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そして、春が来た  作者: 加護景
滅んだ村
33/33

顛末


「あの写真はどうしたんですか」


 私がリオンに尋ねると、


「ああ、あれは雪神様の部屋で見つけたんだよ」


 とそっけない様子で答えた。


「見たい?」


 リオンが私に問いかける。


「……いえ、今は止めておきます」


 その写真を見るのは、目的を達する時だ。その時まで見ないほうがいい。


「これからどうしようか」

「決まっていますよ」


 真剣な眼差しをリオンに向ける。


「花を咲かせるために、春を迎えるために、私は必死にリオンさんを説得します。リオンさんが花を好きになってくれるように、雪神様を止めてもいいと思ってもらえるように、リオンさんの隣で語り続けます……今の私にできることはそれぐらいしかありませんから……」


「私を恨んでいるかな」


「それは……そうでしょう」


 恨んでも恨みきれない。リオンのせいで長年待ち望んでいた、春を手に入れ損ねたのだから。春を待ち望む。花を愛する。それが私のすべて。例え、その感情が村長から植え付けられたものだとしてもだ。


「そこまで恨んでいるようには見えないけどね」


 ……何を言っている。私はリオンを心底恨んでいるのだ。彼は私の邪魔をした存在。憎くて、憎くてしょうがない。……それでも、私は彼に頼らなければならない。彼の協力がなければ、彼がいなければ、春はやってこない。私は、彼と話をしなければならない。彼と共に過ごさなければならない。これは、いわば義務なのだ。仕方がないことなのだ。


「ハル……君は亡くなった妹のことはどう思っているんだ」


 リオンが話題を変える。


「それは前にも言ったでしょう。雪神様を止めるための道具としか思っていませんよ」

「本当にそうかな。本当は大切に思ってくれていたんじゃないかな」

「どうしてそんなこと」


 リオンは私に写真を手渡す。灰色の写真だ。


「これはハルが妹に渡してくれた写真だろう。この写真はハルにとっても大切なものなんじゃないのか」


 言うまでもない。この写真は私にとってかけがえのないものだ。


「大切な写真を預けてもいいと、そう思ってくれていたんじゃないのか」


 ……違う。それは、彼女を花好きにするためだ。雪神様を止めるための同志を増やすため、そのために、私はこの写真を彼女にあげたのだ。……それに、彼女ならこの写真を大切にしてくれると、そう思ったからだ。


 なぜ?

 なぜそう思ったのだろう?

 どうしてそんな選択をしたのだろうか?


「妹のことを、思ってくれてありがとう」


 違う。そうではない。彼女はただの道具だ。道具に対して思い入れなどしない。そんなもの必要ない。花について説いたのも、写真をあげたのも、すべて春を手に入れるためだ。ただその目的のために、そう接したに過ぎない。


「……リオンさんにとっては、私も妹なんじゃないんですか」


 彼は私のことを無茶苦茶な理論で自分の妹だと定義付けている。どう考えればそんな結論に至るのか、訳がわからない。


「妹、というのは言葉の綾だよ。私は亡くなった妹と同じようにハルを大切に思っているんだよ」

「それだったら、大切に思っているのだったら、私の望み通り、早く雪神様を止めてください。花を咲かせてください」


 リオンはゆっくりと首を振る。


「それはできないよ」

「どうして!」

「私はもう、大切な人を失いたくないんだ」


 リオンが私の目を見る。真剣な眼差しを真っ直ぐこちらに向けてくる。その視線を私は離すことができない。


「コードさんを見殺しにした私を恨んでいるのでしょう。だから私を生き殺しにしているのでしょう。復讐のつもりなのでしょう」


 リオンは再び首を振る。


「違うよハル。コードが死んでしまったのは仕方のないことだったんだ。ハルのせいなんかじゃないだろう」

「私にはコードさんを生かす選択肢もあったんですよ。私がコードさんを殺したようなものです」

「そうだとしても、私を救ってくれたじゃないか。例えそれにどんな意図があったとしても、利用しようとしていたとしても、私は構わない」


 私は……、とリオンが言葉を続ける。


「クーリが死に、コードが亡くなって、今度はハルがいなくなる。もう、耐えられないんだ」

「妹の望みはどうなるんですか」

「……死んでしまった者の頼みより、生きている者のほうが大切だよ」

「じゃあ、どうして雪神様を止めようとしたんですか! 最初からそんなことしようとしなければ、私も無駄な希望を持たずに済んだのに」


 その言葉にリオンは悲しそうな顔をする。


「最後の最後に教えてくれただろう。雪神様を止めればハルは無事では済まないって。その言葉を聞いて、私は止めることを止めたんだ」

「それは――」


 そう、私は最後の最後で間違いを犯してしまったのだ。私は彼にそのことを教えてしまったのだ。


 なぜ。なぜ教えてしまったのだろう。教えなければ、雪神様が止まり、雪が止み、花が咲いたはずなのに。


 ……あの時、私は迷っていたはずだ。


 何に迷っていたのだろうか……思い出せない。思い出すことができない。


「その時、私は思ったんだ。ハルは助けを求めていたんじゃないかって。本当は自分を犠牲にしてまで春にしたくないんじゃないかって、そう思ったんだ」


 違う。そんなことはない。私にとって、春が、花がすべて。それに比べれば、自分の身など……


「ずっと一人で寂しかったんだろう。でも大丈夫。これからは私がいるから。私が側にいるから」



 寂しかった?

