720話 まず気になるのはそこでした
一方で、立彬は物申したい顔である。
「雨妹よ、あの駆け姿はいけない。もっと大人しく走りなさい」
なんと雨妹が走っている姿に物申された。
今回の雨妹は三輪車で来ていなかった。徒歩だと細い路地などで近道ができるため、場所と時間帯によっては三輪車よりも早く着くことが多いのだ。それで雨妹は自分の足で爆走して来たわけだが、それが立彬の目にはしたなく映ったようである。
「はぁい、ごめんなさい」
ちょっと急いた気持ちのせいでムキになって走ったな、と自分でも思うのだけれど、「大人しく走る」というのはどのような走り方であろうか? 少なくとも歯を食いしばって必死に走る姿ではないことはわかる。
――もっときれいで速い走り方を考えるか。
雨妹が心の中にそう書き留めたところで。
「話があるなら、こちらに来い」
立彬が話を聞いてくれるそうで、裏門から早速移動する。
案内されたのは、以前も使わせてもらった庭園の東屋だ。しかし立彬も戻ったばかりで、お茶の用意などはさすがに間に合っていない。かといってこれからの話の内容がわからず、道すがらで誰かにお茶を頼むこともし辛いようだ。雨妹としてはお茶で持て成されたいわけでもないので、喉を潤すのは持参している竹筒の水で十分である
「それで、今度はなんだ?」
雨妹がぐぴぐぴと水を飲み終えるのを待ってから、立彬が問うてきた。さてどこから、というかどれから話をするべきだろうか?
「色々あるんですけれど、まずは敏さんのことですかね? こちらは緊急かもしれませんし」
雨妹がこのように答えると、立彬が呆れて息を吐いた。
「話が複数あるのか? 何故にお前は厄介事を多く持ちたがるんだ」
立彬の中でこれから話される内容が厄介事と決定されているようだが、概ね事実なので雨妹としても濡れ衣だと抗議しにくいところである。そんな微妙な心境を押し隠し、雨妹は口を開く。
「えぇっとですね、私たち掃除係の皆で、皇后宮の酒宴部屋を片付けることになったんですよ」
雨妹は結局最初からということで、皇后宮に出入りするきっかけを話し、その際に野猫と会って相談があると持ち掛けられたこと、それで会ったのが卓敏という女性であったことをざっと話す。
ここまでで立彬が真っ先に興味を示したのが、酒宴部屋の片付けについてだった。
「全て片付けたのか? 皇后陛下は本当に酒がお嫌いだったのだな」
「ええ、一部は酒宴部屋の用途を残すにしても、これまでの内装は撤去しています」
驚く立彬に雨妹はそう説明する。
以前の酒宴部屋は、酒が嫌いな人が「酒好きとはこういうことだろう」という想像で作った部屋だと言われれば、雨妹には納得できるようにも思えた。けれど立彬はそもそも、皇后宮の酒宴部屋というのを見たことがないのかもしれない。
――太子の宦官が皇后宮に入るのって、外聞悪いもんね。
前回皇后宮に押し入ったのは、皇帝付きに扮していたから出来たことだ。だから立彬に皇后宮の詳細な実態がわからなかったとしても無理はない。それに今更あのどぎつい酒宴部屋について教えることもあるまいと、雨妹は微笑んで誤魔化しておく。
「これまでの酒宴参加者からの要望があるため、酒宴を全く開かなくなるわけではないそうです。けれどそれだって、もっと軽い会になるでしょうね」
「希少な酒とつまみが振舞われるとあって、皇后派だなんだということを越えてでも、参加したがる者はおろうな」
酒宴の今後の展開について立彬が大きく頷いているのを見て、雨妹は「あれ?」と首を捻る。
「ひょっとして酒宴は、皇后陛下にとって重要な伝手作りなんですか?」
「当然だ、酒好きの執着を舐めたらいけない。たまに損得を捨てて趣味に走るからな」
立彬がやけに実感のある意見を述べるが、太子宮か近衛でそのような人物が身近にいるのだろうか? けれど確かに酒好きならば、手に入り辛い異国の酒などをちらつかされれば、ホイホイと釣れてしまうだろう。
もしかするとそれもあって、皇后は酒宴をこれまでのやけっぱちで開催するものではなく、自分で維持管理できるものに変えようとしているのだろうか?
けれどまあ、そこは雨妹が気にすることではない。
「とにかくその片付けの中で、相当数の部屋の装飾品やら家具やらが撤去されたのです。今後、皇后宮からそれらがいくらか売り物として流れるでしょう。掘り出し物を探してみるのも面白いかもしれませんよ?」
「ふむ、それは母上が興味を持つやもしれぬ」
雨妹のお得情報に、立彬が面白そうに目を細めた。




