簒奪者たち
冷たい炎が燃え広がる様を、イザベルは想像した。
灰色に煙った世界の中で、光景には奇妙に現実感がない。だが、視覚以外の感覚は鮮烈に惨劇を伝えてくる。
刃先がぶつかる金属音、肉が裂ける音、狂ったような馬の嘶き、蹄に踏みつぶされる人間の悲鳴――聞くに堪えない音とともに生臭い血臭が立ちこめた。
ディミトリの手下たちは山賊を圧倒していた。
バティストの振るう斧が敵を数人まとめて吹っ飛ばす。諸刃の長剣を悠々と片手で操っているのは、いつも下品な冗談ばかり言うロジェとかいう男。酒好きで料理の味付けにもうるさいエディモンは馬上で弓を構え、次々と矢を射かけていた。
トリスはいち早く馬から飛び降りて、腰の後ろから二本の短剣を抜いた。イザベルを乗せているせいで戦闘から退いているディミトリの前で、襲ってくる敵を迎え撃つ。
湾曲した剣で実に効率的に相手の斬撃を受け流し、反対の手のもう一本で急所を斬りつけた。鋭い動体視力も滑らかな体の使い方も、接近戦に慣れた兵士のそれだった。しかも、刃を振るう彼の表情は、まるでダンスでもしているように楽しげだ。
彼が山賊二人の喉元を切り裂いたところで、イザベルは耐えられなくなった。鞍の前橋にしがみつき、身を伏せてひたすら終わるのを待った。
「あっ、やべ!」
トリスの焦った声に反応して、イザベルは顔を上げた。
盗賊の一人が二本の剣の軌跡を器用に潜り抜けるのが見えた。そいつは、曲芸めいた動きでディミトリの馬の横腹に取り付いた。
驚いた馬が嘶いて後脚立ちになる。それでも男は振り落とされず、ぐいとイザベルの脚を掴んだ。
不安定な姿勢のイザベルは恐怖の叫びを上げた。引きずり下ろされる、と覚悟した次の瞬間、男の腕は宙に舞っていた。ディミトリが斬り飛ばしたのである。イザベルにも馬にも傷をつけず、見事な狙いと腕前だった。返す刀を男の頭に叩き込む。勢いよく飛び散った血がイザベルの外套に跳ねた。
熊、というざわめきが上がった。盗賊どもは獲物が間抜けな商人ではなく、決して手を出してはならない相手だと気づいたらしかった。
リーダーらしき男の合図とともに撤退が始まる。何も盗らず、彼らが死体だけを残して逃げていった時点で勝負はついていた。
「お頭、ご無事ですか?」
トリスが訊いたが、返答はなかった。かわりに、
「潰せ」
と、頭の上でディミトリの命令が聞こえて、イザベルは心臓を掴まれる気がした。
まだ終わっていない。終わらせるつもりはないのだ。
男たちの間に奇妙な熱気が湧いた。山賊を迎撃している最中とは、似て非なる興奮である。
二、三人の護衛を残して、手下たちは森の奥へと馬を走らせた。トリスも追撃隊に交じっている。皆まるで水を得た魚のように生き生きとした表情だった。
彼らを待つ間、焚火の傍に座り込んでイザベルは震えていた。寒さとは別の身体反応だ。両脚も萎えたように動かず、腰が抜けるとはこういうことかと思い知った。
残った手下たちが、山賊の死体を物色して所持品を回収している。死体の耳を削ぎ指を切り落として装飾品を奪っているのを見て、イザベルは吐き気がした。彼らにとっては狩りの獲物を解体するのと同じなのだろう。
一時間ほど経ったのち、追撃隊は全員無傷で戻ってきた。荷を積んだ馬を数頭連れている。森の奥からは白い煙と焦げ臭い臭いが流れてきていた。
首領の言葉に従って、潰した――盗賊どもの塒を襲って、殺して、奪って、火をかけてきたのだ。そこにいたのは果たして大人の男だけだっただろうか。
得意げに戦利品を検分する男たちの傍から、イザベルは足早に離れる。
我慢できず、凍った地面に嘔吐した。
やられたからやり返しただけかもしれない。自業自得かもしれない。けれど、イザベルは報復の苛烈さに心底震え上がった。
守ってもらったという恩義はその戦慄を少しも薄めなかった。血の臭いが鼻の奥に残って消えない。
「おじょ……イザベル、大丈夫か?」
