目覚めたら、腕が「神の手」だった(しかも呪われているらしい)
不快な鋭さで意識が弾け、アストラは目を覚ました。上体をがばりと起こした途端、昨夜の森と怪物の断片的な記憶が一気に押し寄せる。彼は癖で左手の指を曲げ伸ばし、視線を逸らした。だが、すぐに目が見開かれる。反射的に、もう一度そこへ視線が戻った。
それは、自分の手ではなかった。
深い青の皮膚に、長く不穏な鉤爪。昨夜見たあのデーモンの手が、彼の左腕に移植されていた。右手が小さく見えるほど巨大で、人の頭蓋など容易く砕けそうな凶器めいた重みがある。肘の少し上から、青い肉が縫い合わされたように繋がっており、しかもその青が、じわじわと上腕へと這い上がっていくのがわかる。
誰が、どうしてこんな真似を。必ず責任を取らせてやる――怒りと恐怖が同時にこみ上げ、アストラは必死に息を吸い込み、簡素な寝台の縁を両手でつかんだ。次の瞬間、青い手の握力が異常なまでに強いことに気づく。木枠が悲鳴を上げ、きしみ、粉々に砕け散った。
その時、昨夜の少女が幕をくぐって入ってきた。茶と金がまだらに混じった長い髪は手入れが行き届かず、肩に無造作に落ちている。ひょろ長く、年の割に驚くほど細い――アストラが見てきたどの少女よりも。彼は一瞬、何者なのか見当がつかないと思った。けれど、きっと彼女はそう見えるべきなのだ、とも。
少女はにこりと笑い、彼を頭からつま先まで確かめるように眺めた。「やっと起きたのね?」 視線が左手で止まる。「ふうん……あまり具合はよくなさそう」
「君たちがやったのか?! なぜ、どうして!」アストラは叫ぶ。
少女は動じず、小首をかしげた。「あなたの腕はなくなっていた。だから長老たちが、それを与えたの……」
「醜悪だ!」アストラは怒鳴った。
少女は一歩で間合いを詰め、アストラの左腕を取り上げて持ち上げた。「私が言っているのは、そこじゃないの」青い肉が彼自身の皮膚を覆うように、じりじりと広がっている。
「ぐっ!」アストラは呻き、腕を引き戻した。
少女は入口のほうを向き、声を張る。「パパ! 来て!」
背の高い男が、灰金の髪をたなびかせて入ってきた。右足は獅子の前脚のような形をしている。エイロ・ライオンソン――少女の父だ。
少女はアストラの新しい手を指さす。「見て、デーモンの肉が!」 エイロは眉根を寄せ、息を吐いた。
「マイロ!」彼が呼ぶと、琥珀の狼の眼と焦茶の人の眼を持つ男が幕を押し開けて入る。村の長、マイロ・ウルフシーンだ。
「その腕を見ろ。使うなと言ったはずだ」エイロが唸る。
マイロは広がる青い肉をしばらく黙って観察し、やがて狼の眼も人の眼もいったん閉じ、かすれたため息を落とした。「……なるほど」そして、人の眼だけを開いて告げる。「それはデーモンの手ではない。夜の神のものだ」
少女が首をかしげる。「でも、私たちは神の部位は使わないんじゃなかったの?」
エイロも首を振った。たてがみのように見える砂金色の髪が揺れる。「ああ、使わない。危険すぎる……」
「いったい何が起きてるんだ!」アストラ・カエルスの叫びが場の空気をさらう。
エイロは父親特有の穏やかな声色で言った。「どうしたというんだ、息子よ」
「こ、ここはどこだ?! あなたたちは誰だ?! なぜ俺はここにいる?! それに――どうして俺の腕が“神の手”なんだ!」彼は怒鳴る。
「叫ばなくていい、息子よ。私たちの耳は敏い。十分聞こえている」エイロが答えると、他の者たちも同じように耳を押さえた。
マイロが息を吐き、口を開く。「質問に順に答えよう。ここはシカリ――キタニの主営だ。私たちはキタニ。お前は癒やすためにここにいる。そして“神の手”を持つ理由は、お前自身の手を失ったからだ」
アストラの目尻がぴくりと跳ねる。「キタニ……噂は聞いたことがある。自分や敵の体を切り刻んで、ばらばらの部位を継ぎ接ぎにして――」声が震えた。
三人のキタニは、露骨に顔をしかめた。少女が反射的に言い返す。「切り刻む? 必要なときだけ代わりを使うのよ!」
