十三
「韓王さまにはご機嫌うるわしゅう……」
使者はそんな型通りの口上を言葉にし、だらだらと時節の挨拶を繰り替えしてなかなか本題に入ろうとしない。韓王信はしかし、それを遮ったりはしなかった。使者が本当に言いたいことを聞くのが怖かったからである。
あるいは使者が用件を率直に言わないのも、言うのが怖いという事情があるかもしれないと感じられた。そうでなければ自分の反応をうかがっているのだろう。だとすれば、このたびの話はやはり、よほど深刻なものだと思われる。そう思うと余計話を聞くのはためらわれた。
「使者どの。君は吾のことを先ほどから韓王と呼ぶが、今の吾はもはや王ではない。強いて言うなら、もと韓王の信だ。知っての通り匈奴の将軍という肩書きもあるが……」
結局彼は使者の言上とあまり関係のなさそうなことから話を切り出した。しかしこれが話題を展開させる結果となる。使者は韓王信の言葉にうまく反応した。
「お話がありましたので言わせていただきます。実は私どもの狙いは、あなた様に韓王として復権していただくことにあります。つまり韓王さまにはさらに中原に進出していただき、私どもはそれに連動して挙兵したいと思っております」
「挙兵だと? 鉅鹿の太守はつまり……逆臣なのか? 吾と行動をともにしようというのか」
韓王信は目をぱちくりさせながら、使者に問いただした。彼としては嬉しい事態でもあり、同時に罠の危険を感じる事態でもある。
「お聞きください。我が主の陳豨は皇帝の信任厚く、それがために行為に多少の不可解さがあったとしても皇帝は疑いません。現在食客を集め、私的勢力の拡充に努めておりますが、なんの問題も起きておりませぬ。皇帝は陳豨がそうした行動をとる以上、鉅鹿の鎮撫に必要なことだと信じて疑わないのです」
「ほう……。それはわかったが、吾の聞きたいことは少し違う。吾は、その陳豨とやらが鉅鹿の太守などという重責を担いながら、なぜ叛逆したいと思ったのか聞きたいのだ」
「話せば長いことになります」
「構わぬ。ぜひ聞きたい」
使者は咳払いをした後、ゆっくりと話し始めた。
「ご存知のことと思いますが、かつて楚王であった現在の淮陰侯は陳で捕らえられました。敵将の鍾離眛を隠匿した罪を問われてのことと聞いておりますが、その実は将来起こりうる淮陰侯を核とした叛乱を未然に防ぐ目的です」
「ふむ。淮陰侯は軍事に秀でた男だから、彼自身の意思はともかく能力は削いでおきたいという皇帝の腹から出た逮捕劇だろう。皇帝は淮陰侯の功績のおかげでこそ皇帝になり得たというのに……ひどいことをなさるものだと当時吾も思ったものだ」
「我が主の陳豨は逮捕された淮陰侯が雒陽に護送される際、その守将として先導をなさいました。そこで二人は親交を深めることとなったのです」
「つまり……?」
「我が主陳豨の叛逆は、淮陰侯が使嗾したものです。淮陰侯は我が主の人柄を見込み、皇帝に推挙しました。そして時間をかけて戦略を練り……我が主が鉅鹿の太守に任命されるにあたってその計略を実行に移したのです」
「吾にもその計略に乗ってほしい、というのだな。確かに天下無双と言われた淮陰侯の軍事能力があれば漢王朝を転覆させることも可能だろう。して、吾に何をしてほしいのか?」
韓王信は、この時点で話に乗り気になった。使者には彼の目が輝いたように見えた。そして、周囲の側近たちには彼が理想の死に場所を見つけたように思えたのである。
「現在淮陰侯は手持ちの兵力を持っておらず、このため大規模な叛乱を自ら起こすわけには参りません。そこでその役目は我が主の陳豨が担うことになったのですが、せっかく起こした叛乱がやすやすと鎮圧されてはまずい。そこで韓王さまには陳豨が劣勢に追い込まれた際に機を見て兵を挙げていただきたい」
「ふむ」
「そういった争いが二度三度繰り返されていくうちに、皇帝はその性格上、我慢しきれなくなります。先日の匈奴に包囲された経験も忘れ、自ら鎮圧しようとするに違いありません」
「親征するというのだな。そこを討て、と? しかしそれでは話がおかしい。吾や陳豨が軍を統率して戦うより淮陰侯自ら兵を率いた方が確実だ。彼を首都から脱出させ、我らの軍に迎えた方がよいのではないか?」
「もっともなご意見ですが、それでは駄目なのです」
「ほう。なぜだ?」
「皇帝は淮陰侯を恐れ、敵対する軍にその存在が確認されれば絶対に戦いません。十中八九、逃げ出します」
「なるほど。そう言われれば確かにそうだ」
「よって淮陰侯は我が主と韓王さまには時間を稼いでくれればよい、とおっしゃっております。つまり皇帝を前線に引きずり出しさえしてもらえればよいと。必ずしも討つ必要はない、とも」
「では……」
「皇帝が首都を留守にした隙に、淮陰侯は独自に兵を集めて宮殿を襲い、皇后と太子を捕らえるおつもりです。その上で皇帝と決戦するのです」
「そうか……皇后と太子を人質に取られたのでは、皇帝も戦うしかないな」
韓王信は口に出してはそのような感想を漏らしたが、内心では驚愕を禁じ得なかった。あの若くて律儀そうな淮陰侯がそこまでの決意をしているとは……。
しかし、同時に快心の笑みを漏らさざるを得ない。
――さすがだ。完璧な作戦だ!