トリスが心配そうに声をかけてきた。その頬についた黒い汚れは返り血だろう。外套にも、手袋にも、ブーツにも。
「食事の前にいつもお祈りをしてるわよね、トリス」
イザベルは掠れた声で尋ねた。どんなふうに話しても、きっと届かないだろうと思った。
「人を殺したのに、どうして祈らないの?」
トリスは眉根を寄せて頭を掻いた。まるで知らない異国の言葉を聞いたような反応だった。
新たな物資を追加して、一団は何事もなかったかのように出発する。
イザベルは再びディミトリに抱えられて騎乗したが、その胸に凭れることはもうできなかった。
彼らの居処まであと一息のところで、倒木で街道の最短距離を進むことが困難になった。険しい山道を抜けていく選択もあったが、ディミトリは迂回を選んだ。
一日かけてもと来た道を戻り、遠回りになる分かれ道の方へ進む。
半日ほど行った所で、別の騎馬集団と出くわした。
エカーヴの町を出てから他の人間に会うのは初めてだった。あと二週間もすれば街道が雪で閉ざされるこの季節、真っ当な商人やカタギの旅人がうろついているはずもない。もちろんイザベルはそんな事情は知らなかったが、その集団の風体を見て正体を察した。
(王軍兵だ)
揃いの軍服に外套、腰の剣、馬具の紋章――イザベルの故郷でも見覚えのある装束だ。おそらく『黒の山脈』に駐屯する北部国境警備隊だろう。
かつて『黒の山脈』には金鉱があって、北の地はアルボレダ王国全土を潤す富の源泉であり、また山向こうから金鉱を狙って侵入する異民族との戦場でもあった。国境警備隊は王軍の中でも選りすぐりの精鋭部隊で、王国の金を守るため、日夜勇ましく戦っている――そんなふうに、イザベルは認識していた。
十年ほど前に金脈が尽き、鉱山が閉じられてからは、以前ほど激しい戦闘はなくなっているのかもしれない。それでもイザベルの胸に希望の光が差した。
警邏中らしく、馬に乗った六、七名ほどの兵士が、森の道を反対方向からやってきていた。見るからに屈強な体つきをしていて、いかにも辺境の守護者といった風情だ。先頭の兵士は襟元や帽子に飾りがついていて、上官と知れた。
遭遇したくない相手であろうに、ディミトリたちに動揺の気配はない。若干速度を緩めたが、そのまま道を進む。
「……余計な口を利くな」
ディミトリに耳元でそう言われ。イザベルの期待はますます高まった。
故郷では威張りくさった兵士たちが好きではなかった。だが今は、彼らの姿が神の使いに見える。
(きっと助けてもらえる。家に帰してもらえるわ)
ディミトリの一団は徐々に速度を落とし、道の脇に避けて止まった。警邏隊もこちらに気づいている。一列縦隊を崩さず、真っ直ぐに近づいてきた。
声が届く距離まで来た――そう判断して、イザベルは大きく息を吸った。怯んでたまるかと思った。
「た……」
すけて、と叫ぶ前に、革手袋の手に口を塞がれた。それだけで、押さえられた口ばかりか全身が岩に挟まったように動けなくなる。ううう、とくぐもった声を上げることしかできなくなった。
先頭の隊長らしき口髭の男が、じろりとこちらを見た。柄の悪い男ばかりの集団に、口を覆われた少女が一人――どう見ても異常だ。
しかし、口髭男は目を逸らした。姿勢を変えず、彼らの脇を通り過ぎてゆく。まるで何も――武装した男たちも、荷馬車も、助けを求める少女も、存在していないように。
他の兵士たちも静かに続いた。
愕然とするイザベルの視界を、灰色の物体が掠めた。小さな革袋である。
投げたのはバティストで、受け取ったのは口髭の隊長だった。イザベルは、自分が買い取られた時と同じ銀貨の音を聞いた。
「こっちじゃな、持ちつ持たれつなんだよ。もう諦めな」
王軍兵の警邏隊が去って行くのを見送り、隊列に出発の合図を出しながら、バティストはそう言った。
最後の希望を奪われた少女に対して、ほんの少し憐れみを含んだ口調だった。