エイロは娘の肩に手を置いた。「当然だ。お前の心はまだ人のものだ。その見方になるのも、当然だ」できる限り柔らかく、ささやくように。
アストラはマイロを指し示した。「じゃあ、あなたは? みんな違う部位を持ってる! あなたなんて――頭に狼の眼が!」
「失明するよりはいい。盲いたキタニは死んだも同然だ」マイロは淡々と返す。
アストラはエイロを指した。「じゃ、じゃああなたは?! 獅子の足なんて!」
「この足を噛みちぎったのが、ほかならぬこの獅子でね」エイロは肩をすくめた。「なら、獅子の足を借りるのが道理というものだ」
「でも、それは獅子の足だ! 人のものじゃない、ましてやあなた自身のものでも!」アストラは叫ぶ。
「時には、若者よ、死ぬより代用品を選ぶほうがましということもある」マイロが静かに言った。
アストラは少女を顎で示す。「じゃあ、彼女は? 普通に見えるけど」 少女はぎょろりとした目つきで彼をにらむ。
エイロは身を屈め、娘に囁いた。「カイラ、外で浮遊の練習をしてきなさい」
「……うん、わかった」カイラはアストラと父を順に見上げ、小さくつぶやいてから幕の外へ出ていった。
娘の背を見送り、エイロはアストラに向き直ると、静かに語り始めた。「カイラは未発達の心臓を抱えて生まれた。妻は出産のすぐ後に亡くなった。山に住む雌ライオンが、妻の良き友だった。そのライオンは麻痺の病に侵され、日に日に衰えていた。彼女は、カイラに心臓を与えることを選んだ。妻にしてやれる最後のことは、娘を生かすことだと。……それでカイラは怪力と柔軟性、そして山獅子の感覚を得た。ライオンの名は“カイラ”。だから娘を、カイラ・ライオンズブラッドと呼ぶ」
語り終えたエイロに、アストラはかろうじて掠れた謝罪を返すのが精いっぱいだった。
マイロがアストラの新しい手を顎で示す。「その手について、覚えておくべきことがある」 低く続けた。「怒りに任せて使うな。お前を喰らう。それが“神の部位”の呪いだ」
アストラは患部を上に向け、手のひらをじっと見つめた。「……なら、どうして俺に?」
マイロはざらついた白い髭を鳴らしてうめいた。「それが神の手だとは、私が見抜けなかった。もっとよく確かめるべきだった」
「名前を教えてくれ、少年」エイロが、どこかカイラに似た笑みを浮かべる。
アストラは一度だけ彼を見返し、律儀に答えた。「アストラ・カエルスです、旦那様」
エイロはうなずく。マイロは片眉を上げた。「人間であるばかりか、カエルス家の子か。……その新しい腕を、家族はどう思うだろうな」
アストラは眉間に皺を寄せ、小さく呟く。「……わからない」
マイロはうなずき、口の端にわずかな笑みをのせた。「なら、戻るといい。覚えておけ、ここはいつでもお前を迎える。さあ、準備を手伝おう」 三人は幕を押し分け、外へ出た。
そしてアストラは息を呑む。大きな焚き火を中心に、いくつもの天幕が円を描いている。人々は誰もが少なくとも一つは獣の部位を持ち、思い思いの仕事に就いている。――子どもたちを除いて。子どもは多く、たいていは天幕の脇の囲いの中にまとまっていたが、それでも大人より数が多いのが一目でわかった。
焚き火のそばで、アストラはカイラを見つけ、彼女の所作に目を見張った。彼女が顎で示した丸太が、薪の山からふわりと浮き、焚き火の口へと静かに滑り込む。三人が天幕から出てくるのに気づくと、カイラは顔を上げ、満面の笑みで駆け寄ってくる。
「アストラにはカイラを同行させる」エイロが言う。「新しい手に慣れる助けになる」
「い、いえ。大丈夫です、ひとりで」アストラは口の中でもごもご言った。
カイラはにやりと笑い、弾けるように笑い声を上げた。「大丈夫よ、パパ。昨夜だって、この人、神さま相手に“じゅうぶんうまくやってた”じゃない」
アストラは顔が火より熱くなるのを感じた。
「カイラ」エイロが厳しく名を呼ぶ。
カイラはぴたりと笑いを止め、小声で「ごめんなさい」と謝った。エイロは続ける。「少々扱いづらいところはあるが、役に立つ。頼む、連れて行け。お前には彼女が必要だ」
「……わ、わかった」アストラは答えた。




