顛末
「あの写真はどうしたんですか」
私がリオンに尋ねると、
「ああ、あれは雪神様の部屋で見つけたんだよ」
とそっけない様子で答えた。
「見たい?」
リオンが私に問いかける。
「……いえ、今は止めておきます」
その写真を見るのは、目的を達する時だ。その時まで見ないほうがいい。
「これからどうしようか」
「決まっていますよ」
真剣な眼差しをリオンに向ける。
「花を咲かせるために、春を迎えるために、私は必死にリオンさんを説得します。リオンさんが花を好きになってくれるように、雪神様を止めてもいいと思ってもらえるように、リオンさんの隣で語り続けます……今の私にできることはそれぐらいしかありませんから……」
「私を恨んでいるかな」
「それは……そうでしょう」
恨んでも恨みきれない。リオンのせいで長年待ち望んでいた、春を手に入れ損ねたのだから。春を待ち望む。花を愛する。それが私のすべて。例え、その感情が村長から植え付けられたものだとしてもだ。
「そこまで恨んでいるようには見えないけどね」
……何を言っている。私はリオンを心底恨んでいるのだ。彼は私の邪魔をした存在。憎くて、憎くてしょうがない。……それでも、私は彼に頼らなければならない。彼の協力がなければ、彼がいなければ、春はやってこない。私は、彼と話をしなければならない。彼と共に過ごさなければならない。これは、いわば義務なのだ。仕方がないことなのだ。
「ハル……君は亡くなった妹のことはどう思っているんだ」
リオンが話題を変える。
「それは前にも言ったでしょう。雪神様を止めるための道具としか思っていませんよ」
「本当にそうかな。本当は大切に思ってくれていたんじゃないかな」
「どうしてそんなこと」
リオンは私に写真を手渡す。灰色の写真だ。
「これはハルが妹に渡してくれた写真だろう。この写真はハルにとっても大切なものなんじゃないのか」
言うまでもない。この写真は私にとってかけがえのないものだ。
「大切な写真を預けてもいいと、そう思ってくれていたんじゃないのか」
……違う。それは、彼女を花好きにするためだ。雪神様を止めるための同志を増やすため、そのために、私はこの写真を彼女にあげたのだ。……それに、彼女ならこの写真を大切にしてくれると、そう思ったからだ。
なぜ?
なぜそう思ったのだろう?
どうしてそんな選択をしたのだろうか?
「妹のことを、思ってくれてありがとう」
違う。そうではない。彼女はただの道具だ。道具に対して思い入れなどしない。そんなもの必要ない。花について説いたのも、写真をあげたのも、すべて春を手に入れるためだ。ただその目的のために、そう接したに過ぎない。
「……リオンさんにとっては、私も妹なんじゃないんですか」
彼は私のことを無茶苦茶な理論で自分の妹だと定義付けている。どう考えればそんな結論に至るのか、訳がわからない。
「妹、というのは言葉の綾だよ。私は亡くなった妹と同じようにハルを大切に思っているんだよ」
「それだったら、大切に思っているのだったら、私の望み通り、早く雪神様を止めてください。花を咲かせてください」
リオンはゆっくりと首を振る。
「それはできないよ」
「どうして!」
「私はもう、大切な人を失いたくないんだ」
リオンが私の目を見る。真剣な眼差しを真っ直ぐこちらに向けてくる。その視線を私は離すことができない。
「コードさんを見殺しにした私を恨んでいるのでしょう。だから私を生き殺しにしているのでしょう。復讐のつもりなのでしょう」
リオンは再び首を振る。
「違うよハル。コードが死んでしまったのは仕方のないことだったんだ。ハルのせいなんかじゃないだろう」
「私にはコードさんを生かす選択肢もあったんですよ。私がコードさんを殺したようなものです」
「そうだとしても、私を救ってくれたじゃないか。例えそれにどんな意図があったとしても、利用しようとしていたとしても、私は構わない」
私は……、とリオンが言葉を続ける。
「クーリが死に、コードが亡くなって、今度はハルがいなくなる。もう、耐えられないんだ」
「妹の望みはどうなるんですか」
「……死んでしまった者の頼みより、生きている者のほうが大切だよ」
「じゃあ、どうして雪神様を止めようとしたんですか! 最初からそんなことしようとしなければ、私も無駄な希望を持たずに済んだのに」
その言葉にリオンは悲しそうな顔をする。
「最後の最後に教えてくれただろう。雪神様を止めればハルは無事では済まないって。その言葉を聞いて、私は止めることを止めたんだ」
「それは――」
そう、私は最後の最後で間違いを犯してしまったのだ。私は彼にそのことを教えてしまったのだ。
なぜ。なぜ教えてしまったのだろう。教えなければ、雪神様が止まり、雪が止み、花が咲いたはずなのに。
……あの時、私は迷っていたはずだ。
何に迷っていたのだろうか……思い出せない。思い出すことができない。
「その時、私は思ったんだ。ハルは助けを求めていたんじゃないかって。本当は自分を犠牲にしてまで春にしたくないんじゃないかって、そう思ったんだ」
違う。そんなことはない。私にとって、春が、花がすべて。それに比べれば、自分の身など……
「ずっと一人で寂しかったんだろう。でも大丈夫。これからは私がいるから。私が側にいるから」
寂しかった?
