剣聖
テンペランスは自分が寝ていることに気づく。
だが起きたくないと強く願う。
生きることが辛過ぎたのだ。最愛の姉キーナンが2日前に危篤状態になり、やがて息をしなくなった。
剣の師のホッジンズも5日前に死に、同期のシーリーも左足が壊死してもう再起不能になった。
そして自分自身も左腕を失い、もう右目も見えなくなっている。
痛みや仲間の死よりもテンペランスが辛いのは、祖国の裏切りだった。
テンペランスが所属する〈不死の銀騎士団〉――キャボット帝国の誉れある第一師団であったが、42日前にロクドゥー共和国に侵攻した際に、突然後続が撤退し、孤立無援となって敵に捕らえられたのだ。
綿密な計画で行われた侵攻であったが、実際は大規模なテンペランスを苦しめる作戦であった。
その証拠に〈不死の銀騎士団〉だけがロクドゥー共和国に取り残された際に、敵の指揮官がテンペランスの姉キーナンを縛り上げて姿を見せたのだ。
キーナンは魔法局に勤める研究員で戦場とは無縁の存在である。
天下無双の剣技をもつ、S級スキル【千万剣】の剣聖テンペランスを無効化させるに人質を取っていたのだ。
もちろんロクドゥー共和国の策略ではない。
姉を見た瞬間にテンペランスは全てを悟った。祖国キャボット帝国の皇太子ブロードスキの仕組んだテンペランスの処刑計画であると――。
テンペランスは16歳になった一カ月前に、ブロードスキの第三夫人になるようにという求婚を受け、これを断っていたのだ。
王宮にいるよりも神から受け取ったスキルを有用に使うため、帝国の繁栄のためにテンペランスは軍人の道を選んだ。
しかしブロードスキはこの拒絶に激怒していたのだと察することができる。現実にキーナンはブロードスキにそういう罵りを受けていたと後で知らされた。
侯爵の娘テンペランスはその剣技と容姿の美しさで、ブロードスキ皇太子のお気に入りとなり、時間を共に過ごすことが多かったのだ。
好かれているとは感じていたが、ここまで凶行を起こすほど異常な執着を見せるとは思ってもみなかった。
だが自分の美しさと強さが人を虜にするということは何度も聞かされたことがある。完璧な目鼻立ちに青く輝く黒髪と琥珀色の瞳は、「キャボット帝国の至宝」と呼ぶものさえいた。
それでも見目麗しい美女に取り囲まれた皇太子が狂うのは理解できない。
ロクドゥー共和国はテンペランスという常識外れの戦力を排除できるならと、ブロードスキの計画に同調し、〈不死の銀騎士団〉を包囲したのだ。
テンペランスは姉と同胞の助命を願い、ロクドゥー共和国に降伏したが敵指揮官はなおもテンペランスを恐れた。テンペランスがあまりにも強かったので、恐怖心が抑えられずテンペランスの左腕を斬り落とす。
〈不死の銀騎士団〉は全員処刑か鉱山送り――ロクドゥー共和国の都市に送られ、今後の方針を決めるとなった時、恐ろしい事実が発覚する。
〈不死の銀騎士団〉が共和国軍にキャボット帝国の軍事情報を開示するように、きつい拷問を始めて8日目にほとんどの者が熱病を発症したのだ。
〈不死の銀騎士団〉とキーナンは全員、死亡率の高い熱病・稲妻肺炎に掛かっていることがわかったのだ。
ロクドゥー共和国の【鑑定】スキルの持ち主により、衝撃的なことがわかる。
〈不死の銀騎士団〉の装備や所持品に、感染者の血が仕込まれ、戦場に送り込まれていたのである。ブロードスキの配下のスキルで感染するように調整されていたのだ。
つまりはロクドゥー共和国もまた皇太子ブロードスキにいっぱい食わされたのだ。
稲妻肺炎は治療が困難で、一度感染が広がればとてつもない人の数が死ぬ。
急遽〈不死の銀騎士団〉は国外の辺境に運ばれ、放棄された。それを人買い共が見つけ、小国コーストンのアスペルリンに運び込んだ。
人買いも遅まきながら稲妻肺炎の件に気づき、パニックになっている処に襲撃者が現れ、解放となったのだ。
「あたいに続きな! 悪いようにはしねえ~! あたいの飼い主は病気でも何でも治しちまうから!」
