第91話:廃道の関所と、霧の中の刺客
北の街道を数キロ進むと、空気は物理的な重みを伴って肌にまとわりついてきた。
かつて商人たちの活気ある声が響いていたであろう関所跡は、今や薄紫色の不気味な霧に包まれ、石造りの建物が幽霊のようにぼんやりと浮かんでいる。
「これ、ただの霧じゃないわ。吸い込むだけで喉の奥がチリチリする。魔導院の連中、何を溜め込んだらこんなに空気が腐るのよ」
キャスカが鼻をハンカチで覆いながら、剣の柄を固く握りしめた。
彼女の感覚は正しい。この霧は地脈から強制的に引き抜かれ、行き場を失って変質した魔力そのものだった。
「アリス、浄化の結界を。ジャム、構造解析をお願い。澱みの中心にある楔を探し出すよ」
アルマの指示に、二人が素早く動く。
アリスが杖を掲げると、彼女たちの周囲数メートルだけが清浄な光に包まれ、不気味な霧がじりじりと後退していった。
「フン、小娘ども。足元ばかり見ておるな。真理の敵は、常に貴様らの死角、すなわちその歪んだ認識の隙間に潜んでおるのだぞ」
アルマのフードの中から、ノアが警告を発した。
その直後、霧の奥からシュッと空気を切り裂く音が響き、アリスの結界に黒い杭のような魔力弾が着弾した。
「きゃっ! なんですの、今のは!」
「来たわね。影の連中だわ!」
霧の向こうから、顔のない魔導師の影が数体、音もなく滑るように現れた。
彼らの手には、地脈の澱みを固めて作られた禍々しい短杖が握られている。
「循環を乱す者たちよ。これ以上の干渉は、世界の調和を損なう大罪なり。去れ、さもなくば虚無の糧となれ」
無機質な声が重なり合い、広場全体を震わせる。
それに対し、ノアはアルマの肩の上でこれ以上ないほど傲慢に鼻で笑った。
「調和だと? 笑わせるな。貴様らがやっておるのは、家主の居ぬ間に家財を運び出す泥棒の所業に過ぎん。アルマ、怯むな! 貴様のシャボン玉は、その不浄な虚無を包み込み、再び生命の輪へと還すためのゆりかごだ。見せてやれ、本物の魔導の理を!」
「わかってる! みんな、やるよ!」
アルマが杖を振ると、透明なシャボン玉がいくつも浮かび上がり、アリスの結界の外側へと広がっていった。
影の魔導師たちが一斉に黒い雷を放つが、アルマのシャボン玉はその衝撃を吸収し、琥珀色の光を放ちながら膨れ上がる。
「キャスカ、今だ!」
「合点承知! ――はぁぁぁッ!」
シャボン玉が雷を吸い取って道を作った瞬間、キャスカが霧を切り裂いて突進した。
彼女の剣先には、ジャムの重力魔法によって極限まで研ぎ澄まされた付加魔力が宿っている。
影の一体に肉薄し、一閃。
実体のないはずの影が、魔力の芯を断たれて悲鳴を上げながら霧散した。
「楔、見つけた。時計塔の真下!」
ジャムが杖を地面に突き立て、特定した座標を叫ぶ。
そこは関所の中でも最も魔力が濃く、紫色の霧が噴水のように噴き出している場所だった。
「アルマ様、あそこですわ! 早く循環の種を!」
アリスが必死に結界を維持しながら叫ぶ。
影の魔導師たちは仲間を消されたことに動じる様子もなく、さらに密度を増した黒い霧を召喚し、アルマたちの視界を奪おうとする。
「おい、アルマ。目を閉じるな。貴様の背負っておる種が、地脈の悲鳴を感じ取っておるはずだ。その鼓動に、貴様の魔力を同調させろ。今だ! 宇宙の深淵を照らす一撃を放て!」
ノアの檄が、アルマの脳内に直接響いた。
アルマは背負い袋の口を全開にし、循環の種を両手で高く掲げた。
「いけぇぇぇ! 循環の種! 澱んだ霧を晴らして!」
琥珀色の閃光が、関所跡を昼間のような明るさで照らし出した。
光は暴力的なまでに紫色の霧を浄化し、時計塔の根元に打ち込まれていた巨大な黒い楔を真っ向から砕き折った。
パリン、という硬質な音が響き、不気味な影たちは形を保てなくなって霧の中に溶けていった。
同時に、関所を覆っていた粘りつくような空気が嘘のように晴れ、空からは久しぶりの青空が顔を覗かせた。
「やった、のかしら」
アリスが膝をつき、肩で息をしながら呟いた。
時計塔の周囲からは、腐敗した匂いに代わって、濡れた土と若草の匂いが漂い始めている。
「ああ。楔を壊したわ。見て、アルマ。関所の壁に、またあの花が」
キャスカが指差した先には、昨日と同じように、循環を取り戻した地脈から命を授かった小さな白い花が咲いていた。
「フン。及第点だ。だが、敵の陣はまだ健在だぞ。おい、アルマ。座り込む暇があるなら、あの時計塔の裏にある、管理人の住居跡を調べろ。我の髭が、極上の燻製ソーセージの予備が地下貯蔵庫に眠っておる可能性を、ゼロではないと告げておるぞ」
「ノア! さすがにソーセージなんてあるわけないでしょ!」
アルマの叫びが、浄化された関所の空に響き渡った。
一難去ってまた一難。だが、見習い魔法使いと生意気な猫の調査団は、確実に世界の綻びを縫い合わせ始めていた。
琥珀色の種は、勝利を祝福するように、アルマの手の中で心地よい温もりを保ち続けていた。
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