なぁ、S級冒険者様に歯向かうようなバカがいると思うのか」
エレナは若干15歳にして冒険者の最高峰であるS級冒険者である。
S級冒険者は皆天才と称される実力者の中でも、化物連中の集まりである。
そんな、化物に挑むバカがいるはずがないだろうとユージンは言っている。
エレナは、大好きな兄が自分の実力を過小評価していることが許せないのだろう。顔を真っ赤にして、ローランの胸をポカポカ叩いている。
なによりも、ユージンが疑問に感じたことはーー
「そもそも、護衛対象よりも弱い奴が護衛はないだろ」
そもそもS級冒険者冒険者に護衛を付けるということがありえなかった。
必要か否かの議論は置いておくとして、化物と評される連中の護衛ができるのは、同じ化物のみであるとユージンは考える。
そして、その存在が目の前にいることも知っていた。
「お前がやればいいじゃないか、大切な妹を守るんだろSS級冒険者様」
名案だとばかりに、ユージンが呟く。
SS級冒険者。
その称号を持つ冒険者は、この大陸にほとんどいない。
同じ冒険者、化物と評されるS級冒険者をして白旗を挙げざるを得ない存在だ。
SS級を関する冒険者は、人智を超えた超越者であるとさえ言われる。
そしてローランこそ、その数少ないSS級冒険者である。
各国の騎士団、魔道士団にも匹敵する戦力の人物である。
そんな人物でなければS級冒険者の護衛など不可能だろう。
しかし、そんなユージンの考えを見越していたのかローランは首を力なく横に振る。
「僕じゃ学院内までは護衛できないだろう」
「まぁ、でも一回学院に聞いてみればいいだろ。それで、断られたらーー」
「既に学院には打診してみたんだけどね、断られてしまったよ。冒険者ギルドも必要な時に僕がいないと困るみたいでね」
「既に交渉済みかよ…」
哀愁が漂う表情は、本当に残念そうであった。
「じゃあ、この話は無しだな。俺は帰るよ」
そそくさと席を立つユージンにローランは待ったをかける。
「待ってくれ、頼むよ。この通りだ」
席に座ったままであるが、ローランは頭を下げていた。この状況を他に見ていた者がいれば、驚きを隠せなかっただろう。SS級冒険者が軽々しく頭を下げるなどあり得ないからだ。それだけ、この世界でSS級冒険者の肩書は重い。
「はぁ…なら本当のことを言えよ。俺は、適当な理由で騙されてやるほど、お人好しじゃ無いからな」
「分かったよ。本当のことを言うから」
「ようやくか、早くしてくれ」
ローランは席を立つと、ユージンの隣へと移動してきて耳元に顔を近づける。
(態々俺に近づくってことは、エレナには聞かせたくない類の話なのか?)
つまらない理由であれば直ぐに帰ろうと考えながら、ローランの話に耳を傾ける。
「実はね、エレナがの護衛を頼みたいというのは本当のことなんだ」
「どこかの貴族にでも狙われてるのか?」
「ああ、エレナはあの年でS級冒険者だろう。その力を欲しがる貴族がたくさんいるんだ」
「それくらいなら、あいつだけで対処できるだろ」
「いや、駄目なんだ」
「はぁ?あいつより強い同年代のやつなんていたか?」
「いや、いないよ。でも、もしも声をかけてきた誰かがエレナに惚れてしまったらどうするんだい?」
ユージンは我が耳を疑った。たった今ふざけたことをローランが言った気がしたからだ。
先ほど真剣に本当の理由を話すと言った男がそんな馬鹿なことがあるはずが無い、と頭を振る。
自分の空耳だろうと無理やり納得させる。そして、念の為、万が一聞き間違えだった可能性を考慮して聞き返す。
「悪い、もう一度言ってくれるか」
「仕方ないね、簡潔に言うとエレナに近づこうとする輩を排除してほしいんだ」
ユージンは頭痛を堪えるようにこめかみを抑えて揉み解している。
ローランのシスコン具合は知っているつもりだった。しかし、ユージンの想像よりも重症であったようだ。
「帰る」
一言残すと、ユージンは再び椅子を立ち上がり、歩き始める。
しかし、ローランも諦めきれないようで、扉に手をかけるユージンの背に必死に手を伸ばし声をかけてくる。