テンペランスはすでに稲妻肺炎で歩くことさえできなかったが、まだ動ける同胞に運ばれ、襲撃者の女性が指示する道を進んだ。
そのさ中にテンペランスは意識を失っていた。
深い眠りの後にすぐに異常に気づく。落雷を受けたように痛かった肺が完全に正常化していたのだ。
気づいて目を開くとあり得ないモノを目にする。
ベットの脇に死んだはずの姉のキーナンと騎士アンジェラが微笑んでいたのだ。
「姉さん、アンジェラ! なんだ、小生は死んだのか……でもこうして会えてよかった!」
「ふふ、テンピー、ここは死後の世界じゃないの。わたしとアンジェラさんは本当に死んだけど、偶然生き返ったの」
「偶然? ……冗談を云っている?」
テンペランスが唖然となる中、キーナンとアンジェラは困った顔を一瞬した後に真顔になる。
「同志テンペランス、わたしは死後に見るという雲と星空の世界に確かに行った。かすかだがそう記憶がある。雲の上を歩いていると、突然足に光るモノが巻き付き、引きずり下ろされたのだ。夢かと思うがキーナンさんもまったく同じ体験をしたというのだから――たぶんわたしは死んでいた」
雲と星空の世界――それは時々、最高神官の奇跡の技で生き返った者が見たという、死後の記憶として世間では知れ渡っている。十神教の経典にも出てくる黄泉の入り口とされている処である。
テンペランスが思わず生唾を飲み込む。
「つ、つまりは最高神官がここにいて、姉さんたちを生き返らせた、というのですか?」
「それは違いますの、テンピー。現にホッジンズ様は生き返りませんでした」
「ホッジンズ師匠は……生き返らなかった? な、なぜなのだ?」
キーナンが首を横に振ってから真剣そのものと言った感じで言う。
「現時点ではわかりませんの。そこでここからは重要なのですが、わたし達を救ってくれた方のことは他言してはいけませんの。あなたが丸2日寝ている間、わたしと〈不死の銀騎士団〉は秘密を守るという魔法契約書をマルティン様と交わしています。当然、これからあなたも契約を交わしてもらいますの」
姉の思わぬ言葉にテンペランスはしばし呆然となるが、重大なことを思い出す。
「そうだ、稲妻肺炎! 我々が感染している稲妻肺炎がここでも蔓延したら、大勢の人が死ぬでしょう!」
「稲妻肺炎の心配はもうありません。マルティン様がすべて『出て言ってもらった』というのです」
「我らの恩人がマルティン様というのですか? 死者を蘇らせた上に不治の熱病も治すとは……マルティン様とは何者なのです?」
アンジェラも呆れたように肩をすくめる。
「正直滅茶苦茶過ぎてわけがわからない青年だよ。いいや、とても誠実で真面目な人物だが、頭が良すぎて我々凡人では理解できない存在なんだよ、たぶん」
「たぶんって――なんだよそれは?」
テンペランスは2人が冗談を言っているのではないとわかったがとても現実的でないと思う。死んだ者を偶然生き返らせて、国を崩壊させかけない不治の熱病を追い出すことができるという。しかし最高神官ではないとはどういうことなのか、論理的に受け入れられない。
すると不意に激しい倦怠感が襲う。全身から活力が抜け出たように衰弱しているのがわかった。
そんなテンペランスに大きな陶器のグラスに入った緑の液体を、アンジェラが仲間に差し出す。
「2日も寝ていたのだから元気がないのは当然だ。同志よ、マルティン様に起きたらこれを飲ませるように言われている。さあ、飲みたまえ」
「薬なのか?」
緑のドロドロした液体は明らかに美味しそうではなかった。だが喉も乾いていたのでテンペランスは目をつぶって陶器グラスの中身を一気にあおる。
猛烈に青臭い!! 最悪なまずさと言っていい……だけど、これはいったい!!
テンペランスは腹に飲んだものが胃に到達したところで激しい活力が生まれるのを覚えた。
腹から炎のような元気が生まれ、全体に満ちていくような衝動に突き動かされる。
現にテンペランスは10秒後には8日ぶりに自分の足で立っていた。




