688話 大反省会
「この程度の不調は修行だと思おうというのもあるが。煩わしさが減ったという利点もあり、それで積極的に治療する気になれずにな」
そう話す燕女史曰く、昔から女官として宮城とのやり取りをする場面が頻繁にあった。その際に、元々は燕淑妃に劣らぬ美貌の主であった燕女史であったので、うぬ惚れでもなんでもなく、彼女の気を引きあわよくば――と考える官吏が多かったらしく、そのせいで余計な手間をかけさせられることが多く、非常に面倒であったのだとか。
ところが甲状腺の病になったことで、容姿に影響が出てしまう。するとこれまで寄って来て騒ぐ連中が、さっと波が引くように減るどころがいなくなったそうだ。
――まあ、甲状腺を患った症状が、連中にはなにかに呪われていると思えたんだろうな。
前世でも昔、甲状腺の病の症状でそうした思い違いはあったと聞く。ところが燕女史はその思い違いについて、面倒が消えた利点と受け取ってしまった。なにしろ燕女史にとって大切なのは妹である燕淑妃のことであるので、己の容姿をどうこう言われることなど痛くもかゆくもなかったのだ。
それで苦しみと利点とが、燕女史の中で釣り合ってしまったわけである。
「いやいや、なんでですか!?」
思わず突っ込んでしまった雨妹としては、「なるほど、そうだったのか!」とは全くならない。
「そういう手合いがいるなら、宮城に行くのを他の人に任せればよかったじゃないですか!」
「けれど、やはり己で何事も確認しなくてはだな……」
雨妹が一番簡単な方法を提示するも、燕女史は面目ないという顔になりつつもまだそう言い張るのだから、なかなか頑固である。
――この人、そもそも仕事を他に任せられない性格か!
思えば後宮入りに関する燕女史側の話は、根本問題はそこであったように思う。けれどまあそこは宮の主に報告して、そちらからも叱ってもらうことにしよう。案外燕淑妃がやり過ぎなくらいに燕女史の心配をするのは、彼女のこういう所が幼少期から気がかりであったからではないだろうか?
雨妹がそんな風に考える間にも、陳は燕女史に問診をしていく。
「薬でどれだけ腫れが引くものかなぁ、長い目で見る必要がある」
「早く目立たなくなればいいですね」
「よろしく頼みます」
陳が雨妹とそう言い合いながら問診内容を木簡に書き付けていくのに、燕女史が頭を下げた。
今はひとまず陳があらかじめ予測して用意していた薬を処方し、この薬を飲み終えてからまた次の治療方針を考えることになった。医局に来ない場合には往診となる約束をしたので、燕淑妃宮の人たちが服薬を含め、よくよく注意して見てくれることだろう。
こうして無事に燕女史の診察を終えたところで、雨妹たちの帰りは燕淑妃宮から御者付きで軒車を出してもらえることになった。
その軒車で、まずは陳を医局へ送っていく。
「はぁ、やっと肩の荷が下りた」
大変疲れた顔の陳がそう言って医局へ帰る背中を、雨妹と立彬が二人で見送った後。
「雨妹よ、覚悟は良いか?」
「……はい」
立彬にギロリと睨まれた雨妹は小さく縮こまる。陳という防壁がいなくなったことで、これから立彬のお説教の時間が始まってしまうのだ。
「お前は私の心臓を止める気か? 己の首が惜しくはないのか? 皇后陛下の前でいきなり張美人の真似をし出すとは、なにを考えている!?」
「いや、ああまで思い込みをされていたら、いっそ利用すればいいかと」
「それで上手くいったのは結果に過ぎん! 加えて燕淑妃へ『幸運』などと言ったのも、かなり際どいわ!」
「なんというか、話の流れで励まさなきゃいけなくて」
怒る立彬に雨妹は一応言い訳を試みるのだが、御者に聞こえないようにヒソヒソ声なのが、その分怒りの籠り方がより明らかなので非常に怖い。自業自得だがとても辛い。
「お前の頭に詰まっているのはただの麦藁か? これまでどれだけ迂闊な言動が騒動を呼び込んだか、忘れたとは言わせんぞ」
「はい、仰る通りで、誠に申し訳なく」
雨妹はひたすら反省の気持ちを態度で示すべく、頭を下げ続ける。これで「早く終わらないかなぁ」なんて頭の片隅でも考えてはいけないのだ。そういうのを敏感に察するのが、この立彬という人なのだから。それに立彬が雨妹のことを心配してくれているのは、誰よりもわかっているのだ。
そして結果、雨妹が家に帰り着いたのは、暗くなろうという時刻であった。
家の前で戻るのを待っていたらしい楊が、げっそりとした雨妹の様子を見て心配そうにする。
「なんだい、上手く行かなかったのかい?」
「いえ、お説教されて疲れました」
「なんだ、元気じゃないか」
雨妹の答えに、楊が「紛らわしいんだよ」と呆れていた。




