707話 動く勢力図
白百合の看板を宇たちが入った店では見ていないのは、苑州が落ち目も落ち目な領地であることと、大偉が恐ろしいことで、余程の度胸がないと商人も逃げてしまうのが要因だろう。
なにしろ大偉は臣下に降りて大公となったとはいえ、皇后唯一の皇子であることには違いなく、武の腕前も高いときている。下手なことをすれば己の首が物理で飛ぶことは間違いがない。そしてそれを帳消しにするような旨味が、苑州にあるわけでもなし。故に今の苑州に援助しようという店は、大博打を打つような心意気を必要とする。すなわち、白百合の看板に逃げるような店とは真逆であると言えよう。
――こっちも半端者はお断りだから、別にそこはいいんだけれどさ。
だとしても、賢妃は皇后に下剋上しようという気持ちを隠しもしないのか。それは元々持っていた野心なのか、はたまた皇太后がいなくなってから欲をかいたからなのか? そこでも思い描く人物像が分かれてくるのだけれども。
「賢妃と皇后って仲が悪いの?」
こちらもあれこれと考えていたのか、静が純粋な疑問をずばりと発したのに、飛が眉を上げてみせた。
「そいつは難しい問題だな。皇后陛下のお気持ちはわからねぇのが正直なところだ。あのお人は好きも嫌いも、皇太后陛下の意見を復唱するばかりだったからな。けれど、叶賢妃の方は皇后陛下が大っ嫌いだろうことは想像がつく。賢妃様は皇后陛下と歳も近く、若い頃からなにかと張り合っていたらしい」
「まさに目の上の瘤ってことか」
この飛の意見に、宇はそう呟く。どうやら元々叶賢妃にとって皇后とは、気にくわない相手ではあったようだ。
「叶家って、皇后に喧嘩を売れるくらいに家格が良いの?」
「そこがややこしいところでさ」
今度は宇からの疑問に、飛がそう答える。
「叶家は歴史も金も発言力もある家でして。家格自体は皇后陛下のご実家よりも叶家の方が上なんですよ。あの皇太后陛下がいなければ、叶家が金に物を言わせて皇后の座にいてもおかしくはなかったでしょうよ」
「そりゃあ、皇帝も相手をするのが面倒だろうね」
これを聞いて、宇は本音を隠さず吐き出す。
歴史と発言力を持っており、それを誇示しているということは、政治に口出しをする気が満々であるということに他ならない。そんな面倒な家の娘を抑え込むために、元々太子選びの順番である伊家、皇太后からの繋がりである燕家、そして新勢力として目が離せない黄家が並び、四夫人の末席が叶家に割り振られたわけだ。
――その賢妃の気位は高かったなら、そりゃあ腹が立つだろうねぇ。
こちらも歴史があるらしい燕家はまあ飲み込めるとしても、伊家と黄家に先んじられるのは、叶家としては政治的観点でも微妙に腹が立つところであろう。
「賢妃と皇后って、実際に揉めたりした?」
宇の問いに、飛が「当然さぁ」と大いに肯定する。
「叶家もどうにかして皇后、いや皇太后陛下を蹴落としたかったんでしょうな。きな臭いこともたんまりとあった――なあ赤兎の婆よ」
ふいに婆と呼びかけられた赤兎は、運ばれてきた焼き団子の皿を静に差し出してから、鼻先に皺を寄せる。
「……あちらの腕は良くなかったな、金を出し渋るからだよ」
そしてぼそりと囁くようにそう述べた。
「しゃべった!」
焼き団子を受け取った静は、出会ってからずっと寡黙であった赤兎が珍しく声を発したことに目を丸くする。
――この赤兎って飛の先輩っていうか、師匠的な人かな?
宇は赤兎の今の台詞からそう推測する。
賢妃と皇后のことを考えると、思い浮かぶのは雨妹の立ち位置である。雨妹は前話した風だと、皇后の味方をするみたいであった。皇后は雨妹が生まれた直後から辛酸を舐めた原因であろうに、それを水に流すとは、全く心が広いというか。しかし皇太后には同情する様子を欠片も見せなかったので、恨みつらみがないということではないだろう。だがこれが宇であれば、いくら皇后に同情の余地ありとはいえ、なんらかのけじめを求めただろうから、やはり雨妹はお人好しだ。
とはいえ、これから菊祭りがやってくるというのに、百花宮はもう一波乱ありそうではないか。
――よかったね雨妹、後宮ドロドロ脳の出番だよ!
宇は今頃どこぞを掃除しているであろう中華オタク仲間に、心の中で声援を送るのであった。
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