十二
配下の将である王黄と曼丘臣に再会を果たした韓王信は、何度か出撃を繰り返し、ある程度の戦果を得た。辺境の地を我がものとし、中原に領地を少しづつ増やしていく。彼はそれを自分のためにやっていたのだが、結果としてそれは匈奴を利することになっていた。
匈奴は韓王信の領地を、我が物顔で通過する。彼はそれにいまいましさを感じたが、抗議することはできない。友軍であるという理由はもちろんのこと、彼は息子と孫を人質に取られているのであった。この状況を打開するためには、交渉によって人質を取り返し、匈奴に替わるあらたな味方を探すしかない。
その機会は意外にも早くやってきた。戦陣から戻った王黄のもとに使者が現れたことにそれは始まる。使者の言上を聞いた王黄はその旨を韓王信に取り次ぎ、この時点から黄河より北の地は以前にもまして叛逆色に染められることになったのである。
「使者とは?」
興味を持ちながらも不安を禁じ得ない韓王信は、言葉少なに王黄に尋ねた。
「新たに任命された鉅鹿の太守の食客にあたる人物です。その人物が臣の食客と古くからの懇意でありましたので……」
「それで君のもとに話が舞い込んだというわけか。それでその者は何と言っているのだ」
「それが……」
「どうせ新任の鉅鹿の太守の言うことだ。帰順しろとか降伏しろとか言っているのだろう」
「それがそうでもないらしいのです」
王黄は言葉を濁し、そのために韓王信の興味と不安は余計にかき立てられた。その様子を察した王黄は周囲を憚りながら、さらに言葉を継ぐ。その言葉は韓王信の耳元で囁かれるように発せられた。
「新任の鉅鹿の太守は陳豨と申す者で、使者の話の内容ではどうも……淮陰侯の息のかかった者であるようです」
「…………!」
「お会いになりますか」
彼は、このとき淮陰侯の名に恐怖感を抱いた。
――ついに皇帝は北の地の鎮圧に彼を用いたのか!
観念したかのように彼は天を仰ぐ。
「王黄。君はよくもそんな落ち着いた態度をとっていられるな! 吾は怖い。どうして使者などに会っていられよう。追い返せ。追い返して我らは再び匈奴の地へ逃げ込むのだ。それしかあるまい」
王黄にとっては予想外の主君の反応であった。取り乱そうとする主君に対し、自分の言葉足らずの言上を後悔しながら、必死に取りなそうとする。
「どうかお心をおしずめください。臣の思うところでは、このたびの話は決して大王の不利になるものではありませぬ。使者にはぜひ会って、その話をお聞きになるのが賢明です」
「淮陰侯が、吾を討つのではないというのか。なぜそう言える?」
「淮陰侯がそのつもりであれば、すでに我々は滅ぼされています。そう思いませぬか?」
韓王信はそう言われて考えた。確かに淮陰侯韓信についての話は風聞に聞いたことがある。彼は敵と戦うにあたって詭計を用い、必要であれば不意打ちや夜襲も厭わない、と。つまり、戦争相手に対して正々堂々とした態度を持つことなど無意味だと考えている人物であるという噂。
しかし彼は過去に淮陰侯韓信と面識があり、その印象は決して悪いものではなかった。かつては武勲を譲ってもらった経緯もあり、詭計を好むと言われているが、実際に正攻法で戦ってもその実力は当代随一のものであるということを知っていたのである。
だから淮陰侯が戦う前に相手に降伏を迫るということは絶対にないとはいえなかったし、その逆に討つつもりがない相手に接触を求めることもないとはいえなかった。
「王黄。では君の言うことを信じて使者に会うこととしよう。だが話の内容によっては使者を斬り殺す。そして進言した君も同様に……わかるな!」
「わかります。お言葉のとおりに」
韓王信は恐れを心に抱きながら、使者を眼前に通した。これが紀元前一九七年のことである。




