16.5話 朝食
夢の名残は、白く柔らかな光として瞼の裏に残っている。
ミリアがゆっくりと目を開けると、天蓋付きのベッドの向こう、磨りガラスの大窓から朝の光が差し込み、カーテンの刺繍を淡く照らしている。
遠くで学園の鐘が朝の霧の中で低く鳴った。
まだ一限まで余裕のある時刻だ。
「……いい夢、だったなぁ」
小さく呟くと、胸の奥に温かな余韻が残る。内容はもう曖昧なのに、感情だけが確かだった。
誰かと笑っていた気がする。走っていた気もする。
ミリアはベッドから起き上がり、伸びをする。寝巻きの裾がふわりと揺れ、朝の空気が肌に触れる。少し冷たい。その感覚が、眠りから現実へと彼女を引き戻した。
身支度を済ませる前に、まずはシャワーだ。
ミリアは無造作に寝巻きを脱ぎ、洗面室へ向かう。動作は慣れたものだが、特別な意味はない。生活の一部として、不器用ながら当たり前の流れだった。
各々の学生寮に備え付けられたシャワールームは、白磁とその寮を示す色のタイルで統一されている。
天井には魔導式の換気陣が刻まれ、湯気を逃がす準備は万全だ。
レバーをひねると、最初は冷たい水が落ち、すぐに温度が安定する。細かな水粒が肩に当たり、背中をつたい、肌に残った汗と眠気が一気に流されていく。
「………………ふぅ」
水音だけが空間を満たす。
ガラス越しに差し込む朝日が、湯気に反射して淡く揺れた。まるで光の中に立っているような錯覚。
学園に設えられた特別な個室だからこそ味わえる、少し贅沢な朝だった。
髪を洗い、顔から高くお湯を浴びて、余計な思考を一つずつ落としていく。
昨日の騒がしさ、食堂の混乱、交錯した感情。
すべてが温かいお湯に溶け、排水溝へと消えていく。
柔らかな二の腕をつねると現実であることがしっかり確認できる。
シャワーを終える頃には、頭の中はすっきりしていた。
タオルで熱った肌と髪を拭き、相変わらずの手つきで制服のボタンをしめ、着替える。
───白を基調としたシャツ、A寮の象徴である緑色の蛇の魔物の刺繍。
黒い外套から緑のネクタイまで、しっかり自分がA寮生であること、エリートの仲間入りをしたことを自覚させる。
学園指定の装いは、いつもより少しだけ気持ちを引き締めてくれる。鏡の前でしっかり髪を結んで整え、ミリアは深呼吸を一つした。
「…………よし」
◇◆◇
朝食は簡素だ。
学園のパン工房から届く焼きたての小麦パンと、果実のコンポート、温かいハーブティー。現代的な自動保温プレートと、古式魔導の保冷符が同じ卓に並ぶ光景は、この学園らしい折衷だ。
窓の外では、登校する同じく女子寮の生徒たちの姿が見える。制服の色は寮ごとに異なり、渡る影が朝日に薄く伸びていく。
遠くには半浮遊する庭園区画や訓練場、下層には現代的な舗装路と魔導路線が重なって走っていた。
食事を終え、ミリアは鞄を手に取る。
廊下に出ると、冷たい石床と足音が心地よい。壁面には魔導掲示板が浮かび、その日の講義予定や注意事項が流れていく。
《二日目/基礎講義開始》
その文字を見て、少しだけ緊張した。
塔を出て、登校路へ。
学園は、朝になると一層生き生きとする。
石造りの建築にホログラムの案内標識、路肩では魔導自転車が静かに走り、学生たちが端末を見ながら談笑している。同じ王都でありながら、どこか現代的で、現実の延長線にあるような不思議な景色。
昨日の嵐が嘘のように、朝は穏やかだった。けれど、確かに昨日の出来事は彼らの間に何かを残している。言葉にしなくても分かる、微妙な距離感と、それでも一緒に歩くという選択。
コツコツと軽快な靴音が鳴り響く。
――今日も、きっと何かが起こる。
でも、きっと大丈夫。
私なら頑張れる。
ミリアは気張った両頬をパシッと叩いた。
本校舎の入り口が近づく。
鐘がもう一度鳴り、ミリアに二日目の始まりを告げる。
静かに幕を開ける王国が紡ぐその物語の内側へ、
ミリアは大きく一歩を踏み出した。




