709話 忠告の立ち話
こうして無事、掃除係が整えた酒宴部屋のお披露目ができたところで、雨妹はお暇する頃合いである。
「雨妹、せっかくですのでお茶でもいかが?」
「は……」
けれどそこへ呉からお茶の誘いを受けて、雨妹は内心で反射的に身構えた。
呉は基本的に善良な人なのだとは思う一方で、これまでの言動からわかるように、自分の望む方向へ強引に事態を持って行こうとする人でもある。それ故に、単純に「一緒にお茶をしながら談笑したい」というだけのことである可能性が高くとも、これもなにか裏があるのではと勘ぐってしまうのだ。
そんな呉について、皇后宮の害であった馬を叩き出すことに成功したことで、「宮荒らし」の異名を格上げすることに成功して、「宮の救済者」と呼ばれるようになっている。
――破壊と再生って紙一重だもんね。
人材も使い方次第ということだろう。そしてやはり、他の宮でもあの馬の存在は害悪だと思われていたのがわかる。
そんな経緯で変わろうとしている今の皇后宮に必要なのは、呉のような多少の傷を容認してでも改革を進める力だ。ある程度皇后宮の運営が上手く行くようになれば、穏やかな運営に路線変更となると考えられる。その時に呉が穏やか路線でも才能を発揮できない人である場合、おそらく違う筆頭女官が派遣されるのだろう。
まあそこは雨妹が関与する話ではないとして。
呉の誘いをどうするかだが、生憎というか幸いというか、雨妹はこの後に用事があった。
「大変光栄なお誘いですが。実は私はこの後、人と会う約束があるのです」
「そうですか。用事があるのであれば、仕方ないですね」
雨妹が申し訳なさそうに告げると、呉はあっさりと引いた。ここで「わたくしを優先しないとは何事か!」とは言わない辺り、呉とはちょっと押しの強いところに目をつぶれば、仕事をしやすい上司であろう。
「そういうわけですので、燕女史もこれにて失礼いたします」
雨妹は二人への丁寧な礼の姿勢と共に、部屋を出たのだが。
「雨妹、少し待て」
何故か燕女史が追いかけてきた。
「なんでしょうか?」
雨妹は「なにか忘れていた用事があっただろうか」と考えを巡らせながら、立ち止まって振り返る。
「一つ忠告しておこうと思ってな」
すると真面目な顔で燕女史がそんなことを言ってきた。
「忠告、ですか?」
「うむ、少しこちらに」
一体なにについての忠告だろうかと不思議に思う雨妹に、燕女史が人目を避けるように移動した先で語るには。
「全く絡まない可能性も大いにあるが、話しておく方がいいと思ったのだが。叶賢妃に絡まれないようにするのだ」
「賢妃様ですか?」
雨妹とてその存在は知識としてあるものの、全く絡んだことのない人の名前が出てきたものだ。
宮女であれば新入り教育の際に「偉い人の宮には滅多な事でもない限り近付かないように」と教えられるもので、それはあの宮女の振りであった何静であっても同様の教育がされたくらいだ。なので最低限の知識はあるものの、正直雨妹にとってそんなもしかすると一生会わない可能性がある人のことよりも、掃除で出入りする身近な妃嬪たちの噂話を収集する方が楽しく、仲間たちとも話が盛り上がるわけである。
――どんな人だったっけ?
つまり、脳内を捜索しても「叶賢妃」の言葉が出てくる気配がない雨妹はひっそり唸る。それにしてもなんの因果か、皇后と、四夫人の内の三人までとつながりを持ってしまっており、叶賢妃はその四夫人の残る一人である。正直、こんな達成結果は要らないと雨妹は思う。
「どのような方なのですか?」
首を捻っている雨妹を見て、燕女史は少し声をひそめて告げた。
「叶賢妃はこれまで四夫人でありながら、皇太后陛下によって表舞台での活躍をことごとく潰されてきたお方である。それが今菊祭りに向けて賢妃宮の動きが派手になっているため、穏やかではないな」
「ほうほう」
それはまた、確かに騒動の気配がする。