「待ってくれユージン!悪かった、ちゃんと給金も払うから」
「付き合ってられるか!」
そういうと、ユージンは今度こそ、扉を開けて部屋を出ていこうとする。
「分かった!なら、学院でなら剣術を習うことを許可しようじゃないか!」
今まさに、部屋から出ていこうとしていたユージンの足が、床に縫い付けられたかのように動かなくなる。
ユージンとローラン二人は見つめ合う。それは、先ほどのエレナとローランのような恋人達が醸し出すような甘さのある空間では無い。二人の間には、妙な緊張感が生まれていた。
「今、剣術を学んで良いって言ったか?」
「うん」
「どういう風の吹き回しだ?あれだけ俺の邪魔をしてきたくせに」
ユージンはこれまで剣術を学ぼうと数々の流派の門を叩いてきたが悉く断られてきた。
それは、ユージンに剣の才能が、見込みが無いという理由では無い。
とある理由からユージンに剣術を学ばせたく無かったローランが邪魔をしていたからである。
賄賂を渡したり、SS級冒険者の権限を利用したり、脅したりといった具合で。そのため、どの流派にもユージンは受け入れてもらえなかった。
そして、道場や流派がダメなら、と冒険者ギルドの門も叩いてみたがこれも完全に無駄足だった。
冒険者ギルドこそがSS級冒険者であるローランの畑であるため、誰一人まともに相手をしてくれなかった。
ならばと、ユージンは挫けること無く、他の冒険者とパーティーを組んで、剣士や闘士、そこから技術を盗もうと考えた。
しかし、ローランもそんなことは想定内だったのだろう。
どれだけ頼み込んでも、お金をちらつかせようとも、パーティーを組んでくれる者はいないという始末だった。
そんな今までユージンの邪魔しかしてこなかったローランが許可を出している。この状況に違和感を感じたユージンは険しい表情で聞き返していた。
「ちょっとね、事情が変わったんだ。学院内でなら、剣術を学ぶことを許可しよう。その代わり、学院内でのエレナの護衛は引き受けてもらうよ」
これは、ユージンとても魅力的な提案だった。学院限定という制限はついているが、学びたいと思っていた剣術を好きに学べるのだ。これほど喜ばしいことはない。
思案に耽るユージンはローランの表情の変化に気づかない。先ほどまでの爽やかな笑顔から、口元は弧を描きニヤッとした表情に変わる。計画通りと言わんばかりだ。
ユージンが振り返る頃には、元の爽やかな笑顔を張り付けていた。
「本当にいいんだな?」
「ああ、大丈夫だよ。但し、今まで通り冒険者や各流派からは学べないからね」
「分かってるよ」
思わず、にやけてしてしまうのは仕方がないだろう。
ユージンは昔からローランのように強い剣士になりたいと思っていた。そのためには、剣術を、戦うすべを学ばなくてはならないのだ。我流では直ぐに限界が来る。しかし、どこかの流派に入れば歴史ある技術を会得できる。この違いはとても大きなものだった。
一度大きく息を吐くと、緩んだ表情を引き締める。
「分かった、その件は引き受ける。ただ......後からやっぱりこの件は無しで、とか言うのは無しだぞ」
「分かっているよ。今この瞬間から、契約は有効だよ。なんなら、契約書でも書こうか?」
「いや、その言葉だけで十分だ」
言質は取ったとユージンは拳を握って喜びを露にする。
だが、ローランはまだ大事な事をユージンに伝えていなかった。そして、気が緩んだ瞬間を狙ってローランが声をかけてくる。
「そうだ、ユージン」
「なんだよ?」
「そういえば、入学金とか授業料とかの必要経費は自分で払っておいてね」
「はぁ?……そういうのは普通、経費としてそっち持ちだろ」
「残念ながら、剣術を学ばせてあげること、これが最大の経費なんだ。というわけで、そこら辺は自分でよろしくね!」
ローランは自分のお願いが了承されると、爆弾発言だけを残し逃げるように去っていった。
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