表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
人形の  作者: 魚君 太陽
6/6

人形のいのち

「お帰りなさい」

 私は息を切らしながら扉を開けた。千枝は何時も通り私を迎えてくれた。心底ほっとした。幸せはまだ続いている。

「どうしたのです? そんなに息急き切らして。お酒の後の運動はよくありませんことヨ」

 千枝も幸せそうに笑っている。

 私は安心に任せて千枝を自分の体に抱き寄せた。

「アラアラ、甘えん坊さん」

 私たちはしばらくそのままだった。千枝は何も訊かずに私を宥めてくれていた。何とも情けない図である。友人には見せられない。

 私が落ち着くと千枝は訊いた。

「どうかしたのですか? 何かありましたか?」

 私は人形屋の人形の頭から聞いたことを話した。

「そうですか。その事実を知る人間は意外と少ないのです。人形がそれを口にしたところで、誰の益にもなりませんからね。だから知るとしたら家の外でしょう。アナタも知ったのですね。お可哀想に」

 千枝は沈痛な面持ちで私の手に触れた。暖かい。彼女は人間ではないだろうか。もしかしたら血が通っているのではないか。そんな戯けたことを思う。

「しかし、ワタクシは不幸にはなりません。アナタとの思い出があれば、ワタクシは何時までも幸せなままです」

 千枝は笑顔で言うが、これは精一杯の気遣いなのだと思う。思い出は重荷だ。それは千枝の不幸の種となる。幸福は何時だって不幸の種でしかなく、不幸の育った先には何もないのだ。

 私は猛毒を吐くような気持ちでそれを口にした。自分の無慈悲な舌を鉄板で焼いてやりたい。しかし、言わずにはいられない。

「ごめんなさい。そうですね。ですけれど、ワタクシは今、確かに幸福なのです。これ以上ないくらいに。だから、後は落ちていくだけなのですヨ」

 そんな悲しいことを言わないで欲しい。私だけが幸福に死んでいくなど耐えられぬ。どうか千枝にも幸福な死を。そう願ってやまない。

「大丈夫。大丈夫です。ワタクシはきっと笑って死ねます。それは確かです。アナタのことを思い出せば、不幸の中でも笑えます。アナタは何にも心配しなくでもいいのですヨ」

「心配だよ」

 千枝は笑顔で大丈夫ですと繰り返した。

「あの腕があります。ワタクシがアナタに差し上げたあの腕が。アレはワタクシが切り離した幸福です。アレがこの世界にある限り、ワタクシは不幸でありながら幸福であることが出来るのです」

 切り離した幸福。千枝が私にくれた小さな幸福。あれは私への気遣いだったのか。万が一、私が人形の真実を知ったときの為に残してくれた一つの安心。

 私は腕の仕舞ってある棚に近付き、引き出しを開けた。

 そこには確かに腕があった。これが彼女の幸福の結晶。触れればそこにはまだ体温らしき温もりが残っていた。千枝の命が、生命活動の名残りが、私への愛情が、私が注いだ千枝への愛情が、間違いなく残っていた。

 私は涙を流して腕を抱きしめた。そして後ろから千枝が私の体を抱きしめた。

 幸せだった。そこには一切の幸せしかなかった。

 私は絶望的な気分になって、涙をもう一筋流した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