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水に取られた ―零れる刻限―  作者: 大西さん
第四章:五十年の執念 - 兄の独白
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第14話 呪われた町、一人の男の執念

昭和四十七年、六月二十一日。 梅雨の長雨が続く、じめじめとした朝。 町は、昨日まで明るく笑っていた弟・亮介が突然姿を消したという噂で持ちきりだった。 警察は「家出か、駆け落ちだろう」と、ろくに捜査もせずに捜索を打ち切ろうとしていた。町の人々も、口々に「ああ、あの田辺さんとこの娘と一緒だったらしいな」「若いもんのすることじゃ」と、まるで他人事のように噂していた。 だが、俺は知っていた。 亮介はそんな男じゃない。家族を、夢を、こんな形で放り出すはずがない。 俺の、そして俺の家族の時間が、止まった瞬間だった。


「亮介は、どこへ行ったんだ」


父と母は憔悴しきっていた。母は毎晩、亮介の部屋の仏壇に線香をあげ、泣きながら彼の名前を呼んでいた。しかし、涙はいつしか枯れ、ただ虚ろな目で仏壇を見つめるだけになった。父は酒に溺れ、家族の会話はいつしか途絶えた。 俺だけが、諦められなかった。 兄として、弟の無念を晴らさなければならない。


俺は、一介の地方公務員だった。郷土史を趣味とし、町の古い記録を読み解くのが好きだった。そして、その知識が、この町の異常性を浮かび上がらせた。 古文書、口伝、そして住民の何気ない一言。すべてが、一つの不気味な物語を語り始めていた。


「田辺家の女は、十八の齢になると、愛しい男を水に捧げ、永遠の美を得る」


最初、俺は馬鹿げた迷信だと一笑に付した。しかし、和子が亮介の行方不明の最後に目撃された人物だと知った時、背筋に冷たいものが走った。


俺は、この日から、亮介の兄であることをやめ、一人の調査者になった。 町役場の戸籍簿、音無神社の古い記録、郷土資料館の古文書。ありとあらゆる資料を、夜な夜な読み漁った。 そして、俺が何気なく趣味で集めていた町の古い地図に、俺の執念は可視化されていった。 田辺家の屋敷、廃寺、古い井戸、そして過去に行方不明者が出た場所。それらを赤いインクで結んでいくと、地図の上に巨大な蜘蛛の巣のような模様が浮かび上がった。 それは、偶然ではありえない、呪いの設計図だった。




俺の調査は、次第に家族を不幸のどん底に突き落としていった。 「また、亮介のことか」 妻は、俺が夜な夜な机に向かっている姿を見て、そう冷たく言った。


「もう、やめてくれ。この町で生きていくんだ。田辺さんとこのことは、触れないのが一番だ」


息子は、俺の調査のせいで学校でいじめに遭い、友達がいなくなった。


「なんで、僕の友達は、みんないなくなっちゃうんだよ!」


息子が泣きながらそう叫んだ時も、俺はただ黙って、地図に赤い線を引いていた。 俺の執念は、次第に呪いへと変わっていった。俺自身が、呪いの一部になってしまったのだ。


俺は、村人たちに話を聞き回った。だが、誰もが口を閉ざす。


「昔もそうだったわ。あの家の娘が十八になる年は、決まって梅雨が長引くんだって」


「可哀想にねえ。でも、それが町の平穏のためなら……仕方ないのかしらね」


酒屋の店主、老いた漁師、近所の老人。皆が、同じことを言う。彼らは、田辺家の呪いを「町の平穏のため」に受け入れている。俺の弟の犠牲の上に成り立つ「平穏」を、彼らは享受していた。 俺は、怒りで体が震えた。 この町は、呪いの共犯者なのだ。見て見ぬふりをすることで、五十年間、秘密を守り続けてきた。




俺は、ついに古文書の解読に成功した。 それは、この町に伝わる「水神祭祀記録」だった。


『東国某所に伝わる奇譚。十八の齢に達せし巫女、愛する者を水に捧げ、永遠の美を得るという。この儀、江戸の末より密に行われ、明治の世に至るも絶えることなし。巫女は水と一体となり、人ならざる者へと変貌を遂げる。その美しさは、見る者を魅了し、破滅へと導く』


俺は、さらに古い記述も発見した。


『水神は、孤独な神である。ゆえに、愛し合う者たちを求める。その愛が深ければ深いほど、水神は喜ぶ。しかし、それは同時に、最も残酷な別離でもある』


この呪いは、百五十年以上も前から続いていたのだ。 そして、和子の家系は、代々この儀式を執り行ってきた。亮介は、その百五十年続く呪いの、一つの犠牲に過ぎなかったのだ。


俺は、亮介の部屋を、彼の私的な霊廟に変えた。毎晩、仏壇に線香をあげ、彼の写真を磨いた。


「亮介、俺は忘れない。お前が何のために死んだのか、絶対に忘れない」


俺は、亮介の死を無駄にしないために生きてきた。呪いの根源を突き止め、いつかこの町から呪いを消し去るために。 だが、五十年の歳月が流れた今、俺に残っているのは、孤独な執念と、枯れた涙だけだった。 俺の体も、もう限界だ。 ふと、窓の外を見ると、息子(翔太の父)が、自分の息子である翔太の肩を抱いている。 翔太は、俺にそっくりだ。特に、その目元が。 真実を追い求め、目を潤ませている姿は、まるで昔の俺を見ているようだった。 俺は、自分の執念が、孫にまで呪いとして受け継がれていく恐怖を感じた。


しかし、同時に、微かな希望も感じた。 翔太は、俺とは違う。 亮介のように、優しさと真っ直ぐさを持っている。 そして、俺が手に入れられなかった「愛」を持っている。 もしかしたら、この子なら。 俺が探し求めた、「愛のために生きる道」を見つけられるかもしれないと。

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