07 魔石の使い道
満身創痍で、朝日荘へ戻った。
管理人室の、すり切れた畳の上に、咲を座らせて、俺は、救急箱を引っ張り出した。幸い、建物はまだ無事で、備え付けの消毒液と、包帯くらいは、残っている。
「……痛っ。……もうちょっと、優しく、できないわけ」
「我慢しろ。……化膿したら、それこそ、終わりなんだぞ」
咲の、白い腕に走った、一筋の爪痕。思ったより、深い。消毒液が染みるたびに、咲は、顔をしかめ、小さく、肩を跳ねさせた。
――この傷は、咲が、俺を庇って、増えた分も、ある。
そう思うと、巻いていく包帯の、一巻き一巻きが、やけに、重たく感じた。
◇
手当てを終えて、一息つくと、どっと、喉の渇きが、押し寄せてきた。
台所の、買い置きのペットボトル。残りは、もう、一本きり。しかも水道は死んでいて、補充のあてもない。
俺は、その最後の一本を手に取って、咲に差し出した。
「ほら、飲め。……汗、かいただろ」
「……あんたは」
「俺は、あとでいい」
「……はいはい。かっこつけちゃって」
そう言いながらも、咲は、ごくごくと、喉を鳴らして、半分ほど飲むと――残りを、ずい、と、俺に押し返してきた。
「半分こ。……こういうのは、分けるの。でしょ、管理人さん」
その、ぶっきらぼうな優しさに、俺は小さく笑った。ぬるくなった水が、渇いた喉にじんわりと染みていく。たったこれだけのことが、今は途方もなく、ありがたかった。
――これで、買い置きは、空になった。あとは、自分たちで稼いで買うしか、ない。
机の上には、今日の、稼ぎのすべて。青く光る三つの魔石が、ちょこんと並んでいた。
◇
「さーて、と」
いつの間にか、浮いていたベルフが、だるそうに、欠伸をした。
「初めての魔石も手に入ったことだし。……使い道を、教えといてやるよ。これ知らねえと、稼いでも、宝の持ち腐れだからな」
ベルフが指を振ると、宙に、半透明の、一覧表のようなウィンドウが、開いた。
【購買/強化メニュー】
【・飲料水(一本)……魔石1】
【・食料(一食分)……魔石2】
【・鉄の剣…………魔石15】
【・拠点強化:水道の復旧……魔石10】
【・拠点強化:電気の復旧……魔石20】
「魔石ってのは、こういう“買い物”に使う。飯も水も、装備も、拠点の修理も、ぜんぶ、これだ。……ま、見ての通り、何をするにも、魔石、魔石、だな」
俺と咲は、その一覧を、食い入るように、見つめた。
水、一本で、魔石一つ。食料、一食で、二つ。……ということは。今日稼いだ、この三つは。水と、食料を、ほんの少し買えば、それで、きれいに、消えてなくなる計算だ。
「……たった、一日分にも、ならないじゃない」
咲が、呆然と、呟いた。
◇
「で、だ。……ここからが、大事な話な」
ベルフは、いつもより、ほんの少しだけ、声を低くした。
「忘れてねえよな? 『上納』。……期日までに、決められた分の魔石を納めなきゃ、拠点が壊される。全員、死ぬ」
「……ああ。……で、その“決められた分”ってのは」
「教えてやるよ。……あんたらの、初回の上納額は」
ベルフが、ぱちん、と、指を鳴らすと。
机の、三つの魔石の、すぐ隣に。赤い文字が、浮かび上がった。
【次回上納額:魔石30】
【残り日数:7日】
「……さんじゅう……」
俺は、絶句した。
魔石、三十。……今日、死にかけて、死にかけて、ようやく、稼いだのが、三つ。
単純に計算すれば、今日と同じだけの死闘を、あと九回。七日のうちに、こなさなければならない。……しかも、それは、上納ぶん“だけ”の話だ。その間の、水や、食料も、別に、稼がなければ、死ぬ。
「……冗談、でしょ」
咲の、声が、掠れていた。
◇
重い、沈黙が、管理人室に、満ちた。
三つの魔石で、三十の壁。しかも、七日しかない。どこからどう考えても、途方もなかった。
「……なあ、和馬」
やがて、咲が、ぽつりと、口を開いた。
「……武器。あの、鉄の剣。……あれ、買えないかな」
咲は、自分の、使い込まれた木刀に、視線を落とした。
「木刀じゃ、あの獣、硬すぎて、ぜんぜん、通らなかった。……ちゃんとした得物があれば。もっと、楽に、安全に、倒せる。……そしたら、稼ぎも、増えるはず」