 私が?

 そんなこと……ない。あるはずがない。

 花について考えるだけで、春について考えるだけで、私は満たされていたはずだ。

 花がどんな色をしているか。

 どんな手触りで、どんな匂いで、風に揺れたらどんな風に揺れ動くのか。

 そんなことを考えるだけで、私は満足していたはずだ。

 他人など、ただの道具だ。道具にすぎないのだ。

 寂しくなんて、ない。

 


 …

 ……

 そういえば、

 私は今までずっと一人だった。

 一人でずっと村を監視していた。


 ずっと代わり映えしない白い風景。

 踏むと、さくり、と音を立てる新雪の音。


 私は、その音が嫌いだった。雪が嫌いだった。

 何も変わることがない、お前はずっとこのままなのだと、そう語りかけるようで嫌だった。


 それでも、私は自分が寂しいなんて思わなかった。それが私に与えられた使命なのだから。


 そんな時に、彼が現れた。彼は花の魅力について私に語りかけてくれた。

 当時の私には彼の話す花の魅力は分からなかった。それでも、私は彼の話をずっと聞いていた。

 何故だろうか。何故、私は彼の話を聞いていたのだろうか。


 私は気がつくと、彼の話に夢中になっていた。

 私は、彼の話す花が好きになっていた。


 彼は私に提案を持ちかけた。

 本物の花に興味はないかと。

 雪神様を止めれば、本物の花が咲くのだと。


 私はその提案に、すぐに飛びついた。

 もちろん、雪神様を止めれば私はただではすまない。

 それでも、私は彼の提案に乗ったのだ。

 私にとって、自分の身など、取るに足らないものだとそう考えていた。






 私は彼女を見つけた。


 私は監視者だ。私は彼女のことを知っていた。彼女をずっと見てきた。

 彼女は正直で素直な子だった。私は使えると、そう思った。


 私は彼女の前に現れた。彼女は私を見て心底驚いていた。妖精は本当にいたのだと、喜んでいた。

 私は彼女に花の魅力を説いた。彼から貰った写真を見せて、花の美しさを語った。

 私の思った通り、彼女はすぐに花が好きになった。


 彼女は私の前で、花の話をするようになった。

 花がどんなに美しいか、綺麗か、自分の意見を言うようになった。


 その様子を見て、私は彼女に写真をあげた。

 何故あげたのかは自分でもわからない。ただ、彼女になら預けてもいいとそう思ったのだ。


 私は、何度も、何度も彼女に会った。

 彼女に会って花の話をした。

 彼女といる時間はそう長くなかった。

 彼女にも、私にも、するべき仕事があるからだ。


 彼女と会話を終える時、私は奇妙な気持ちが芽生えていた。

 その感情が何なのか、ただのアンドロイドである私にはわからなかった。

 それでも、また会える。そう思うとその感情はすぐに消えていった。


 そろそろ、雪を止めるための計画を話そうかと思った頃、彼女に異変が起きていた。

 彼女はその症状を私に隠そうと必死に取り繕っていた。

 私はその異変の原因を知っていた。

 それは致死率百%の病だった。


 私は酷く動揺した。しかし、私にできることは何もなかった。

 彼女は、そのまま、家の中で息絶えた。

 






 私は、急がなければならなかった。

 このままだとこの村の住民全員が処分されるはずだ。

 そうなれば、雪を止めることができなくなる。


 焦った私は、村の監視の中である人物を見つけた。

 彼は彼女の兄だった。


 彼は死んだ彼女のために本物の花を探そうとしていた。

 雪を止めるため人材として非常に好都合な人物だった。


 彼は村の外へ出ていった。

 そして、私は彼と出会った。


 彼は私の思う通りにことを運んでくれた。

 私の話を真剣に聞いてくれた。

 私を気にかけてくれた。






 私に花の話をしてくれた人がいた。

 花がいかに美しいか、いかに綺麗か、私に語りかけてくれた。

 私はその話を身を乗り出して聞いていた。


 私の花の話を聞いてくれた人がいた。

 花がいかに美しいか、いかに綺麗か、私が語るのを聞いてくれた。

 彼女はその話を嬉しそうに聞いていた。


 私の話を聞いてくれる人がいた。

 花がいかに美しいか、好きな花は何なのか、私が話すのを聞いてくれた。

 彼はその話を真剣に聞いていた。


 どれも、私一人ではできない経験だった。

 ……私は寂しかった、のだろうか。

 誰かと一緒に居たかったのだろうか。


 リオンがそっと手を差し伸べる。

 私はリオンの目を見る。

 リオンの双眸が真っ直ぐ私を捕らえている。

 ……私は差し伸べられたその手を静かに取った。






 どこまでも続いている白と黒の光景。

 色のないモノクロの世界。

 氷の道を外れると、新雪が降り積もっている。

 試しに、新雪を踏むと、さくり、と小気味の良い音がする。

 嫌で、嫌で、仕方のなかった音。

 しかし、今はもう、気にならない。

 私はもう、寂しくない。



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