私が?
そんなこと……ない。あるはずがない。
花について考えるだけで、春について考えるだけで、私は満たされていたはずだ。
花がどんな色をしているか。
どんな手触りで、どんな匂いで、風に揺れたらどんな風に揺れ動くのか。
そんなことを考えるだけで、私は満足していたはずだ。
他人など、ただの道具だ。道具にすぎないのだ。
寂しくなんて、ない。
…
……
そういえば、
私は今までずっと一人だった。
一人でずっと村を監視していた。
ずっと代わり映えしない白い風景。
踏むと、さくり、と音を立てる新雪の音。
私は、その音が嫌いだった。雪が嫌いだった。
何も変わることがない、お前はずっとこのままなのだと、そう語りかけるようで嫌だった。
それでも、私は自分が寂しいなんて思わなかった。それが私に与えられた使命なのだから。
そんな時に、彼が現れた。彼は花の魅力について私に語りかけてくれた。
当時の私には彼の話す花の魅力は分からなかった。それでも、私は彼の話をずっと聞いていた。
何故だろうか。何故、私は彼の話を聞いていたのだろうか。
私は気がつくと、彼の話に夢中になっていた。
私は、彼の話す花が好きになっていた。
彼は私に提案を持ちかけた。
本物の花に興味はないかと。
雪神様を止めれば、本物の花が咲くのだと。
私はその提案に、すぐに飛びついた。
もちろん、雪神様を止めれば私はただではすまない。
それでも、私は彼の提案に乗ったのだ。
私にとって、自分の身など、取るに足らないものだとそう考えていた。
私は彼女を見つけた。
私は監視者だ。私は彼女のことを知っていた。彼女をずっと見てきた。
彼女は正直で素直な子だった。私は使えると、そう思った。
私は彼女の前に現れた。彼女は私を見て心底驚いていた。妖精は本当にいたのだと、喜んでいた。
私は彼女に花の魅力を説いた。彼から貰った写真を見せて、花の美しさを語った。
私の思った通り、彼女はすぐに花が好きになった。
彼女は私の前で、花の話をするようになった。
花がどんなに美しいか、綺麗か、自分の意見を言うようになった。
その様子を見て、私は彼女に写真をあげた。
何故あげたのかは自分でもわからない。ただ、彼女になら預けてもいいとそう思ったのだ。
私は、何度も、何度も彼女に会った。
彼女に会って花の話をした。
彼女といる時間はそう長くなかった。
彼女にも、私にも、するべき仕事があるからだ。
彼女と会話を終える時、私は奇妙な気持ちが芽生えていた。
その感情が何なのか、ただのアンドロイドである私にはわからなかった。
それでも、また会える。そう思うとその感情はすぐに消えていった。
そろそろ、雪を止めるための計画を話そうかと思った頃、彼女に異変が起きていた。
彼女はその症状を私に隠そうと必死に取り繕っていた。
私はその異変の原因を知っていた。
それは致死率百%の病だった。
私は酷く動揺した。しかし、私にできることは何もなかった。
彼女は、そのまま、家の中で息絶えた。
私は、急がなければならなかった。
このままだとこの村の住民全員が処分されるはずだ。
そうなれば、雪を止めることができなくなる。
焦った私は、村の監視の中である人物を見つけた。
彼は彼女の兄だった。
彼は死んだ彼女のために本物の花を探そうとしていた。
雪を止めるため人材として非常に好都合な人物だった。
彼は村の外へ出ていった。
そして、私は彼と出会った。
彼は私の思う通りにことを運んでくれた。
私の話を真剣に聞いてくれた。
私を気にかけてくれた。
私に花の話をしてくれた人がいた。
花がいかに美しいか、いかに綺麗か、私に語りかけてくれた。
私はその話を身を乗り出して聞いていた。
私の花の話を聞いてくれた人がいた。
花がいかに美しいか、いかに綺麗か、私が語るのを聞いてくれた。
彼女はその話を嬉しそうに聞いていた。
私の話を聞いてくれる人がいた。
花がいかに美しいか、好きな花は何なのか、私が話すのを聞いてくれた。
彼はその話を真剣に聞いていた。
どれも、私一人ではできない経験だった。
……私は寂しかった、のだろうか。
誰かと一緒に居たかったのだろうか。
リオンがそっと手を差し伸べる。
私はリオンの目を見る。
リオンの双眸が真っ直ぐ私を捕らえている。
……私は差し伸べられたその手を静かに取った。
どこまでも続いている白と黒の光景。
色のないモノクロの世界。
氷の道を外れると、新雪が降り積もっている。
試しに、新雪を踏むと、さくり、と小気味の良い音がする。
嫌で、嫌で、仕方のなかった音。
しかし、今はもう、気にならない。
私はもう、寂しくない。