咲の言うことは、正しかった。装備は、“稼ぐ力”そのものへの、投資だ。
……でも。
「……十五、だ。咲」
俺は、ウィンドウの、数字を指した。鉄の剣は、魔石十五。今の俺たちの、手持ちは、三つ。
「……あと、十二個。剣を買うだけで、それだけ、いる。水道の復旧だって、十。……今の俺たちには、何かに“投資”する魔石なんて、一つも、ないんだ」
理想は、わかる。武器を買えば、楽になる。水道を直せば、水に、困らなくなる。
でも、そのための元手が、絶望的に、足りていない。先に投資したくても、投資する“種銭”すら、ないのだ。
◇
「……じゃあ、どうすんのよ」
「……まずは、生き延びる。それしか、ない」
俺は、机の上の、三つの魔石を、しばらく、見つめた。
管理人として。限られた、この三つを、どう使うか。――その、最初の判断を、間違えるわけには、いかなかった。
「水だけ、買う。一本。……飯は、唯の作り置きが、まだ、少し残ってる。今日は、それで、しのぐ」
俺は、魔石を、一つだけ、手に取った。残りの、二つは、机の上に、そっと、残す。
「……残りの二つは、使わない。温存だ。……これが、三十への、最初の、二歩目になる」
「……ぜんぶ、水と飯に、使っちゃわないの?」
「使わない。……一個でも、多く、残す。でないと、永遠に、三十なんて、貯まらない」
贅沢は、できない。喉が渇いても、腹が減っても、ぎりぎりまで、切り詰める。そうして、一個ずつでも、魔石を、積み上げていく。
――それしか、みんなを、迎えに行く道は、ないのだから。
◇
俺は、手にした魔石を、購買ウィンドウの、【飲料水】の欄へ、かざした。
しゅう、と、魔石が光の粒になって消える。そして俺の手のひらに、冷たいペットボトルの水が一本、ことりと現れた。
「……ほんとに、出た」
咲が、目を丸くする。
たった、一本の水。けれど、それは、俺たちが、自分たちの手で、モンスターと戦い、稼いだ魔石で、初めて“買った”、生きるための、一本だった。
「……これで、今夜と、明日の朝は、どうにか、しのげる」
俺は、その一本を、咲に手渡した。
「ほら。……お前が、持っとけ。怪我してるぶん、水分、切らすなよ」
「……はいはい。でも、一人で飲んだりしないから。……半分こ、だからね」
咲が、呆れたように、けれど、どこか嬉しそうに、笑った。
◇
「……なあ、ベルフ」
俺は、机に残した、二つの魔石を見ながら、尋ねた。
「このペースで。……本当に、七日で、三十、貯まるのか」
「さあ?」
ベルフは、心底どうでもよさそうに、肩をすくめた。
「普通のチームなら、楽勝だ。装備も、人数も、揃ってるからな。……でも、お前らは、戦力が、その剣道娘ひとりと、筋力3の管理人サマ。……正直、かなり、きついと思うぜ。死なずに稼げる保証も、ねえしな」
「……はっきり言うな、お前は」
「嘘ついても、しょうがねえだろ。……ま、せいぜい、頑張んな」
ベルフは、ひらひらと手を振って、いつものように、気のない欠伸をした。
◇
窓の外は、とっぷりと日が暮れていた。電気のつかない部屋で、俺と咲は、唯の作り置きの、傷みの来ていないものを選んで、少しずつ分け合った。味なんて、ろくにわからない。それでも、生きるために、腹に入れる。
「……ねえ、和馬」
「ん?」
「明日はさ。……もうちょっと、楽に倒せる相手、いないのかな。あの路地の、硬いのばっかりじゃ、身が持たないよ」
「……ベルフに、聞いてみるか。ミッション、いろいろ種類が、あるみたいだったし」
「うん。……作戦会議、だね」
そう言って、咲は、ふっと肩の力を抜いて、笑った。暗い部屋の中でも、その笑顔だけは、妙にはっきりと、見えた気がした。
机の上では、二つの魔石が、青く、静かに光っている。三十まで、あと二十八個。途方もない数字だ。
それでも、不思議と、昨日までのような、押し潰されそうな心細さは、なかった。
――たぶん、一人じゃ、ないからだ。
冷えた飯を、もう一口、口に運ぶ。明日も、きっと、死にかける。それは、わかっている。それでも今夜は、ただ、生き延びた一日を、静かに、噛みしめた。
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